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"愚劣な校則"の代表格の「丸刈り校則」がまだ残っている?!

 

 ツイッターでの「MAKES」さんの情報によると、いまだに「丸刈り校則」がある中学校があるという。私の母校の中学校も廃止されて20年以上立つが、『朝日新聞』などの報道を信じて中学校では全廃されたと私も思い込んでいた。これについての詳細は後日紹介したいが、この問題をさらにややこしくしているのが、子どもの人権を守ろうと活動している荻上チキなどが愚劣な校則を称して差別語「ブラック」を使い「ブラック校則」などとトンデモ表記していることがある。これなど、間違った流行語をとびついて使い賢者が愚者になりはてる典型だが、彼は私の批判には無視を決め込んでいるようなので、解決の糸口さえ見えない段階だ。


 

どとうとしやブログ

https://blogs.yahoo.co.jp/sirou64/34507391.html

朝日新聞のサイトより、日本全国丸刈り校則全廃確認できるでしょう。
このところ、2013年6月以降の日本全国丸刈り校則全廃達成後は、しばらく、私の優先順位での「丸刈り校則」の地位は高くなかったですが。



80年代に全国の公立中の3割にあった丸刈り指導は2013年5月、鹿児島県奄美市の笠利中を最後に、ついに姿を消した。なぜ、丸刈りが広まり、なくなったのか。


■きっかけは「たった一人の反乱」


 「男子は丸刈り。長さは9ミリ以下」。そう指導していた愛知県岡崎市の中学校で1987年4月、「たった一人の反乱」が起きた。一人だけ、坊ちゃん刈りで登校する生徒が現れたのだ。「誰かが勇気を出していやだと言わなければ、いつまでも変わらない」という決意からだった。


 その生徒は愛知教育大教授だった森山昭雄さん、浜子さん夫妻の三男。小学生の時、兄が泣く泣く坊主頭で通学したのを見て、「丸刈りのない中学に進みたい」と言い出した。


 丸刈りは日清戦争のころ、まず軍隊で広まった。欧米型の髪形が忌避された太平洋戦争中は、大政翼賛会などが国民調髪「翼賛型」という髪形を定めて強く推奨。子どもは丸刈りやおかっぱが望ましいとされた。戦後の丸刈り指導は、その名残と言える。


■80年代に校則強化


 80年ごろ、各地で校内暴力が吹き荒れ、「頭髪や服装の乱れは心の乱れ」と校則を強化する動きが相次いだ。しかし、80年代後半には、管理教育の行き過ぎが批判を集めるようになる。


 日本教育法学会の坂本秀夫名誉理事の調査だと、このころ丸刈り指導があったのは、全国の公立中の約3分の1だった。岡崎市では17の全公立中学で丸刈り指導があった。


 三男の坊ちゃん刈りは黙認されたが、周囲のプレッシャーは強かった。森山夫妻は息子を守ろうと「頭髪自由化」を訴え、署名活動を始めた。新住民らの共感を得て、市民運動に育ち、その輪は全国へと広がった。


 88年に文部科学省が校則見直しを促すと、各地で丸刈り校則を巡る議論が活発化する。丸刈り賛成派は「生徒指導がしやすく、勉強専念や非行防止に効果がある」といい、反対派は「根拠がない」と、批判した。


 91年、東北学校保健学会で「男子中学生に対する頭髪規制と保健、生活および学力指標との関連」についての研究が発表された。福島県立医大の助手だった加藤清司さん(公衆衛生学)が、息子が進む中学の丸刈り校則に疑問を感じ、取り組んだものだ。


 都道府県別の丸刈り強制率と、学力指標や学校欠席率、刑法犯検挙人割合などの相関関係を比較。「丸刈り強制は教育上は逆効果。強制率の高さは、むしろ地域の教育能力などの低さを示した」と結論づけ、注目された。


 岡崎市で頭髪自由化が実現したのは90年以降。森山家の三男が卒業した後だった。


■08年には島々だけに


 2008年ごろには、丸刈り校則がある学校は、長崎県や鹿児島県の島々だけになった。奄美群島では公立中48校に丸刈り指導があった。島社会の一体感の強さが、丸刈りという伝統を守る形に働いたとみられる。


 08年、奄美市に「丸刈り強制を考える会」(城村典文会長)が発足した。翌年、鹿児島県弁護士会は「憲法や子どもの権利条約に反する」と、市町村教委などに丸刈り強制の廃止を勧告。校則を見直す学校が相次いだ。


 11年、長崎県から丸刈り校則はなくなった。ついに奄美から姿を消したのは、13年5月のことだった。(沢田歩)


     ◇


■奄美「丸刈り強制を考える会」 城村典文さん


 小学校の教諭時代に私は、金子みすゞの詩「私と小鳥と鈴と」を通して「みんなちがって、みんないい」と教えました。なので、中学の丸刈り強制には矛盾を感じていました。丸刈りは「伝統だ」という人もいましたが、もし伝統ならば、強制するものではないはずです。


 奄美では2008年、1人の中学生の行動がきっかけで頭髪自由化運動が広がりましたが、それ以前にも丸刈り強制と戦う人たちがいました。90年代に、自由化に踏み切る中学が1校だけありましたが、決断した校長は始末書を書かされました。徳之島では、丸刈りを拒んだ生徒が教師らに強く指導され、後に家族で離島してしまいました。


