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「さよなら丸刈り校則」のビラより

 

 我が母校の「丸刈り校則」の最初の歴史は面白くて愚劣な極みなのだが(注:追記2を参照)、そんな愚劣な校則でさえも30年も続いたわけで、それだけ長く続いてしまうと「伝統だから・・・」という言い訳を言う輩が必ず出てくる。どんな伝統でも伝統の中身を検証することが大切で、「伝統とは、成功した改革の積み重ねである(エリオ・アルターレ) 」という箴言とは程遠い伝統が多すぎます。例えば大相撲の「女人禁制」の伝統など愚劣の最たるもので、ここで批判する必要もないでしょう。 


追記1:実はエリオ・アルターレを持ち出すのは、靖国神社の掘っ立て柱方式とムツヒトにまつわる愚劣の時と決まっていたのだが・・・。


追記2:中学生男子が髪の毛などのおしゃれに気を配りはじめると、勉強する時間がないと妄想した教師Kがいて、生徒数人に「丸刈り」強制。実はこの生徒の中には校長Tの息子もいて・・・、後日T校長が全生徒に「丸刈り」強制宣言。これが我が母校で30年続いた「丸刈り校則」の起源。


第9回 「伝統とは、成功した改革の積み重ねである」 ピエモンテのエリオ・アルターレ  

https://www.cyber-wineshop.com/news/jmm/jmm200809.html

フランスに滞在していた随分昔のことですが、ワインを学ぶ友人たちと一緒にピエモンテまで旅行したことがあります。フランスのシャモニーからモン・ブランの長いトンネルを越えると、その先はモンテ・ビアンコ、つまりイタリアのピエモンテ地方でした。国境付近のカフェにはいると、言葉が変わり、エスプレッソがより濃く、香りが増してしっかりとした味わいに変わったのが印象的でした。山間地にブドウ畑が連なるのは壮観で、秋になると白トリュフが食卓を豊かに薫らせる、素晴らしいところです。

 もちろんピエモンテといえば、ご存じバローロ、バルバレスコに代表されるイタリアでも最高級ワインを生産する銘醸地です。

 

1970年代頃のピエモンテは、伝統的産地として知られてはいたものの、市場での人気は凋落していました。銘醸畑であっても零細栽培家たちは、大手生産者にブドウを買いたたかれ、ひとまとめに混ぜて造られていました。良質なワインを作る知識が不足していたためと、少ない畑から売上を増やすために、零細栽培家たちは、一本のブドウから過大な収量を上げてしまっていました。また、特にバローロに関しては、長期熟成の名の下に過度の抽出をして、固い味わいのワインとなっていました。

 この当時、ほとんどの地元の人たちは「自分たちは、昔からの生産方法を、親から伝えられた方法を守って続けている。ワインが売れないのは、消費者が悪い。」と信じていました。イタリア・ワイン不遇の時代です。

 

そんな中で代々ブドウを育て、ワインを造ってきた生産家の家庭に生まれた、若きエリオ・アルターレが疑問を持ちました。「なぜ隣国のブルゴーニュは、世界的に認められているのに、バローロは売れないのだろう?僕たちの認識が間違っているのではないか?」1976年、エリオはブルゴーニュへと向かいました。そこでは、今まで伝統的にピエモンテで当たり前とされていた常識を覆す様々なことが行われていました。収穫量の制限、畑ごとの法的格付け、小規模畑所有者たちによる直接瓶詰め販売、オーク新樽による熟成・・・・、若いエリオにとっては、新しい発見の毎日でした。

 

ピエモンテに帰ったエリオは、今までの因習を破るような改革を次々と実行に移しました。

「偉大なブドウの収穫、適度な果皮の抽出、そして衛生管理」を理想的に行うために、抜本的に栽培・生産方法を改革したのです。偉大なブドウの収穫のためには、畑毎の特性を生かすために、小さな区画に分け、適切な品種を植えることにしました。そして、その区画毎に収穫と醸造を行うようにしました。

 

・・・ここまではおそらく、周囲も大きな抵抗や反対はなかったと思います。

 さらにエリオは、偉大なブドウの収穫のために、「摘房」という作業を行いました。6月頃に途中まで育った房を間引きして切り落としてしまい、最終的に成熟する房を減らす作業です。これは、少ない果実に栄養を集中させ、糖度やエキス分のしっかりとした果実を作るために、今や高級ワインをつくる手法としては一般的なことですが、収穫量が収入に直結したピエモンテの零細栽培家の間では全く行われておらず、「狂気の沙汰」と思われたそうです。また、キリスト教の信仰が厚いイタリアのこと、「ブドウは天からの恵み」であり、そのブドウ房を収穫前に切り落とす、という作業は、「神の怒りに触れる・・・」といって非難する人もいました。(そういうことによって自分たちの行為を正当化しているだけ、とも見受けられますが・・・)

 そして最もセンセーショナルな改革は、フランス製オーク新樽の導入でした。イタリアでは、伝統的に3000L~5000Lといった大樽を使い、バローロでは5年以上の熟成をさせます。伝統的な造りでは、抽出が過度になりガチガチの渋みを伴う味わいがあります。この渋みが円やかになるのに、リリースされてから更に10年以上待たなければなりませんでした。エリオが最も強く感じたのは、「市場に出た時に円やかで飲みやすく、更に長期保存が可能なブルゴーニュやボルドーのスタイルをバローロで実現すること」でした。そのために内側の焦げたフレンチ・オークの小さな新樽225Lでオーク樽のもつ、柔らかな甘い苦味と心地よい香味を18ヵ月ほどの樽熟成期間でワインが樽と接触することにより醸成し、円やかで充実した味わいのワインに仕上げたのです。

