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なぜ(日本では)レイプ犯は野放しにされるのか?

 レイプ犯8人が処分保留のままで釈放というニューズ(富山市性的暴行事件 男8人全員釈放/富山)は驚きである。もちろんこの後、起訴される可能性はゼロではないが、問題は被害女性が釈放された野放しレイプ犯に遭遇する可能性が格段と高まったという事実である。

 

 あくまでも想像だが、この事例は被害者と加害者の示談が成立して、加害者が慰謝料を払って事件化を防いだと推定されるが、被害者の協力が得られなければ検察はレイプ事件では起訴をしないようなのである。参考になるのが高畑裕太レイプ犯の事例で、この事件では示談が成立して彼は釈放された。この事例の加害者側の弁護士は愚劣にも「裁判になれば無実を主張して闘う」と大法螺をふいていたが、もちろん大嘘である。多分、「裁判になればセカンドレイプで被害者がボロボロになるから・・・」と相手弁護士など言いくるめて示談に持ち込んだに過ぎない。もちろん刑事事件とは別に民事でも慰謝料を請求できるから、レイプ犯は刑務所にぶち込んで損害賠償などをさせるのが本筋である。私が傍聴した性暴力案件では、加害者は懲役4年で、後に新聞には損害賠償などで示談成立という記事も載った。

 

 大阪高等検察庁・田中壽美子検察官によると、「懲役10年程度の重罰を科し得る性犯罪の未検挙者は、強盗犯の未検挙者の約50倍の約7万人、性犯罪には常習犯が多いことを考慮しても、膨大な性犯罪者が野放しにされ、更なる性犯罪が生まれている・・・」。山口敬之レイプ犯を見ても、高畑裕太レイプ犯を見ても、今回の事件を見ても、この日本の恐ろしい現実に立ちすくむ。


 レイプ事件の被害者のほとんどが立ち上がれない、だからこそ、届け出率が4%であり、たとえ届け出た後も、今回のようにレイプ犯は野放しにされる。レイプ犯は男社会の特権に守られているから、うちひしがれた被害者を立ち上がらせないあらゆる障壁が待ち構える。

 「警察署から検察官事務所、陪審員席から判事席、はては最高裁判所にいたる法律の執行にかかわる重要な領域において、女性が伝統的に締め出されてきたという事実は、男性の考案した法律の下で正義を求める強姦の被害者にとって、二重のハンディキャップとなってきた。したがって、単に法律の文言のみならず、法律の執行と正義の確立という重大な責任を負っている人びとの顔ぶれも変えていかなければならないのだ。」(スーザン・ブラウンミラー)


 立ち上がった伊藤詩織さんもセカンドレイプに晒されている現実をみれば、この社会がいかに冷酷なのかが思い知らされる。立ち上がれない被害者に私がかけられる適当な言葉もない。だって気力がわかない時期の自らの経験上、何の気力さえ湧かない人に言うべき言葉はない。そっとしておくしかない。そういうわけだから、私が知っている立ち上がった人について紹介してこの記事を終える。


★小林美佳さん、大藪順子(のぶこ)さん、 伊藤詩織さん、キャサリン・ジェーン・フィッシャーさん


▼Micatsuki

   

性犯罪被害者との交流

http://micatsuki.com/


いま、性被害を語る

被写体は性被害者 自身もレイプ被害 写真家・大藪順子さん

2018年5月22日

https://mainichi.jp/articles/20180522/mog/00m/040/005000c


▼2017年10月24日 19時10分 JST | 更新 2017年10月25日 13時04分 JST

伊藤詩織さんに海外ジャーナリストが聞いたこと「日本でレイプがあまり報じられないのはなぜ?」

「私は2年前にレイプされました。悪夢の始まりでした」

https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/24/shiori-ito_a_23253615/


米兵に暴行された在日豪人女性「魂が殺されていくような感覚」

 

 


▼処分保留

https://kotobank.jp/word/%E5%87%A6%E5%88%86%E4%BF%9D%E7%95%99-890622

検察官が起訴するかどうかの処分を決めないまま、容疑者の身柄を釈放すること。逃亡の恐れがなく在宅で捜査を続けられる場合や、勾留(こうりゅう)期間中に十分な証拠を集められなかった場合などに適用される。犯罪疑いが十分にあるものの特別な事情に配慮して起訴しないことを決める「起訴猶予」や、犯罪の疑いが薄いと判断して起訴を見送る「嫌疑不十分」といった不起訴処分とは違い、起訴される可能性は残されている。だが、実務上、処分保留で釈放後に起訴されるケースはあまりない。                        

(2010-09-25 朝日新聞 朝刊 1総合)


▼富山市性的暴行事件 男8人全員釈放/富山
6/29(金) 21:18配信
チューリップテレビ

 今月、富山市で20代の女性に性的暴行を加えたとして男8人が逮捕された事件で富山地方検察庁は29日、8人全員を処分保留のまま釈放しました。

 この事件は今月10日、富山市内のアパートで、県東部に住む20代の女性が初対面の男8人に性的暴行を受けたとして、男8人が強制性交の疑いで逮捕・送検されたものです。
 男たちと被害女性は犯行当日の早朝に知り合い、被害女性が警察に届け出て事件が発覚しました。
 逮捕当初、8人のうち数人が警察の調べに対し容疑を認めていたということですが、地検は、29日付けで男8人全員を処分保留で釈放しました。
 地検は、処分保留の理由を明らかにしていません。


▼富山20代女性を8人で陵辱…容疑者の父親「嫁もつらそう」
2018年6月12日
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/231001/1


 クズ過ぎる。男8人で見知らぬ20代の女性を陵辱――。ベテラン捜査員でさえ記憶にないという、前代未聞のレイプ事件が起きた。

 路上で声を掛けた女性を富山市内のアパートに連れ込み、集団で性的暴行を加えたとして、8人の男が11日、強制性交等の疑いで富山県警に逮捕された。

 逮捕されたクズどもはいずれも射水市の会社員、村中圭介(31)、堀下峻(30)、郷倉郁也(30)、後田知之(30)、松本浩之(30)と、いずれも富山市の無職、上谷知也(30)、会社員の土林礼征(27)、会社員の端保貴大(25)の8容疑者。8人は同僚や同級生、知人同士だという。

 10日午前4時ごろ、富山市内の繁華街の路上で8人のうち数人が、酒を飲んで帰宅途中だった女性たちに「もう一軒行こう」と声を掛け、一緒に飲食店に入った。すっかり夜も明けた早朝6時前、1人の女性に「家まで送ってあげる」と言って車に乗せ、女性の自宅ではなく仲間の1人が住むアパートへ連れて行った。

「付近には住宅もあるので、騒がれたらマズいと思ったのでしょう。無理やりというより、うまいこと言って部屋に上がらせた感じです。しかし、家のドアが閉まった瞬間、男たちは態度を豹変させた。女性は肩や手足を押さえられて衣類をはぎ取られ、入れ代わり立ち代わり犯され、男性器を口にくわえさせられたそうです。約2時間にわたり、さんざん体をもてあそばれ、朝8時ごろようやく解放された」(捜査事情通)

 女性はアパートを出た直後、携帯電話で「見知らぬ男たちにアパートで乱暴された」と110番。すぐに駆け付けた捜査員が、付近にいる数人の男を発見。職務質問したところ、一部容疑を認めたため、すでに現場を離れていた連中にも任意同行を求めたという。8人のうち、ほぼ半数が「みんなで無理やり暴行した」と認め、もう半数は「無理やりではない。同意があった」とトボけているそうだが、8対1で同意などあるわけがない。

「8人のうち、5、6人は小中学校の同級生のようです。少なくとも、郷倉容疑者と後田容疑者は結婚していて、嫁も子供もいる。後田容疑者は、国交省から受注した道路工事の仕事をしていたようです。皆、結構な年齢ですし、これだけの人数が集まって、初めての犯行だったのか。余罪も含めて、調べる予定です」(前出の捜査事情通)

 一番年下の端保容疑者の父親が、日刊ゲンダイの取材に応じた。

「ニュースで聞いて初めて(逮捕を)知った。警察から電話があり、(息子の)嫁が出て(捜査員から)『今、警察にいます。着替えを持ってきてください』と言われた。(息子とは)一緒に住んでいて、結婚して保育所に行っとる男の子が2人いる。嫁もつらそうだった。大変なことをした」

 クズたちは、自分たちが犯した罪の大きさがどれほどのものか、分かっているのだろうか。

最終更新:6/29(金) 21:18


▼小野和子『京大・矢野事件 キャンパス・セクハラ裁判の問うたもの』インパクト出版、1998年

頁182──(「井上摩耶子・意見書」より)

 昨年(引用者注:1995年)9月に来日したアメリカのフェミニスト法学者、キャサリン・A・マッキノンは、「法律は男性の視点から書かれてきた」ので、「女性はあいかわらずレイプを届け出ないようにしているが、それは、司法制度が女性の視点から見てくれないだろうと信じているからである。レイプが有罪となる確率は非常に低い。強制的な力が働いても、レイプされたのではないと信じている女性も多い。彼女たちは法的に立証できるようなやり方ではレイプされなかったということなのだ」と述べている(『フェミニズムと表現の自由』、奥田他訳、明石書房、1993年、146頁)。
 被害女性がマッキノンがいうような意識をもつのは、裁判において、裁判において、性暴力被害者の心理や行動が誤解されてきたからである。カウンセラーとしては、性暴力裁判に対して次のような問題点を感じている。
 性暴力裁判における第1の問題は、強姦をはじめとする性暴力が「望ましくないもの」とは認識されていないことである。部落差別や障害者差別、学校でのいじめは不当行為として、被害者の人権侵害であると認識されているが、それと同じく女性への性暴力が女性被害者への人権侵害であるとは考えられていない。裁判においても、女性被害者がそれを「望んでいる」という前提のもとに、・・・


▼S・ブラウンミラー『レイプ 踏みにじられた意思』幾島幸子訳、勁草書房、2000年

頁313──

 現代法を全面的に見直し、性的暴行に関連する法律に新しいアプローチを採用するには、法の執行面でも新しいアプローチをとることが必要になる。制定法を誰が解釈し執行するかは、法律の内容そのものと同じくらい重要なのだ。現時点では、性的暴行の被害者が法的正義を求めるには、警察や裁判所の複数の男性に依存しなければならないが、彼らはその男性的指向性や価値観、内面に抱えた不安などから、加害者側の陣営に安穏と身を置いているといわざるをえない。
 レイプにまつわるもっとも痛烈な皮肉といえば、聖書に出てくるヨセフとポティファルの妻の逸話以来さまざまな民間伝承に受け継がれてきた、犯してもいない強姦の罪で告発される男の恐怖だろう。この恐怖は、ジグムント・フロイトとその弟子たちの精神分析理論において新たな生命と意味を付与されることになる。そしてこれが狡猾で嘘つきで執念深い女から男を守るという集合的目的だけを念頭において作られた特殊な証拠基準(同意、抵抗、貞節、補強証拠)に助けられ、レイプの告発に対する弁護の核心をなすにいたったのである。
 どんな犯罪においても、虚偽の告発に対する恐怖は──たとえば、悪意にもとづかない人違いといった場合もあるのだから──まったく故なきものとはいえない。だが男たちが、女はレイプされたといとも簡単に嬉々として触れて回るという説を世の中の男女に首尾よく流布させている一方、現実には被害にあった女性は被害を届け出て法の正義を求めようとせず、泣き寝入りすることが多いというのは、まったく皮肉な話である。女性が被害を届け出ない理由は、事件を公にするのは恥だという思い、性的攻撃を受けていながらそれが自分の過失だと感じてしまう複雑な二重基準、加害者から復讐されることへの恐怖(1度でも強姦された女性にとっては、再び同じ目に遭うのではないかとの恐怖は当然大きくなる)、そして自分の供述が皮肉や嘲笑を買うことへの不安(それを十分に裏づけるだけの証拠を、女性たちはこれまでいやというほど見せつけられている)などさまざまである。
 1965年に出されたFBIの『統一犯罪統計報告書』によると、警察に被害届が出された強姦事件の20%は「捜査の結果、根拠なしとの結論に達した」。1973年にはこの数字は15%に減少しているが、それでも強姦は依然として「もっとも届け出が少ない犯罪」であった。虚偽の告発が15%というのはどう考えても多すぎる数字だが、その後ニューヨーク市が性犯罪分析特別班を設置し、婦人警官に届け出た被害者の面接にあたらせたところ、同市における虚偽告発率はわずか2%にまで下がった。これはその他の暴力犯罪における虚偽告発率とぴったり一致する。この統計の謎が何を物語っているかはいうまでもない。女は女の言葉を信じるが、男は信じないということだ。
 警察署から検察官事務所、陪審員席から判事席、はては最高裁判所にいたる法律の執行にかかわる重要な領域において、女性が伝統的に締め出されてきたという事実は、男性の考案した法律の下で正義を求める強姦の被害者にとって、二重のハンディキャップとなってきた。したがって、単に法律の文言のみならず、法律の執行と正義の確立という重大な責任を負っている人びとの顔ぶれも変えていかなければならないのだ。
 完全な男女平等を勝ちとるためには、この法の執行というきわめて重要な分野における男女の均等を達成するための闘いの成否が試金石になると私は信じている。法の執行とは文字どおり、必要に応じて強制力を行使しつつ社会秩序を維持することである。そして強制力とは、古くは復讐法の時代以来──体格や力の強さ、生物学的構造、そして慣習的に女性を排除してきたきわめて意図的な訓練のおかげで──男たちの特権とされてきたのだ。


頁332──

 もちろん私は、男女を問わずどんな年齢の人も、暴力犯罪の徴候があれば十分に警戒し、護身に努め、不案内な土地での夜道や不意の来訪者といった危険な可能性の潜む状況に気をつけなければならないと思う。だが女性にだけ特別な警戒という重荷を背負わせることは、何の解決ももたらさない。レイプに個人的解決法などありえないのだ。この種の忠告に一字一句素直に従い、それで社会の利益──あるいは自分の利益──に寄与していると考えている女性がいるとしたら、それは大きな思い違いである。その人個人に危険が及ぶ確率はたしかに多少は緩和されるかもしれない(もっとも塀に囲まれた修道院で強姦された尼僧もいるくらいだから、その効果とて疑わしいと私は思う)ものの、社会に野放しになっている潜在的レイピストの数はまったく減らないばかりか、レイプが最終的に女性の精神的・情緒的健全さに与える影響は、その行為が実際に行われることなしに、達成されてしまうのだ。なぜなら、自己防衛という特殊な重荷を受け入れることは、女性は恐怖に怯えながら生きていかねばならず、男性と同等の自由や独立や自信を手に入れることなど不可能だという考え方を強化することにほかならないからである。

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