 校則は本来、校長の判断で決められるはずです。でも、変な横並び意識や同調圧力が働いて、なかなか変わりませんでした。


 丸刈り校則が姿を消して、奄美の中学生の髪も伸びました。でも、スポーツの大会が近づくと「気合を入れる」と言って、丸刈りに戻す生徒もいます。もちろん、自分の意思で丸刈りを選ぶことは自由です。でも、丸刈りをいやがる友だちに、仲間内で無理強いするようなことがあってはなりません。


 全国のたくさんの人たちが時間をかけ、苦労してやっと勝ち取った頭髪の自由の重みを、子どもたちには理解してほしいですね。




MAKES @qqec8ux9k 13 時間前 

https://twitter.com/qqec8ux9k/status/1023922468455501824                    

 


▼     私は馬鹿になりたい・・・

 

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/19966266.html

     

◆中居くん太っ腹 ボウズ割引…「私は貝になりたい」千円で見られる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081109-00000294-sph-ent

 SMAP・中居正広(36)の主演映画「私は貝になりたい」(22日公開、福澤克雄監督)の試写会が9日、都内で行われ、丸刈りは劇場チケットが1000円に割引されることが発表された。中居が劇中で丸刈りになったことから発案され、全国の約330スクリーンで実施される。中居も「シャンプー代が節約できます」とオススメ。日本中で丸刈りが急増する?

 “丸刈りくん”に参加を呼びかけたこの日の試写会で、「坊主割引」が発表された。東宝によると、割引の条件は「坊主頭か、それに準ずる髪の長さ」。劇中の中居の1、2センチが“お手本”になるが、原則的に自己申告のためチャンスは広がりそう。現段階で全国330スクリーンのほぼすべてから賛同を得ている。中居は「えっ、そんな(割引の)映画ありますか?」と大げさに“お得度”をアピールした。

 全国理容店協会とタッグを組み、78000点に明画ポスターを送付済み。理容店では人気者の中居をマネる“坊主特需”も期待している。

・・・

***

 理容店の丸刈りは他の髪型に比して料金が安いが、それがどうして「特需」なのか私には分からない。もっとも美容院に行っていた男が、丸刈りのために理容店に行けば、理容店は儲かるが美容院は損する。いずれにせよ、丸刈りなら素人でもでき、よって理容店離れも起きるし、丸刈りが理髪師の技術をあげるわけでもない。よって丸刈りが増えても理容店には何の恩恵ももたらさないだろう。

 表現をしないことも表現というなら、丸刈りも髪型である。まあそんな意味もこめてアイルランドの歌手シンニド・オコナーも丸刈りにしたみたいだ。どうでもいいことかもしれないが、彼女を含め瀬戸内寂聴を持ち出すまでもなく「女」は絶対丸刈りをやめた方がいい。
 そして問題は「男」の丸刈りである。

 全国に蔓延していた中学校での「丸刈り校則」も20年ぐらい前の反対運動でほとんどなくなり、今ではごく一部の中学校だけだという。よって丸刈りといえば今では高校野球であり、そして今でも丸刈りは皇軍の“戦争する髪型”(注:芹沢俊介いわく「日本は髪型で戦争をした」)である。

 映画『明日への遺言』も映画『私は貝になりたい』も、その制作意図が不明だが、いずれにせよ、それらの映画によって丸刈りが増えるという現象は起こってもいいのだろうか?

 「髪を2cm“も”伸ばせる自由を兵士に与えたら、兵士は自由気ままに振る舞うだろう」というのは杞憂に過ぎず、兵士はその限界自由を享受して、その範囲内の中で上官の命令に忠実な戦争機械になる。米国の海兵隊の「男」の兵士もそうなのだが、兵士に表現の自由などあるはずもなく、それ故に髪型は丸刈りなのかもしれない。

 堅い頭蓋骨と柔らかく強靱な髪の毛の両方で人間の脳は手厚く守られているはずなのだが、守るに値しない脳ならば、一方の砦は破壊しても良く、その意味では丸刈り兵士の脳はたとえ兵士がヘルメットをかぶったとしても本質的には兵士の脳は守られてはいない。そう戦争機械に考える脳はいらない。

 私は個人が自由意志で、「表現しないのも表現だ」、「私の脳は守るに値しない」と宣言して(?)丸刈りにするのを反対しない。しかしそれが強制的になされるなら絶対反対する。その意味で高校野球の丸刈りに反対している。

 戦前を懐かしみ丸刈りになる馬鹿がいるとしよう。そういう馬鹿が増えてもそれは日本低国には相応しいだけのことである。厚顔無恥のヒロヒトの二世としてのアキヒトもいるし、麻生改め金太郎だっているし、岸信介の孫だっている。今さら「上々」を敬う下々のほうで馬鹿が増えても何も問題はない。

 しかし、そうはいっても、安易すぎやしないか?髪を使って表現をしようじゃないか?そんな事さえも横着になっていいわけがない。今丸刈りにして、戦時下の練習をしていて、いったい何になる?自由を享受せよ!、もし自由が好きならば・・・。

 追記:どうでもいい戦争映画は作られるが、作るべき戦争映画は絶対作られない。岡田資中将を持ち上げるなら、彼の中国での毒ガス作戦は?皇軍兵士得意の捕虜の据物斬りもサムライ精神?

 

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