 

このフランス製新樽の導入をめぐり、反対した伝統主義者の父親とは、激しい確執が起こりました。ある日、怒りの頂点に達したエリオは、父親が使い続けた伝統的な大樽をチェーンソーで斬りつけ、使い物にならなくしてしまいました・・・。

 

 そんなことで、地元同業者はもとより父親からも見放されたエリオでしたが、彼の造り上げたワインは、見事なものでした。円やかな口当たりの中に、背骨のしっかりとしたストラクチャをもち、とても上品な樽香と果実香がバランス良く感じられたのです。豊かな味わいは、今までの常識では信じられないことに、リリース直後のものから飲み手を魅了しました。

 

この素晴らしいワインは、すぐに市場に受け入れられ、世界的にもバローロを再認識するきっかけとなりました。また、エリオのワインを知ったバローロの若手生産者たちは、エリオの下に集まり新しいバローロを創るべく指導を仰ぐことになりました。エリオは地元の若手生産者を快く受け入れ、とても熱心な勉強会を開いて様々な試行錯誤を繰り返すことによって、品質の向上研鑽を続けました。「ゲームのようにブラインド・テイスティングし、議論を重ねた」そうです。

 

やがて彼らは、「バローロ・ボーイズ」と呼ばれるようになり、フレンチオーク樽熟成を始めとした新しい味わいは、エリオだけではなくバローロ全体の新しい潮流となったのです。余談ですが、エリオたちも、この「バローロ・ボ-イズ」という名前を大変に気に入って、お揃いのTシャツを作ったり、仲間同士で「バローロ・ボ-イズ」というサッカーチームをつくったりしたそうです。

 

実は、このエリオたちの動きは伝統を守る生産者の間にも良い影響を与えました。伝統的な大樽を使いながらも、収量をきっちりと調整した健康的なブドウから、抽出のコントロールを的確に行ったり、衛生管理を向上させたりして、優れた伝統的な味わいをもつバローロがつくられるようになったのです。

 

 このエリオたちのグループの様々な努力の結果、90年代を迎える頃からピエモンテ・ワイン全体の品質は、大変高いものになりました。95年以降はピエモンテ黄金期といっても過言ではないと思います。

 

 エリオ・アルターレのテイスティング・ルームの壁には、「伝統とは、成功した改革の積み重ねである」と記されています。円熟期を迎えた彼の境地でしょう。彼のワインが生みだすしっかりとした上品な味わいは、世界中が虚をつかむようなマネーゲームに明け暮れた後の現在、真実を求め続けたこの言葉とともに、包みこむような感動を与えてくれます。

 

 

                                         内池 直人


★「さよなら丸刈り校則」第6号 1994年


・・・

 「校則の自由化」とは、子供を馬鹿げた規則でいじめることをやめることなのだ。すなわち子供を拘束から解放することなのだ。同じ「自由」という言葉も、それがだれにとっての「自由」なのかを、よく区別しておく必要がある。
髪を2cmまでのばせる自由に慣らされた人間は、体中の体毛をすり落とせという愚劣な強制をも喜んで受けいれかねないのだ。
  「目を覚まさせてほしい者は前へ出ろ」と言って生徒33人を平手打ちし男女10人に怪我を負わせた傷害事件が松本で起きました。教師が引き起こす暴行傷害事件をマスコミは体罰事件と呼ぶのだが、こんなどこかのテレビの糞ドラマを地でゆくようなことが現実に起こるのだから世の中は不思議であまりにも馬鹿げている。またまた言わねばならぬ。こんな教師は辞めさせろ、税金で飼っておくな、と。繰り返して言う。体罰は愛のムチではない。愛のムチなどと言う言葉は倒錯した性行動の一形態を表現するときにしか呼ばれるべきものでしかない。体罰は感情の暴発であり、愚人が思いつく最も簡単な支配方法でしかない。ほんとうに今すぐ「子供の権利条約」は完全に実行されなければならない。  
  どうやら教師達の拠り所は父母からの期待にあるらしい。「子供が恐がるくらいにビシビシやって欲しい」「何もしないより厳しく指導してくれる方が助かる」(上述の事件のあった鎌田中学校の父母の意見より・・・朝日新聞長野欄から)。というわけで子供に暴力を加え続けたい親と教師が少なからずこの世にいるという事実が浮かび上がってくる。例えば、暴力を振るってもいい職業をあげて欲しい。例えば、子供は親がただ殴りたいだけで自分を殴っていたと気づいてどれぐらい傷つくと思うか?子供は自分を殴る親や教師もまたその親や教師に殴られ続けていたといつになったら気づくと思いますか?     親は子供に何をしてあげられるのか?躾とか教育の名の下に子供が暴力的に支配されているという事実があります。幼児の時には親に殴られ、学校で教師に殴られ、先輩に殴られて大人になり、そして自分の子供を殴り続けるという暴力の連鎖があります。この鎖を断ち切るために私たちは一刻も早く何かをしなければなりません。「子供の権利条約」の完全実施は、それへの第1歩になるはずなのですが、官僚と政治屋にそれを望むのは高望みというものなのです。だが親は今すぐにも行動に移せるはずです。『魂の殺人』アリス・ミラー(新曜社)から次の4項目を繰り返し引用しておきます。
(1):子供に敬意をもって接すること。
(2):子供の権利を尊重すること。
(3):子供の感情に対して寛容であること。
(4):子供の行動から常に学ぶ用意があること。

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