FC2ブログ

「黒人身体能力神話」(川島浩平氏命名)の流通、米国と日本の違い

   例えばスポーツの暴力指導問題では、伝説的なプロ野球選手の長島茂雄とか王貞治が時代の価値観の変遷にはついていけず、時代遅れの醜態をさらしているのだが、今回はその問題ではなく、長嶋茂雄の現役時代に形容された「動物的な華麗な守備」とか監督時代の「動物的勘ピューター」などに視点をあてる。


 広島カープの菊池二塁手の守備は、チーム内では「動物的動き」と認知されていたようで、以前ヒーローインタビューで前田投手が持参したバナナがそれを物語っている。差別問題に厳しいサッカー界でバナナは即アウトだが、長島への形容が「褒め言葉」と認識されてきた日本では、選手をサルにたとえることにもブレーキはかからないようだ。


 というような事情があり、かつ差別語「ブラック」が大氾濫する名誉白人低国の日本だから、当然のように「黒人身体能力神話」がまかり通っている。よって今回のサッカーのワールドカップでもそんな言説がちらほら見受けられるわけだ。


 差別語「ブラック」問題と「黒塗りメイク」問題、そしてこの「黒人身体能力神話」(川島浩平氏命名)問題も歴史的に培われた名誉白人意識の上に、黒人の歴史についての無知と科学無知が絡み合い、日本の愚劣を際立たせる。私は経験上、「自転車通学」と「スクールバス通学」の子どもがどっちがマラソン競技に強いか?を問題提起したが、この種の単純な答えが偏見から人を遠ざけてくれるのである。


追記:単純な答え

 もちろん言うまでもなく、黒いパジャマで毎日寝ながら、時には黒い靴下をはく私が、黒いキーボードを使って無法企業・不法企業・搾取企業・ゴロツキ企業を称して「ブラック企業」などと差別語「ブラック」と打ち込む愚劣は絶対しない。「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」のだから・・・

 


 



▼日本社会における「黒人身体能力神話」の受容 : 「人種
」/「黒人」という言葉・概念との遭遇とその習得を中心

川島, 浩平

ttps://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/148032/1/100_77.pdf

・・・

「黒人身体能力神話」の浸透は, その起源であるアメリカ合衆国(以下アメリカと略す)だけでなく, ヨーロッパやアジア各国でも見られる点で,国際的な視点から検討されるべき課題である。しかし,それがすぐれて日本的な現象であることも看過できなし、。たとえばアメリカでは,人種主義に対する警戒や統制ゆえに「神話」はタブーと化し,少なくとも公的な舞台で認知されることは皆無といってもよし、。他方日本では,人種主義に対して比較的鈍感な文化的土壌も手伝って,「神話」が一方的に承認されることはあっても,批判的観点から姐上に載せられることは滅多にない。実際日本では,指導的立場にあるものでさえ,「神話」を前提として発言することが多い。たとえば,陸上短距離種目のコーチングでは, 「『黒人の天性』に対抗するには, 日本人は『技能(スキル)』 を磨く以外にない」と教えられると聞く⑥。「黒人だから強い」という言説に潜む人種主義を指摘するだけで「褒めてなぜ悪い」,「事実だから仕方ない」といった反論を受けることも少なくない ⑦。

・・・


・・・


⑥ 筆者が筑波大学大学院や東海大学に学んだ元短距離スプリンターから聞いた話では, トレーニングの現場では, 黒人アスリートに天性の才能があることはむしろ当然視され,この点を疑問視する風潮は皆無であるという。末続慎吾が2003年にパリで開催された世界陸上選手権で銅メダルを獲得した当時は,彼の走りが日本古来のナンパ走法の応用であるとされ,日本人の技能が黒人の天性に勝る日が近づいた証拠としてもてはやされた。

⑦ 大学の授業でたびたび「黒人は天性のアスリー卜である」との発言に潜む人種主義の可能性を指摘したことがあるが, 当惑し,反感さえ抱く学生が少なくない。そのような学生が口にする反論としてもっとも多いのがここに紹介したものである。


▼ジョン・G・ラッセル『日本人の黒人観 問題は「ちびくろサンボ」だけではない』新評論、1991年

頁72──

 日本人が入手する黒人についてに情報は、すべて白人社会によって提供される情報である。アメリカのマジョリティ・カルチャーである白人文化、すなわち権力を持つ側の文化の目から、マイノリティ・カルチャーを見るわけである。それはマジョリティ・カルチャーが持つマイノリティ・カルチャーに対する偏見と差別観をそのまま受け入れることになる。・・・

頁84──

 黒人の健康美や機能美の象徴であり、天才的なスポーツ選手やダンサーであると言うのは、一種の褒め言葉に聞こえるかもしれないが、問題は、黒人の能力をこの側面でしか見ようとしていないということだ。その上、その「天才的な才能を持つ」という観念は、黒人がその才能を開花させるまでの努力を無視することにもなる。したがって、黒人の知的活動や努力を無視し、肉体的な活動、体力だけを強調することによって、文学やマスコミによく出てくる「黒人=力」という連想や、政治家の問題発言が示唆するように、「黒人は知的レベルが低い」という固定観念をいっそう強化することになる。椛島忠夫の言葉を言い換えれば、レッテル貼りは、対象・他者をレッテル面だけに限定して考えさせ、それ以外のあり方、性質を無視させる危険性がある。同じイメージを何回も繰り返せば繰り返すほど、それがどんなに歪んでいても、しだいに事実のように見えてくるのである。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

檜原転石

Author:檜原転石
FC2ブログへようこそ!

世の中は無名の一人でも変えられる

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR