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「ホワイト経営」という言葉が流通する名誉白人低国で考える・・・、ホワイト・パワー音楽って?

 ホワイト・パワー音楽については、前田朗先生がブログで解説しているので、ここに引用する。


▼Re: [CML 038887] ブラック企業批判ふたたび 今野晴貴『ブラック企業2』

2015年 8月 1日 (土) 05:57:40 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2015-August/038994.html


檜原転石です。

前田朗さん、こんちは。


米国で人種主義者がホワイトパワーを連呼しているけど、日本低国は「ホワイト企業」「ホワイト社会」を目指すというわけですね。

そうあなたはこれからもトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・
「ブラック大学」など)を拡散させる役目を担うというわけですね。

一方あなたはヘイトスピーチ(差別扇動表現)にも数多く発言して、それがPC運動(差別と偏見のない表現を目指す運動)と密接に関連していることも知っている。

▼師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年

頁38──

「ヘイト・スピーチ」という用語の誕生

・・・
 同じ1980年代には、大学への非白人および女性の進出に反発する差別事件が頻発したことに対し、当事者や大学研究者を中心に、差別的表現の是正・禁止など言語を中心とする文化面での差別撤廃としてのポリティカル・コレクトネスpolitical correctnessを求める運動が盛んになった。その一環として、多くの大学が、ヘイト・スピーチを含むハラスメント行為全般を「ヘイト・スピーチ」という言葉も広がったのである。

*****


以下再投稿──

「差別扇動表現(ヘイトスピーチ)」について頻繁に発言している前田先生ですが、何故かPC運動(差別・偏見のない表現を目指す)は“言葉狩り”だと言い、まるで言葉の言い換えが不当だという筒井康隆並のトンデモも口走ります。常識で考えて、「差別扇動表現(ヘイトスピーチ)」に反対することと、PC運動(差別・偏見のない表現を目指す)は車の両輪のような気もしますが、何で前田先生はそう考えないのでしょうか?

米国では憎悪犯罪(ヘイトクライム)で黒人(ブラック)9人が射殺されていますが、日本ではブラックにあらゆる悪を含意させトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)が大流行しています。まあ言い換えれば日本ではブラックに対する差別・偏見を大氾濫させていますが、この状況は前田先生にとっては好ましい状況なのでしょうか?あるいは好ましくはないが、やむえない状況なのでしょうか?それとも両者はまったく関係ない事象であると考えているのでしょうか?さらに、こういう質問自体が愚劣なのでしょうか?








On 2015/07/31 10:13, maeda at zokei.ac.jp wrote:
> 前田 朗です。
> 7月31日
>
> ブログを更新しました。
>
>
> ブラック企業批判ふたたび
> 今野晴貴『ブラック企業2――「虐待型管理」の真相』(文春新書)
> http://maeda-akira.blogspot.jp/2015/07/blog-post_30.html
>


▼[CML 034170] ホワイト企業、ホワイト大学、ホワイト国家、ホワイト・パワー音楽

2014年 9月 29日 (月) 06:34:01 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-September/034235.html


檜原転石です。

前田朗先生こんちは。

白人至上主義運動を煽るホワイト・パワー音楽ですか・・・

しかし日本低国ではトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブ
ラック大学」など)の対義語としての
トンデモ和製英語「ホワイト」も大流行。「幸せな奴隷」が名誉白人化にまっし
ぐらです。
ホワイト企業、ホワイト大学、ホワイト国家、ホワイト上司、ホワイト・パワー
音楽と並べて見ても、・・・まずくない?

