FC2ブログ

「黒は美しい」(black is beautiful) という言葉に象徴されたこの作業は──

 昨日(2018年7月14日)の『朝日新聞』には、「読書欄」で、『MARCH』の書評、文庫紹介では、黒人が主人公のジョー・イデ『IQ』(熊谷千寿訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)が載り、「ひと欄」には、京都精華大学長のウスビ・サコが登場と、私にとっては見逃せない紙面が多かった。

 当然のことながら、この新聞にも労働問題関連で差別語「ブラック」は頻出するわけだが、『MARCH』を紹介する評者・都甲幸治(アメリカ文学)がこの問題に触れないのには違和感が残る。というのも、この著書の著者の1人のジョン・ルイスは、キング牧師が「私には夢がある」という有名な演説を行った時に、自らをブラック・ピープルと名乗って演説していたからだ。

 以下に紹介するのは、本多勝一『アメリカ合州国』(1981年)からの引用だが、この記事は『朝日新聞』にも掲載されてはずである。

檜原転石 @hinokiharappa 1月11日 
https://twitter.com/hinokiharappa/status/951563494977028096         
本多勝一『アメリカ合州国』1981年 アメリカ合州国という社会が、その建国・富国の歴史はもちろん、すべての機構・制度・価値観において、黒人のためではなく、白人(正確には一部の白人)のために都合よくできていることを知り、目醒めたとき、彼らはこの美意識の転覆作業にまで思い到った。

檜原転石 @hinokiharappa 1月11日 
                      

檜原転石 @hinokiharappa 1月11日 
        

 公民権運動、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動、そしてマルコムXを知らないネット住民の若者はネット卑語の「ブラック企業」を作り、恥ずかしくも同様に無知な労働運動の大人たちが差別語「ブラック」を採用してしまった。河添誠はトロントで移民の活動家から皮肉をこめてこう言われた──「いい運動だけど、ブラックじゃなくてホワイトだよね」と。ここまで言われても差別語「ブラック」をやめない日本の労働運動とは何なのだ?

  

▼「ブラック企業」という呼び方について(信濃毎日新聞に投稿、不採用)
  今では米国の黒人に最も好まれる呼称の一つのブラックも公民権運動前には差別語であった。次期大統領トランプの就任式に出席拒否を宣言しているジョン・ルイス下院議員は、キング牧師が「ワシントン大行進」で「私には夢がある」という有名な演説をした時に、自らをブラックと呼んだ人物だ。「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動を経て、このように使われているブラックという誇らしい言葉を、日本の労働運動はといえば、あらゆる悪を含意して使い、搾取企業などを称して「ブラック企業」などと平気で使っている。
 日本以外ではまず通用しないこの言葉の使用法は、今のところなぜか識者からの異議申し立てはほぼ皆無で、有名な黒人の誰かの異議申し立てでもない限り、メディアは無視を決め込んでいるような状況だ。
 長野県に縁が深い藤原正彦は、PC(ポリティカル・コレクトネス 「差別と偏見のない表現運動」)に明確にノーという主旨の記事をある週刊誌に書いている。米国で起きたトランプ現象は差別を昂じさせる危機でもあるが、差別語を復活させる危機でもある。メディアは率先して「差別と偏見のない表現運動」に取り組むべきで、トンデモ和製英語「ブラック」を使った「ブラック企業」などの使用をやめるべきである。だって日本語には搾取企業という正しい言葉がちゃんとある。

