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日の丸はアヘンの商標

 

 アヘンで大儲けした戦犯=岸信介が大昔にいたが、・・・現代はといえば、そういう祖父を尊敬する安倍晋三政権の独裁下で、「HINOMARU」などという珍奇な題名の歌の時代錯誤の歌詞を若い音楽グループが歌う御時世なのだ。歴史無知がどのように昂じるとあのような酷い歌詞を羅列するものかと不思議でならないが、化石のような歌詞から発せられるその確信犯的な無知は恥ずかしくておぞましいものだ。日本のどんな若い歌手も戦前の日本帝国の大罪に知らんぷりなどして生きていけるはずもないのだが、こんな己の歴史無知を自慢するような故意の無知さえ許されるなら、私たちは愚者になりはてるしかなく、そう言うまでもなく人間をやめた方がいい。


 以前私は、「日の丸など燃やしてしまうだけの存在だ!」と書いたが、以下の引用を読めば少しは理解できよう。


▼江口圭一『日中アヘン戦争』岩波新書、1988年 

頁179──

日の丸はアヘンの商標

 日本のアヘン・麻薬政策の最末端の状況・光景をいくつかみておこう。
 東京裁判に検察側書証として提出された上海在住アメリカ財務官の報告は、満州事変下の満鉄沿線地帯の状況について、
    支那人経営の各アヘン店は蒙るかもしれない難儀にたいする用心棒として、日給2円および(ママ)3円で、少なくとも1人ないし2人の日本人または朝鮮人を雇わねばならない。こうすることによって、これらの店は日章旗を掲げる権利を与えられる。
と述べている。
 日章旗の掲揚はアヘンの販売が日本側によって公認されていることの標識であった。このことから日本側にしてみれば、とんだ勘違いが生じた。関東軍総参謀副長から敗戦直前に内閣綜合計画局長官となった陸軍中将池田純久は『陸軍葬儀委員長』(1953年)のなかで、つぎのように書いている。
  
     [支那]事変当時、日本で喰いつめた一旗組が、中国の奥地に流れ込んで、アヘンの密売に従事しているものが多かった。かれらは治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。だから中国人のうちには、日の丸の旗をみて、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった。  
     戦前にある日本の名士が中国奥地を旅行した。車窓から山村の寒村に日の丸の旗が翻っているのをみて、「日本の国威がかくも支那の奥地に及んでいるのか」と随喜の涙を流したという話がある。なんぞ知らん、それがアヘンの商標であることを知ったら、かれはなんといって涙を流したであろうか。
     とにかく日本人のアヘン密売者は中国人から蛇蝎の如く恐れられていた。
 
 故黒羽清隆氏は『15年戦争史序説』(1979年)で、この池田の記述を引用し、「これほどにきびしい『日の丸』論を私は知らない」と書いたが、同感というほかない。



▼岸信介の「作品」 アヘン中毒の悲惨な実験国家

(更新 2013/5/11 11:30)

http://dot.asahi.com/wa/2013051000039.html

 「革新官僚」として統制経済を唱えた戦前の岸信介は、満州国という実験国家を自らの「作品」と呼ぶ。しかし、満州国のベールをはぎ取った実態は、戦費のために人々をアへン中毒に追い込み、ぼろぼろにする悲惨なものだった。

  岸が満州国の実業部総務司長に転出したのは1936年10月。翌年には産業部次長兼総務庁次長に昇進、満州国の実質的な最高首脳のひとりとなった。最高首脳として推進した政策は、産業開発5カ年計画の実行と日本産業(日産)の満州国誘致だった。

  岸は遠縁に当たる日産の総帥、鮎川義介(よしすけ)を説得するために、軍用機を使って満州国の新京と立川飛行場の間を往復した。鮎川は、日産コンツェルン全体の満州国移駐を決め、満州重工業開発(満業)を誕生させた。満州国経済は文字通り、岸の「作品」となった。

  しかし、5カ年計画や満業が「作品」の表の顔だったとすれば、裏の顔はアヘン政策だった。岸は「満州ではアヘンを禁止し、生産もさせないし、吸飲もさせなかった」と言っているが、実態とはかけ離れている。

  ここで、「アへン王」と呼ばれた男、里見甫(はじめ)の証言を聞いてみよう。

  1946年3月1日、里見は、国際検察局(IPS)に逮捕された。IPSは極東国際軍事裁判の法廷に、日本最大の戦争犯罪のひとつであるアヘン政策を告発するために里見の身柄を確保、同月5日から尋問を始めた。尋問にあたったのはIPS検察官のウィリアム・ホーナディ陸軍中佐。

  筆者は、ワシントン郊外にある米国国立公文書館別館を訪れ、同館所蔵の里見尋問調書全文を入手した。

  調書の中には、尋問中に里見が書き、IPS速記タイピストがタイプし直したチャート図が1枚あった。まさに「アヘン王」自らが示す中国大陸アへン流通の概略図だ。

  図を解読してみると、アへンは満州国と蒙彊(もうきょう)政権管内で生産され、北京と上海を中心に広東、厦門(アモイ)、関東州、日本で消費される。この流れを東京・霞が関で監督しているのが、1938年に設置された興亜院だ。

  アへンは芥子(けし)の実から採れる。原料アへンからモルヒネやヘロインができるが、原料アへンを少し加工したものでも、その煙を吸うとあらゆる苦痛が鎮まり、多幸感が得られる。アへン吸飲は容易に中毒となる。アヘンが切れると中毒者には厳しい禁断症状がやってくる。その苦痛のために気絶することもまれではない。このため、中毒者は妻子を売ってまでしてアヘンを手に入れようとする。アヘン売買はまちがいなく大きな儲け口になる。

  満州国はアヘン吸飲を断固禁止する政策を採らず、登録した中毒者には販売する漸禁政策とアへン専売制を採用した。しかし、登録制度は機能せず、だれでもアへンを買えた。戦前日本のアへン政策を追究した元愛知大学教授、江口圭一の『日中アへン戦争』によれば、満州国のアヘン専売利益金は、岸が赴任した1936年度には全歳入の5.0%だったが、岸が帰国する1939年度には5.6%にまで伸びた。

 (本文敬称略)

※週刊朝日 2013年5月17日号

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