▼[CML 034172] トルコ風呂呼称がなぜ消えたか、ホワイト・パワー音楽

2014年 9月 29日 (月) 12:09:08 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-September/034240.html

檜原転石です。

石垣さん、こんちは。

まったく、「ホワイト企業」という言葉を使う愚者がホワイト・パワー音楽から
何を連想するのか興味があります。

まあブラック・パワーを好意的にとらえている人ならば、ホワイト・パワー音楽
を危ない音楽だととらえるのでしょうが、
トンデモ和製英語「ブラック」が流行っている日本では価値基準が逆転してます
から、それをただす意味でも、
白人至上主義運動を煽るホワイト・パワー音楽という言葉を流行らせるのはいい
ことかも。


さて、黒人に直接抗議を受けにない限り、トンデモ和製英語「ブラック」の氾濫
は止まらないのではないかという危惧は
私にもあります。『「ブラック企業」は、人種差別用語である 』と書いた高橋浩祐
は親戚にスリランカ人がいたわけですが、
彼の発言後でも、氾濫が止まる気配はありません。それでも私たちにできること
は、「駄目だ!」と言い続けることですが・・・。


檜原転石の発言集:トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)の“言葉狩り”を継続中・・・


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[ リスト ]

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39226793.html

     

 不思議でもないだろうが、ネットでも雑誌でも記事の中にトンデモ和製英語「ブラック」を発見するたびに私はストレスを感じている。これは言葉との闘いではいいことかも知れないが、ある意味私には堪える。こんな私でも最初はトンデモ和製英語「ブラック」に敏感に反応できたわけではない。突然の反応はあるキッカケで起きたわけで、ある掲示板で「ポン引き市長」という言葉の使用をとがめられた時だ。「そう言いますけどあなたたち、こんな言葉も流行ってますよ」という思考回路の中で「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動の記憶もよみがえったわけだ。

 かように人間の記憶は当てにならないもので、あるキッカケで私は記憶の引き出しを開けたに過ぎない。よって私に起きたことは他の人にもおこるわけで私に多勢に無勢の闘いも続く。

・・・

 おおざっぱに言って、現在日本で、黒に偏見をまとわりつかせる元凶はといえば警察用語の「黒」と白人英語のblackでしょう。警察用語の「黒」は警察になじむ記者・モノカキ・法曹関係者などから発せられ私たちを洗脳します。加えて、この頃のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫で「ブラック」は白人英語のblackに限りなく近づき、白人英語なみに悪が含意されます。よって名誉白人用語のトンデモ和製英語「ブラック」とよんでよいわけです。


 米国の黒人の好ましい呼称にブラックについでアフリカンアメリカンもあり、これはアフリカ系アメリカ人と訳されます。歴史をよりさかのぼれば、現代科学では人類はすべて“アフリカ系”と分かっていますし、アラビア半島の南岸をたどった人間も数百人と推定されています。で、この人類みな兄弟姉妹の末裔が現代にいたり、限りを知らない強欲なガリガリモウジャ連中によって、人間の平等がズタズタにされています。

 人間の平等は人類が獲得した叡智ですが、この頃の研究では不平等性に対する嫌悪は扁桃体も関わっているという知見もあるのです。平等な分配をする狩猟民族には鬱がないという研究もあり、これらから強欲企業独裁の門をくぐりつつある人類がいかに危機的かは理解できます。

 言葉は人のものの見方を端的に表すので、黒に悪を含意して使っている人は、ものの見方に偏りがあるとも判断されます。新しい知見で言葉は常に検証されていくべきもので、私たちは自らの知識に見合った言葉を使えばいいのです。
よって遅れた言葉など使う必要もありませんし、トンデモ和製英語「ブラック」など使ってはいけない言葉です。

 「信教の自由」で最も大切なのは宗教を信じない自由です。よって、“ある言葉を使わない自由”など、正々堂々と主張していけばいいのです。これに関して「悪質な恫喝」などアホを抜かすヤツもいますが、法曹界のメダカ社会,同窓会のメダカ社会で身動きできないだけの人間なのでしょう。

 たった一人の中学生だって、多勢が従う愚劣をぶちこわしたことができたのに、大の大人の私たちが“ある言葉を使わない自由”で縮こまっていてはいけません。もちろん英語帝国主義下では“英語を使わない自由”も正々堂々と行使されなければなりません。