▼京都精華大学 新学長にウスビ・サコが就任決定
2017 年 9 月 26 日
http://www.kyoto-seika.ac.jp/info/info/pr/2017/09/26/46493/
学校法人京都精華大学(所在地:京都市左京区、学長:竹宮惠子)は、2017年9月23日(土)の理事会において、人文学部教授のウスビ・サコ(51歳)を次期学長として決定いたしました。就任予定日は2018年4月1日で、任期は2018年4月1日から2022年3月31日まで。サコはマリ共和国出身。京都大学大学院工学研究科建築学専攻を経て、2001年に本学人文学部教員に着任。同学部において学科長、学部長を務めました。
■プロフィール
ウスビ・サコ Oussouby SACKO(佐古 ウスビ)
1966年5月26日生。マリ共和国出身。中国北京語言大学、南京東南大学を経て来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。工学博士。専門は住居空間や建築計画など。20年以上、京都在住。著書に『知のリテラシー・文化』他。現職は人文学部教授、同学部総合人文学科長 。
■京都精華大学について
1968年に「自由自治」を教育理念とし、短期大学として開学。1979年に4年制大学として美術学部を開設、2006年には日本で初めてマンガ学部、2013年にはポピュラーカルチャー学部を開設するなど、既存の枠組みとらわれることなく、つねに新しい学問領域を切り拓いてきました。現在は、芸術学部、デザイン学部、マンガ学部、ポピュラーカルチャー学部、人文学部の5学部、芸術研究科、デザイン研究科、マンガ研究科、人文学研究科の4研究科のあわせて約3千人の学生が、自由で自然豊かな環境のなか、世界に向けて発信する文化と芸術を学んでいます。
■ウスビ・サコ略歴(2017年9月23日現在)
学歴
1985年6月:
Lycee Technique de Bamako (Specialite : Mathematique Technique Genie Civil)バマコ技術高等学校(数学・技術専攻)卒業(Baccalaureat Malien取得)
1990年7月:
中国南京市 東南大学建築系建築学専攻 卒業学位:工学学士(建築学専攻)
1994年3月:
京都大学大学院工学研究科建築学専攻 修士課程修了学位:京都大学修士(工学)
1999年9月:
京都大学大学院工学研究科建築学専攻 博士後期課程修了
学位
2000年1月:
京都大学博士(工学)
職歴
2000年4月~2001年3月:
日本学術振興会外国人特別研究員
2001年4月~2007年3月:
京都精華大学人文学部 専任講師
2005年4月~2005年6月:
京都精華大学人文学部 文化表現学科長
2006年4月~2008年3月:
京都精華大学人文学部 教務主任
2007年4月~2013年3月:
京都精華大学人文学部 准教授
2009年4月~2011年3月:
京都精華大学人文学部 教務主任
2013年4月~現在:
京都精華大学人文学部 教授
2013年4月~2017年3月:
京都精華大学人文学部長
2014年12月~現在:
学校法人京都精華大学評議員
2017年4月~現在:
京都精華大学人文学部 総合人文学科長
著書
『住まいがつたえる世界のくらし:今日の居住文化誌』(共著、世界思想社)
『フロンティアと国際社会の中国文化大革命:いまなお中国と世界を呪縛する50年前の歴史』(共著、集広舎)
『マリを知るための58章(エリア・スタディーズ)』(共著、明石書店)
『世界地名大事典:中東・アフリカ』(共著、朝倉書店)
『知のリテラシー 文化』(共著、ナカニシヤ出版)
社会的活動
2002年4月〜現在:
京都府名誉友好大使
2008年4月~2010年3月:
国立民族博物館共同研究員
2014年4月~現在:
独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所・文化遺産国際協力コンソーシアム分科会委員
2014年5月~現在:
京都府外国籍府民共生施策懇談会委員会学識経験者委員
2016年9月~現在:
Expert Member, ICOMOS-ISCARSAH (International Scientific Committee on the Analysis and Restoration of Structures of Architectural Heritage)
所属学会
1993年4月:
社団法人 日本建築学会正会員・論文会員
1995年4月:
日本アフリカ学会・正会員
1999年11月:
International Association for People-Environment Studies(IAPS) Member
2004年9月:
公益法人 日本都市計画学会・正会員
2009年7月:
International Union of Anthropological and Ethnological Sciences Member
2011年10月:
教育の境界研究会・会員
2012年7月:
近世京都学会・正会員
2012年9月:
文化遺産国際協力コンソーシアム・正会員


▼日本再確認 外の目線で 京都精華大学学長 ウスビ・サコさん(もっと関西)
私のかんさい

2018/5/22 17:00
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30806230S8A520C1AA2P00/

