「名誉白人低国日本」の再興について


 「人類進化をひも解くと、その道のりは太陽との闘いだった。およそ20万年前にアフリカのサバンナで誕生したヒト、ホモ・サピエンスは、強烈な紫外線から身を守るために褐色の肌を獲得した。しかし、およそ6万年前、アフリカを出て生息域を世界へと広げる過程では、今度は褐色の肌がビタミンDを作るのに必要な紫外線をも遮断してしまうという問題が生じた。この事態に、ヒトは北へ向かうにつれ肌の色を薄くし、紫外線とのバランスを取った。こうして生まれた肌の色の多様性が私たちヒトの多様性を生んだ。」(NHK「病の起源」  第2集 骨と皮膚の病 ~それは"出アフリカ"に始まった~https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20080420


 紫外線とのバランスを取るだけのためにヒトは肌の色を変えてきたのに、白人優越主義に洗脳された日本では、色に価値を持ち込む非科学が横行しています。かような非科学は、歴史無知へも拍車をかけます。「クレオパトラとかギリシャの女神アテナの肌が黒かった」と言われて未だに驚いているようでは、紫外線・遺伝子・メラニン色素・ビタミンDについて私たちは何も知らないということになります。


 さてアパルトヘイトという言葉で、今の私たちはイスラエルを想像できるのでしょうか?どう見ても人種主義と土地泥棒の植民地主義国ですが、「欧米の目」で世界を見ている私たちには、テロ国家イスラエルの実像が見えません。よって安倍晋三がイスラエルとの経済協力を推進しても、批判の対象にもなりません。もちろん文化面では村上春樹とか蜷川幸雄の愚行も徹底批判を免れています。こうして見ると日本はアパルトヘイト国家のイスラエルと仲が良いのです。


 日本の歴史を現代からちょっと遡っても、アパルトヘイトの南アと仲が良かった日本は、強欲のため名誉白人という称号を喜んで受け入れていた訳ですが、首都東京では人種主義者の石原慎太郎(日本・南ア友好議員連盟(1984年発足) 幹事長)という名誉白人が熱烈支持されていました。 彼曰く――「アメリカでは黒人を使って能率が落ちている。黒人に一人一票やって も南アの行く先が混乱するだけだ、独立してもやっていけない」。また、1990年、梶山静六のトンデモ発言――「たとえば、悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)がはいって、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」。この発想はブラックに悪を含意させホワイトを善として法などを犯す強欲企業をブラック呼ばわりする現代の労働運動に引きつがれています。


 かような恥ずかしい歴史がある日本低国が──「名誉白人低国日本」と呼んでもよい──、今また──もっと恥ずかしく悲しいことに今回は労働運動が主導して──トンデモ和製英語「ブラック」を大氾濫させているわけですから、悲しく恥ずかしいことに「名誉白人低国日本」が再興してしまったわけです。


▼異なる種類のメラニン色素の紫外線誘発DNA損傷防御効果の解析

https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-12770449/


研究概要

紫外線による分子傷害のうち、Photoproduct型DNA損傷(シクロブタン型及び(6-4)型ダイマー)が発癌に最も重要である。メラニン色素には黒/茶色のユーメラニン(DHICAおよびDHIメラニン)と赤/黄色のフェオメラニンがあり、人種・Phototype・個人により、様々な量・比率で混在している。本研究では、特定の種類のメラニン色素を産生するマウス皮膚および色調の異なるヒト皮膚(包皮)を用いて、異なる種類のメラニン色素の紫外線DNA損傷生成抑制効果を検討した。まず、組織学的及び生化学的にメラニン色素の分布・量・種類を解析した。Black、Slaty、Yellowマウスはそれぞれ主としてDHICA、DHI、フェオメラニンを産生し、Albinoマウスはメラニン色素を持たなかった。マウス尾では表皮に多数のメラノサイトが存在し、ヒト表皮のモデルとして適していた。皮膚に、UVB(25mJ/cm^2まで)を照射した後、凍結切片を作製した。研究協力者の森 俊雄助教授から供与された両ダイマーに対するモノクローナル抗体を用いて免疫蛍光染色を行い、共焦点ルーザー顕微鏡を用いて損傷特異蛍光を定量した。
ヒト包皮を用いた実験から、メラニン色素が紫外線DNA損傷の生成を抑制すること、角層内および核帽を形成するメラニン色素が紫外線防御に重要であることを確認した。また、マウスを用いた実験から、DHICA及びDHIメラニンはともに紫外線防御効果が高く、フェオメラニンの防御効果は僅かであることがわかった。メラニン色素量が多く、ユーメラニン/フェオメラニン比が高く、メラニン色素が表皮のより上層から角層に分布し、核帽を形成することが紫外線抵抗性をもたらすことがわかった。本研究を通して、皮膚の紫外線感受性の人種差・個人差のひとつのメカニズムを解明した。

 

▼名誉人種
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E4%BA%BA%E7%A8%AE#cite_note-5

名誉人種の例[編集]

南アフリカ[編集]

南アフリカ共和国で行われていたアパルトヘイトの下では、外国人を含めて、有色人種は総じて差別的な扱いを受けてきた。ただしインド系人種や白人との混血の者は議会の議席など、黒人には認められない一定の権利が認められ、有色人種の中でも待遇の違いがあった。

日本の国籍を有する者は、1961年1月19日から、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた[1]。欧米諸国がアパルトヘイトを続ける南アフリカとの経済関係を人道的理由により縮小する一方で、日本は1980年代後半から南アフリカ共和国の最大の貿易相手国になる。国際的に孤立していた南アフリカと数少ない国交を持っていた中華民国(台湾)籍の者は白人として扱われた[2][3]。ただしこれらの扱いはあくまで国策上の法的措置であり、民間における差別感情やそれにともなう差別行為がなかったわけではない。

1987年、国際社会がアパルトヘイトに反対して、文化交流を禁止し、経済制裁に動くなかで、日本は逆に、南アフリカの最大の貿易相手国(ドルベースの貿易額基準)となり、翌1988年2月5日に国連反アパルトヘイト特別委員会のガルバ委員長はこれに遺憾の意を表明した(ガルバ声明)[注 1]。アパルトヘイトに対する国際的な非難と世界的な経済制裁が強まる中、南アフリカとの経済的交流を積極的に続ける日本の姿勢もまた批判の対象となり、1988年に国連総会で採択された「南アフリカ制裁決議案」の中で、日本は名指しで非難された[4]。

▼アパルトヘイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88

アジア人(1980年に90万人、人口の3%。インド系、マレー系住民が主。ナタール州に集住していた) アジアにおいて唯一の先進国である日本人は1961年以降、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた[4][注 6]。1980年代後半から日本は最大の貿易相手国になる。また、国際的に孤立していた南アフリカと、反共産主義という共通点から数少ない国交を持っていた韓国人や中華民国人/台湾人も、名誉白人扱いであった[6]。中華民国人については一時期、中華料理店を白人用に指定した際、中華料理店への入店に限って白人扱いとされたが、中華民国の経済発展を受け名誉白人扱いになったとされる[7]。
 



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