★米国の人種・民族の自称についての国勢調査(1995年)で、黒人の場合
は、混血も含め、単純に「アフリカ系」でない者も含まれて、
一番好まれている呼称は「ブラック(黒人)」(44.15%)だった。「アフリカ
系アメリカ人(African American)」 28.07%、「アフロ=アメリカン(Afro-
American)」12.12%

★人権派の前田朗先生曰く――

文脈を無視して何でも差別だと言い募ることを、PC(Political Correctness)と言います。PCは日本的に言えば差別語狩りです。相手に対する差別が行われている場合ではなくても、言葉が気に入らないといって非難することであり、不毛な議論の原因となります。「**が聞いたらどう感じるか」と、勝手に文脈を変えることは止めましょう。文脈と意味を読み変えて非難するのは、悪質な恫喝となります。

****

「差別語狩り」が駄目だと考えている致命傷はともかく、簡単な想像力で――

 日本のある会社に黒人の上司がいて、ある労働者が上司を「ブラック上司」だとあしざまに非難した場合、前田先生はどう言いつくろうつもりなのか?

 『ホワイトラブ』という歌が流行った日本では、ホワイトに白人の意味があ
り、ブラックに黒人の意味があることさえ知らなかった。よって「ブラック会社」「ブラック企業」という愚劣な言葉も馬鹿で暇なネット市民が発見できた。加えて同じく無知な人間(今野晴貴などや『しんぶん赤旗』など)がこのネットの卑語を使えると錯覚して採用してしまった。
この現象を称して――「無知は力!」だ、トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)大氾濫!


▼前田朗Blog

Saturday, September 27, 2014

ヘイト・ロックとは何か

http://maeda-akira.blogspot.com/2014/09/blog-post_92.html


 ヘイト・スピーチには、ジェノサイドの煽動や人道に対する罪としての迫害のように極限的で激烈な犯罪も含まれる。他方で、ホロコースト否定や、差別的発言もヘイト・スピーチに含めて理解する例もある。ひじょうに幅の広い概念であり、ヘイト・スピーチの定義はなかなか難しい。そこでヘイト・スピーチの行為類型論が必要であり、すでに、のりこえねっと編『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』(七つ森書館)などで、ヘイト・スピーチの行為類型の整理を試みた。その関連で、ヘイト・スピーチの多様性を考えていた際に、ヘイト音楽に関する論文を目にした。
 以下では、コリン・ギルモアの論文「ヘイト・ロック――ポピュラー音楽形式における白人至上主義」を簡潔に紹介する。
 ギルモアは冒頭に「現在の白人至上主義運動には、若者のサブカルチャーが含まれ、人種主義ロック音楽の促進と流布によって組織されている。南部法律センターや反中傷連盟など、アメリカにおける人種主義右翼を監視してきた人権団体によると、『ホワイト・パワー』音楽産業は長年成長してきた。反人種主義活動家によると、ホワイト・パワー音楽の販売収益が白人至上主義運動を財政的に維持してきただけでなく、ネオナチ組織やスキンヘッド集団に若者が参加するよう促すメッセージを発してきた」という。
 ギルモアによると、アメリカでは人種的不寛容の表現が憲法上の言論の自由として保護されているため、比較的小規模のホワイト・パワー音楽が国際的に人種主義スキンヘッドに影響を及ぼし、東欧諸国に広まっている。欧州諸国ではホワイト・パワー音楽の演奏や販売が禁止されているので、特にドイツでは、ホワイト・パワー音楽のメンバーを人種憎悪の煽動ゆえに刑事施設収容する例もある。
 社会学において従来、サブカルチャーにおいて音楽が参加者のアイデンティティを形成する意義が問われてきた。音楽は諸個人にとってリアリティを形成する。ホワイト・パワー音楽家は彼らが大事に思う音楽サブカルチャーにおいて独特に地域を占める。ホワイト・パワー音楽家はその集団のイデオロギー的地位やあるべき行動を提供する。それゆえホワイト・パワー音楽は組織された人種主義集団の多くにとっての参照枠を共有する。
 こうした関心からギルモアは、ホワイト・パワー音楽にかかわる一七人の個人にインタヴューした。スキンヘッド集団、ネオナチ集団、現代白人優越主義集団などにかかわったメンバーである。