 ■今年度創立50周年を迎えた京都精華大学(京都市左京区)の学長に、西アフリカのマリ共和国出身のウスビ・サコさん(51)が就いて2カ月弱。大学運営に日々心を砕きつつ、将来構想委員会を立ち上げた。自身の専門はコミュニティー論・建築計画。海外出身学長ならではの命題として、様々な国・地域の発展に寄与する大学への道筋を探る。
 ウスビ・サコ 1966年マリ共和国の首都バマコ生まれ。85年に中国の現・北京語言大学に留学。同国・南京の東南大学と同大大学院で建築学などを専攻。91年に来日。京都大学大学院建築学専攻博士課程修了。2001年京都精華大講師。同大准教授を経て、13年同大教授。
 ウスビ・サコ 1966年マリ共和国の首都バマコ生まれ。85年に中国の現・北京語言大学に留学。同国・南京の東南大学と同大大学院で建築学などを専攻。91年に来日。京都大学大学院建築学専攻博士課程修了。2001年京都精華大講師。同大准教授を経て、13年同大教授。
 日本で急速な少子化が進む一方、世界の人口は増え、教育環境が整っていない国・地域がある。精華大は日本人学生だけ対象とするのではなく、そうした国・地域にどのように教育を提供し、発展に寄与していくかも使命だと思っている。
 4月に新入生を約700人迎え、そのうち留学生は2割近くだった。全学で見ると留学生は現在1割強。5年以内にこの比率を3割以上に高めたい。そのため、東南アジアとアフリカに海外オフィスを設け、そこで入学準備などができないかと考えている。一部の授業を英語で行うことや、授業内容の変更も検討せねばならないだろう。
 日本人学生が留学生から学ぶことも多いと思う。彼や彼女らとは育った環境や価値観が違うので、自身を相対化でき、日本や京都の良さを再確認する機会にもなる。学生同士の国際交流がもっと進むように環境を整えたい。
 ■マリの高校を卒業し、中国の大学と大学院で建築学などを学んだ。その後、1991年に来日し、京都大学大学院に進み、京都に27年間住み続けることになった。
京都で暮らすようになって茶道も学んだ(1994年)
京都で暮らすようになって茶道も学んだ(1994年)
 中国への留学を終えると、マリに帰国して国家公務員になるつもりだった。ところが、マリは経済的な問題などで公務員採用を見送ったので、日本の大学院への進学を検討した。日本を選んだのは、住環境やコミュニティーの課題がアフリカと似ていたためだ。
 日本に来て一番驚いたのは「同級生は同じ年」。英才教育システムのマリではそういう意識が全くない。私の時代は小学校1年から留年制度があり、中学や高校進学はそれぞれ試験に合格せねばならないので、同級生でも年齢が違ってくる。ちなみに、私が中国の大学に留学したのは国(マリ)に割り振られたから。奨学生として留学する際、どの国に行くかは国が決めていた。
 京都に住み続けたのは自然な流れ。京大大学院博士課程修了後、研究を続けたくて研究者を公募している大学を探して応募した。そして、決まったのが京都精華大。自由に研究したくて、応募先は推薦のいらない大学を選んだ。
 精華大のある京都・岩倉は大学の所在地として最適だと思う。都市部と遠くも近くもなく、ものを考え創造するのによい。
 ■自身は、人の動きやコミュニティーのあり方から空間を考察する「空間人間学」を研究している。その実践的な取り組みの一つとして、京都市東山区で仲間と「本町エスコーラ」というプロジェクトを行っている。
 これは路地裏にある長屋8軒を住宅やアトリエに造り直し、コミュニティーを育もうというもの。私も1軒借り、コミュニティーがどう変化していくかを参加しながら観察している。若い人たちも来るので、周囲からは「活気がある」と見られつつ、警戒心も持たれている。
 新旧のコミュニティーが良い関係をつくれるかは、どこにでもある問題。特に大型プロジェクトの場合、それが地域でどのような役割を果たし、新たに入ってくる人と従来の人がどう接していくかを考えねばならない。
 京都は持っているものをもっと見せた方がいい。外国人が抱いている京都のイメージと実際は違い、本当の京都を理解するにはある種の読解力がいるが、「分かりやすく」などと外国人に合わせる必要はない。本当の京都があるから、みんなが興味を持つんです。
(聞き手は編集委員 小橋弘之)


