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貴族階級の紫式部が書いた『源氏物語』と真夏のガードマンの肌の色

 もう忘れてしまうくらいの昔の話だが、「kojitakenの日記」に以下の記事が掲載された。

kojitakenの日記

2018-01-11 「『ブラック企業』は『差別用語』か」に「答え」が出た!?

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20180111/1515629162#c

 

 

 このブログ主は以下のツイートに反応したわけだが、私は「答え」がチンプンカンで「こたつぬこ」氏に何度か質問したが無視であった。


★こたつぬこ

https://twitter.com/sangituyama/status/950314019558010880

何年か前に「ブラック企業」というときに「ブラックとか言うのは黒人差別だ」なる批判が一部左翼からされましたが、答えはこれですよ。

  


こたつぬこ

https://twitter.com/sangituyama/status/950319011211849728


年末の番組で、黒塗りしてるダウンタウンはもちろんアウト。でも、黒であることは、人間の尊厳であり、受け身でなくそれが世界をきりきらくことを称賛することが、いまはだいじなんじゃないかな。twitter.com/sangituyama/st

喪服はもともと白かった

中国や韓国、ベトナムなどのアジア諸国でも「喪服は白」が一般的(白を着用するのは遺族のみ)。
中国や韓国、ベトナムなどアジア諸国でも「喪服は白」が一般的。

▼ジョン・W・ダワー『人種偏見 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』猿谷要監修・斉藤元訳、TBSブリタニカ、1987年

頁242──

 戦時中、日本の公式文書は、白色人種と有色人種との戦争と称することを避けるべきである、という警告は終始一貫して繰り返した。前述の宣伝方策が明記したように、そうするには単純な理由があった。というのは、ドイツ、イタリアと同盟を結んでいることと相容れなかったためである。と同時に、何人かの政策立案者や有力者も、より理想主義的な理由から人種戦争レトリックを批判した。これは日本が戦争目的とする高い道義的理念と、まったく矛盾すると彼らは言い切っていた。たとえば、戦時中の日本の国家主義的グループの中でも最も哲学的なものの1つだった京都学派は、この点を常に強調していた。
 こうした警告は、あっさり無視された。・・・

頁244──

 肌の色の問題は、白人至上主義について長々と論じた憤懣やる方ない痛烈な非難という形をとって、たびたび提起された。たとえば日本人は、アメリカ国内の黒人に対する人種差別やリンチについてよく知らされており、アメリカ当局者の露骨な人種主義的発言は、必ず公表された。日本でよく知られるようになったのは、もし日本人が東洋の盟主であるならば、天は彼らを白くしたはずだ、というある下院議員の発言である。英米人が「有色人種は自分達に家畜の如く奉仕する人種だと考へている」と、ある大衆誌は書いた。ほぼ同じ調子で戦時ユーモア雑誌「大阪パック」は、アメリカ人によって書かれたという架空ノートからの抜粋を載せたが、下手な祈りの文句のような次の断章があった。「世界は我々米英人の幸福のためにある事は間違ひのない真理である。黒人も黄色人も皆我々い奉仕して行く事が平和といふものではないか。ああ主よ。主は居眠りをし給ふたか。アーメン」

頁245──

 白と赤のイメージ

 こうした例があったけれども、「白人」を引き合いに出すことが、戦時中の日本のレトリックの特徴だったわけではなく、日本人がアジアでの戦闘を識別する際、肌の色が西洋におけるような役割を演じたわけでもなかった。西洋の人種主義的な考え方で大いに幅をきかせた白色・黄色・黒色の大きな図式は、日本人とアジア人に連帯感を抱かせる手段としてまったく役に立たなかった。日本人が「黃色」とか「有色」と自称することも時にはあったが、西洋での白人至上主義に匹敵する「黄色至上主義」とか「有色至上主義」という言葉はなかった。これが現れなかった1つの理由は、日本人自身が他のすべての「有色」人種を、見下していたためであることは間違いなかった。と同時に興味をそそるのは、彼ら自身が古代から「白さ」を尊重してきたことである──個人の肌の色ばかりか、清浄さという抽象的シンボルとしても。
 色のもつ意味、肌の色、それに人種的な態度が混ざり合った独特の状況は、歴史の冷酷なジョークの1つかも知れない。ハーマン・メルビルが『白鯨』の中の「クジラの白さ」という章で、きわめて印象的に物語っているように、白さは西洋の伝統の中で多くの暗示的な意味をもっている。それは決して疑う余地のない善というわけではない──が、だいたい一般的な用法では、白は純粋および清潔を連想させる。たとえ連想するものがよりあいまいであったり仮に不吉な場合でも、白は神秘および権力という雰囲気をもつ傾向がる。と同時に黃色は、不愉快な状況を西洋では連想させる(一方、黒は古代からより否定的な意味を帯びてきている)。黃色は病気、特に黄疸の色であり、ここから弱さ、ひいては体の弱々しさから臆病を連想させる。伝統的なキリスト教の絵画で黃色は、裏切りの色であり、ある国々では宗教裁判の間、異教徒は黃色い衣服を身に着けるように命じられた。
 日本でも、白は古代からほめたたえられてきている。それはまず、清浄さの色である。たとえば、お祓いをする神官は白装束をまとっている。色白ということは、社会的地位の高さと同じく容姿の美しさを連想させる。これは古代の文学や絵画を見れば一目瞭然である。少なくとも平安朝から、日本では色白の貴族が理想的と考えられてきており、『源氏物語』の読者なら誰でも、色黒の人々が物笑いの種になりがちなことを知っている。古代社会においては厚化粧が物を言ったが、白色ということが上流階級や特権階級を暗示することは歴然としている。色黒の人々は、太陽の下で仕事をする労働階級だったのである。
 1940年代はじめの著作の中には、日本人の肌の色を肯定的に強調している例がいくつか見られる。・・・
 

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