1 ホワイト・パワー音楽小史

 ギルモアによると、ホワイト・パワー・ロックは白人優越主義運動のフォークと繋がっていた。白人優越性のメッセージをもとに歴史的事件の修正を試みる語りが歌詞となった。白人優越主義にとって好ましいヒーローを描いた歌詞もある。
組織された人種主義集団が音楽を宣伝手段としたのは録音された音楽の歴史の始まりとともに起きていた。一九二〇年代、クー・クラックス・クランによって音楽シートや78ミリ・レコードが制作された。インディアナ州で設立されたKKKレコードは伝統的な宗教音楽にのせて反移民を歌った曲を発売した。アメリカ・ナチ党の創設者ジョージ・リンカーン・ロックウェルは音楽を宣伝促進手段とした。一九六〇年代にヘイテナニ・レコードから発売された。
公民権運動の時期に、隔離政治や人種憎悪を促進するためにレコードを発売するレコード会社も見られた。一九六六年~七二年、ジェイ・ミラーというシンガー・ソング・ライターがルイジアナ州でレッド・レーベル・レコード会社から人種主義カントリーを発売し、二一局を発表し、アルバム『隔離主義者ヒットパレード』を出した。
一九七〇年代、イングランドで若者音楽サブカルチャーが人種主義集団の宣伝に力を貸した。一九八三年、イギリス国民戦線という小規模政党がホワイト・ノイズ・レコードを設立し、スキンヘッドやパンクロックに力を注いだが、最初の発売はスクリュー・ドライバーというネオナチ・バンドの『ホワイト・パワー』というシングル・レコードであった。スクリュー・ドライバーの影響を受けて、一九八〇年代、イギリス各地でホワイト・パワー・バンドが結成された。一九八七年、ブラッド・アンド・オナー(血と名誉)という宣伝バンドが結成され、北米や欧州各地に出かけた。
北米でも組織されたスキンヘッド集団はスクリュー・ドライバーなどに連絡を取り、バンドを結成していった。一九八〇年代後半、アメリカ各地でホワイト・パワー・スキンヘッド・バンドが登場した。ミッドタウン・ブーツボーイ、バリー・ボーイズ、バインド・フォー・グローリィ、アグレヴァイテド・アソールト(刑罰加重された襲撃)、マックス・レジストなどがパンク・シーンに登場し、パンク・サブカルチャー内でのスタイルを確立した。
一九九〇年代には、レジスタンス・レコードが発足し、音楽雑誌も発売し、オンラインでの楽曲提供も始めた。レジスタンス・レコードは毎年六万から一〇万枚のレコード売り上げを誇った。
これまでのホワイト・パワー音楽の大半はネオナチ・スキンヘッドであるが、アコースティック・フォーク演奏のアーティストや、ヘヴィメタル・ロックも増加している。スキンヘッド集団やホワイト・パワー集団の支持によってコンサートも各地で開催されてきた。

2 ホワイト・パワー音楽への道

 ギルモアによると、アメリカでのホワイト・パワー・ロックンロールはグローバルな経済変動の波を受けて白人労働者階級の間から始まった。白人サブカルチャーの世界でホワイト・パワー音楽は、若者たちに自分たちこそ支配的地位にあったのだというファンタジーを提供する。より大きな白人優越主義運動との繋がりをつけてくれる。ギルモアのインタヴューに応じたある人物は「北米では若者の多くが何らかの白人のための活動にかかわっているのは、音楽のおかげさ。監獄の連中だって、アーリア連合のアイデンティティ文書を入手しているだろう。音楽のためじゃなかったら、こんなに多くの若者がパンフレットや歴史家の意見なんかかに魅きつけられはしないよ」と述べる。
 ホワイト・パワー運動のなかでの集団活動を提供するのが音楽ライブ・イベントであり、集団に共通の絆を作りだす。コンサートは単なる音楽会ではない。あるホワイト・パワー音楽家は次のように語る。「音楽は人びとの魂を揺さぶり、共通の関心を提供する。音楽は白人のための運動の情景を作り出す。ショーは単なるコンサートではない。ナチス党がビヤホールで結成されたのも同じことだろう」。

3 ホワイト・パワーの歌詞

 ギルモアは白人至上主義音楽雑誌である『レジスタンス・マガジン』に掲載された歌詞を取り上げている。一九九四年から二〇〇七年にかけて出版されたのは二七号である。同誌のトップ・テンに登場する曲は延べで一四二九曲であり、演奏したバンドは延べ四六三バンドである。スクリュー・ドライバーが一九七回であり、次いでバウンド・フォー・グローリィが一一八回、ラホーワが一〇四回、ノー・リモース/ポール・バーンリィが七六回、「残忍な攻撃」が七〇回、「青い目の悪魔」が四七回である。
 発売されたアルバムの表紙には典型的なデザインが施されている。筋肉派のスキンヘッドが武器を取っている姿、バイキングの戦闘シーン、暴力シーン、ナチスの写真やイラスト、第三帝国の宣伝ポスターや、強制収容所の写真をもとにしたデザインもある。
 ギルモアによると、ホワイト・パワー音楽の歌詞に頻繁に登場するのは、経済的社会的条件が低下させられたとか、政府が白人を不公正に取り扱い、迫害しているというものである。バウンド・フォー・グローリィは「俺たちは苦難と闘いを経てきた。俺たちは殺され、奴隷化され、檻に押し込められてきた」と歌う。白人占有地域が失われ、白人のヘゲモニーが減退してきたとし、失われた白人の伝統文化を呼び戻そうとする。「断固たるヘイト」というバンドは「白人は日増しに収入を得られなくなっている。俺たち白人にふさわしい仕事がなくなったのは、黒人やユダヤ人に取られたからだ」と歌う。また、ホワイト・パワー音楽の歌詞は、標的とされた集団に対する論難となり、白人の敵と名指す。近隣で何か事件が起きるのはマイノリティ住民のせいにされる。「デイ・オブ・スウォード」は「俺たちの国は新しいアーリア人の墓を持っている。殺したのは元の奴隷だ」と歌う。黒人の路上犯罪を取り上げ、黒人の麻薬売人が白人の子どもや高齢者を餌食にすると言う。バウンド・フォー・グローリィは「嫌な暮らしを耐える、路上を歩き回る、餌食にされるイノセント、援助のない者、弱き者」と歌う。移住者も犯罪者扱いされ、財政システムを蝕む「パラサイト」と非難される。スクリュー・ドライバーは「奴らに金をやれ、奴らに仕事をやれ、イギリス白人なんて無視しろ」と歌う。
 ギルモアによると、ホワイト・パワー音楽のサブカルチャーには「陰謀論」の影響を確認できる。ユダヤ人が白人から権力を奪うという陰謀論のタイプである。陰謀論の歌詞で一番取り上げられるのがユダヤ人で、次いで政府とメディアがやり玉に挙げられる。白人至上主義者が使うのは「ユダヤ人にコントロールされたシオニスト占領政府(ZOG)」である。また、ホワイト・パワー音楽の歌詞では、同性愛者も標的とされ、しばしば物理的攻撃の対象になる。歌詞の中では同性愛者はユダヤ人の支援を受けて白人社会のジェンダー秩序を破壊する者とされる。「怒れるアーリア人」というバンドは「お前はお前のライフスタイルを宣伝し、俺たちの顔に権利とやらを押し付け、平等の権利などと言って、恥ずべき同性愛者」と叫ぶ。

4 ホワイト・パワー音楽と暴力

 ギルモアによると、標的とされた集団を非人間的に描きだすだけではなく、ホワイト・パワー音楽は特定の問題を解決するための行動計画を提起する。調査した歌詞の六八・七%が、現在のalliesを含み、直接的に聴衆に行動を呼びかける。個人による暴力行為とともに、標的とされた集団に対する集団行動として物理的な暴力の呼びかけが行われる。時は今であり、即座に行動するように呼びかける。ラホーワというバンドは「今こそ立ち上がるんだ、白人よ、立ち上がれ、俺たちが結束すれば、故郷を取り戻せるんだ」と歌う。一五〇の歌詞のうち九五が白人の敵に対する暴力行為を歌っている。スキンヘッド・バンドのミッドタウン・ブーツボーイズはアフリカ系アメリカ人に対する銃撃を歌う。「撃て、撃て、奴らを死に直面させろ、ニガーを蠅のようにたたき落とせ」と歌う。
 ホワイト・パワー音楽は人種的マイノリティによる路上犯罪を取り上げ、対抗して「俺たち大衆の正義」として自警団となるよう呼びかけ、体罰としてリンチにかけるように呼びかける。白人ホワイト・パワー・バンド「凶暴な戦士」は「裁きの日が来た、アメリカ人が死刑を言い渡すんだ」と歌う。
 ホワイト・パワー音楽の歌詞では、犯罪的暴力が中立化される。ほぼ八〇%が敵に対する暴力行為を正当化している。暴力の被害を受ける者にとっての運命だと言う。
 ホワイト・パワー音楽は伝統的に男性支配的であり、宣伝もこれに対応している。歌詞の大半が男性中心的世界観に貫かれ、「兄弟たちよ」という呼びかけが多く用いられる。マックス・レジストというバンドは文字通り「白人男性」という歌をこのんで歌う。一五〇のうち白人女性を歌うのは一一曲にすぎない。白人女性には白人同士の人間関係が求められる。人種を超えた性的関係を持った女性は「売春婦」という特徴を与えられる。怒れるアーリア人は「お前の体は汚れてしまった、もう純潔じゃない、ニガーを愛する売春婦」と歌って、彼女の処刑を呼びかける。白人女性は「白人女性を守り、白人社会を守る」という白人男性の行為を動機づけるための客体として描かれる。「ファイナル・ウォー(最終戦争)」というカリフォルニアのバンドは、妻と子どもを守る「誠実な男」を主題に、「戦うべき理由があるんだ」と鼓舞し、息子に向かって「炎を持っているのは今やお前だけだ、やり抜くんだ、俺たちが勝利する日まで」と歌う。

5 ホワイト・パワー音楽の影響力

ギルモアは、音楽を通じてフラストレーションを解消するホワイト・パワー音楽が、参加者にとって「問題解決」の道筋を示す機能に注目する。仲間と共感し、兄弟愛(同志感情)を持ち、支配的な文化や社会的価値を拒絶する。伝統的社会が集団による暴力や革命によって実現されるというファンタジーが描かれる。標的とされる集団を非人間化し、モンスターであるとし、白人の生存に対して脅威となる陰謀を指弾する。それゆえ、白人至上主義者が組織する犯罪を正当化しようとする。
ギルモアによると、組織された白人至上主義には長い歴史があり、匿名の若い白人男性に影響を与えてきた。しかし、その社会の支配的イデオロギーや社会関係から独立しているとは考えられない。ホワイト・パワー音楽の歌詞がファンタジーに見えるにしても、組織された集団の白人男性は構造的政治的条件を現実に変化させようとしている。その創造的努力において、ホワイト・パワー音楽は集団的に経験された社会資源を同一化させる。結果として、政治的メッセージを流布し、他者を集団行動に駆り立てるのである。

以上は下記の論文を簡潔に紹介したものである。

Colin Gilmore, Hate Rock: White Supremacy in Popular Music Forms, in: Randy Blazak(ed.), Hate Crimes Volume 4. Hate Crime Offenders, Praeger Perspectives, 2009.
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