▼米国公民権運動を20代の信念で支えたジョン・ルイス 投票権獲得の闘いを語る
http://democracynow.jp/video/20120710-1
放送日:  2012/7/10(火)
再生時間: 
50分
フリーダムライドの運動に加わった時、ジョン・ルイスは20歳そこそこの大学生。ガンジーの流れをくむ非暴力直接行動を信奉し、頭を強打され激しい暴力と憎悪にさらされ40回も逮捕されながらも人々の良心の力を信じました。キング師が「私には夢がある」という有名な演説をした1963年のワシントン大行進では、SNCC(学生非暴力調整委員会)の議長として若者を代表して演説を行ない、南部での投票権獲得運動でも武装した警察の隊列に向かって停まることなく行進を続けました。その彼の徹底インタビューです。
市民運動の大成功例として語り継がれる公民権運動ですが、その中にさまざまな立場の違いがありました。妥協を許さぬ若者たちと遅くとも確実な前進をめざす年長者との間の微妙だが結局は埋まらなかったギャップはワシントン大行進での演説でどうしようもなく明らかになりました。マルコムXとの出会いの思い出も語られます。
大勢の人々が身体を張り、負傷し、逮捕され、死者まで出した投票権獲得運動。そうやって50年近くも前にマイノリティや社会的弱者たちにも、民主主義の基本的の権利である投票権が確保されました。ところがここ数年、「投票者ID提示法」なる州法で社会的弱者から投票権を奪い取ろうとする動きが共和党支持者を中心に高まっています。ルイスは怒りを超え、情けなくて涙が出そうだと訴えます。
公民権活動家として生きたルイスは、いまでは民主党のベテラン議員です。キング牧師とも共有したベトナム反戦の精神を忘れず、いまも反戦を唱えていますが、「じゃ、オバマ大統領の無人機攻撃はどうなるの?」とエイミー・グッドマンのルイス議員への質問は容赦ありません。
余談になりますが、ルイス議員といえば思い出すエピソードがあります。フリーラムライダーズの一員になるため、首都のワシントンに行った時、出発前に中華料理をごちそうになり、世の中にこんなおいしいものがあったのかと大感激したそうです。アラバマの小作農家の家に生まれ育った彼にとって想像もできなかった新しい世界の大発見だったのかもしれません。公民権運動の活動の時代に青春を過ごすという幸運にめぐまれたルイスは、南部の暴力に立ち向かう最前線に身ひとつで立ち、喜びと苦しみを文字通りひとつひとつ「体験」しながら、歴史の前進のために奉仕する自分の場を見つけて行きました。(大竹秀子)

▼アフリカンアメリカン・フォーカスブログ篇

2013年10月9日水曜日

公民権運動の指導者ジョン・ルイス 45回目の逮捕

http://aafocusblog.blogspot.com/search/label/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9

2013年10月8日にワシントンで、抜本的な移民法改正を求めて行われたデモで、ジョージア州選出のジョン・ルイス下院議員がほかの議員7人とともに逮捕されました。移民法改正案について審議を深めているべき連邦議会は、現在、上下院で予算案がねじれたまま、まともな機能を果たしていません。


アラバマ州生まれのルイス議員は、公民権運動のアクティビスとして知られ、逮捕や暴徒・当局による暴力にもめげずフリーダムライド(自由のための乗車運動)や「血の日曜日」と呼ばれたセルマでの行進などで指導的な役割を担いました。キング牧師の「私には夢がある」の演説で有名な1973年のワシントン大行進では、SNCC(学生非暴力調整委員会)を代表し、最年少の演説者となりました。



下院議員になってからも、アパルトヘイトに抗議してワシントンの南アフリカ大使館前で2回、ダルフールでの虐殺に抗議してスーダン大使館前で2回、逮捕されたことがあります。今回の逮捕は、通算45回目にあたるのだとか。ジョン・ルイスの人生は、公民権運動・自由を求めるアメリカの市民運動の歴史でもあります。デモクラシー・ナウ・ジャパンで、以下2本の日本語字幕付動画をご覧いただけます。(大竹秀子)



米国公民権運動を20代の信念で支えたジョン・ルイス 投票権獲得の闘いを語る フリーダム・ライダーズ 人種隔離バスへの抵抗


 ▼2017年1月15日 06時51分

トランプ氏、欠席議員に猛反発 20日の大統領就任式

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2017011501000959.html


 【ワシントン共同】トランプ次期米大統領は14日、トランプ氏への抗議から20日の就任式をボイコットする考えを表明した、公民権運動の闘士として知られる黒人議員にツイッターで「口先だけの人物」と猛反発、波紋が広がっている。

 就任式ボイコットを明らかにしたのは民主党のルイス下院議員。キング牧師と1963年のワシントン大行進に参加するなど公民権運動を推進してきた。

 ルイス氏は13日のNBCテレビのインタビューで、トランプ氏は大統領選でロシアの支援を受けたなどとして「正当な大統領とは思わない」と批判。約30年の議員生活で初めて就任式を欠席すると述べた。

▼60年代の夢、今に キング牧師と活動したルイス議員


2008年8月29日

http://www.asahi.com/international/president/person/TKY200808280309.html


 民主党全国大会の初日、会場となるデンバーの屋内スタジアムで、小柄なアフリカ系(黒人)政治家が、舞台を見つめていた。

 あと数時間で、全米から数万人の参加者が集う。この壮大な政治集会の主役、オバマ上院議員(47)も、まだ姿を見せてはいない。

 「この時を、彼らと一緒に過ごしたかった。殴られ、撃たれ、殺された彼らと」

 ジョージア州選出のジョン・ルイス下院議員(68)の脳裏に浮かんでいたのは、共に公民権運動を戦った今は亡き仲間たちだった。「45年前とはまるで違う世界に思える」

 1963年、20万人以上が参加して人種差別撤廃を訴えた「ワシントン大行進」で、23歳のルイス氏は演壇に登った。同じ舞台に立った故マーチン・ルーサー・キング牧師が語ったのが、世界史に残るあの名演説だった。

 〈私には夢がある。かつての奴隷の子と奴隷所有者の子が、兄弟のように同じテーブルにつく夢が〉

 ルイス氏も演説した。「目覚めよ、米国。私たちは待てない。我慢もしない」



■綿を摘んだ手

 「公民権運動が生んだ最も勇敢な人間の一人」といわれるルイス氏は40年、アラバマ州の小作人の子として生まれた。同州モンゴメリーのバス・ボイコット運動を指導したキング牧師の演説をラジオで聞き、公民権運動に身を投じる決心をする。

 61年には、バスの人種隔離座席を撤廃させるための「フリーダム・ライド」運動の第1陣に参加した。白人専用席に座っただけで何度も暴行を受け、乗ったバスは放火された。オバマ氏が生まれたのは、この年だった。

 60年代後半、ルイス氏は黒人参政権運動の指導者となる。南部の州では、黒人たちは有権者として登録することを恐れていた。彼は約2万枚のポスターを作製し、理髪店や学校、教会に配布した。

 「綿を摘んだ手が今、公職者を選ぶことができる」。片手で綿花を摘み、もう片方の手で投票用紙を箱に入れようとしている男性の絵柄のポスターには、そんな標語が書かれていた。この活動の結果、400万人以上の黒人が有権者登録をしたとされる。

 「60年代に綿を摘んだ手が今や、次期大統領を選ぶことができる。ほんの一昔前まで、黒人は有権者登録をしただけで身の危険を感じていたというのに」



■縮んだ距離感

 ルイス氏の思いは、初めからオバマ氏にまっすぐに向かったわけではない。

 当初はヒラリー・クリントン上院議員を支持していた。夫妻と長年、個人的に親しかったこともあるが、公民権運動に無縁だったオバマ氏への「距離感」が影響していたのは間違いないだろう。

 考えを変えたのは、今年2月になってからだった。

 「ケネディ大統領やキング牧師が暗殺された後、彼ほど若者を駆り立てた政治家はいない。オバマ氏の登場は公民権運動と連続していることに気付いた」

 この決断は黒人の支持がオバマ氏に雪崩を打つきっかけのひとつとなり、予備選で黒人有権者の同氏支持率が8割を超す州が続出した。

 オバマ氏が指名候補の座を確実にした数日後、アトランタ市内での演説会で、若い黒人女性に質問された。「今の状況を知ったら、キング牧師は何と言ったと思いますか」

 ルイス氏は答えた。

 「ハレルヤ、ハレルヤ。そう言ったと思う」。神を祝福する牧師の言葉が、彼の耳に聞こえたのだろうか。

 「私には夢がある」。キング牧師がワシントン大行進で高らかにうたい上げたのと同じ8月28日、米国史上初の黒人大統領候補、オバマ氏が演壇に立つ。

 「キング牧師のあの演説がなければ、オバマ氏はここにはいなかった。これからも決して簡単ではなく、戦い続けなければならない。だが彼の立候補により、きっと私たちの夢は、夢ではなくなる」

 公民権運動を自らの人生として生きた老政治家は、オバマ氏の演説の前に、演壇に立って全米に語りかける。

(デンバー=真鍋弘樹)
 

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

檜原転石

Author:檜原転石
FC2ブログへようこそ!

世の中は無名の一人でも変えられる

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR