名誉白人が色に価値を持ち込む愚劣について~日常を黒色に囲まれながら・・・~

 今、パソコンの黒色のキーボードを叩きながら、部屋の中の色を探してみる。すぐ傍にあるガラケーのケースは黒色で、その脇には黒色の財布が見える。その後方には黒色のプリンターもある。視線を逆方向に変えれば、黒枠のテレビが見え、テレビ台はとい黒色だ。かように日常を黒色に囲まれながら私は過ごしているから、黒という言葉に悪を含意して使うことなどあり得ない。ところがこの頃の世間様は違うようだ。トンデモ和製英語「ブラック」を使った和製英語の「ブラック企業」・「ブラックバイト」などの言葉がメディア(ミーディア)には溢れている。しかも、当たり前と言えば当たり前なのだが、トンデモ語そのものが、元々は搾取企業などを糾弾する言葉としてのネット卑語が出自なのであるから、労働問題を改善しようという主旨の記事の中に差別語が頻出するというあってはならない事態が現出してしまっている。これすなわち、日本低国の労働運動は、「黒人との連帯を最初から拒否する」と宣言しているようなものだ。何しろ日本低国の労働運動の敵は「ブラック企業」なのだから・・・。
 今現在、日本には差別扇動表現を繰り返す珍奇な犯罪集団がいて、一方にはトンデモ和製英語「ブラック」を駆使する労働運動があるのです。

 再び日常に戻れば、家から出て道を歩けば、都会でいえば信号機の青・赤・黄が色の価値付けの典型例でしょう。運転手でも歩行者でも、「青」で前へ進み、「赤」で止まりますが、交通規則を離れて、「前へ進め」という意味で「青!」とか、安全の意味あいで「青」を使う人などまずいません。また信号の「赤」で突っ込めば運転手も歩行者も危険ですから、「赤」が危険という意味合いで使われても良いのですが、共産党関連の「赤」以外には、そんな使われかたもしません。もちろんこれは日本の話で、所変われば価値観は違うでしょう。

 こう見てみると、あらゆる悪を含意した近ごろのトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫はかなりの異常事態と言えると思います。もちろん社会が強欲企業独裁へ向かう中、法を守らない搾取企業などの跋扈がトンデモ和製英語「ブラック」を使わせる要因になっているのですが、だからといって労働運動が差別語を使っていいわけはありません。しかしなんでこんなにあっさりトンデモ和製英語「ブラック」が労働運動で定着したのか、私には不思議でなりません。私がたびたび指摘しているネット卑語採用者の今野晴貴や『しんぶん赤旗』の不明ばかりのせいではないでしょう。この原因の一つには、多分警察用語の「クロ」が作用していて、この言葉は業務上警察と関係を持つ弁護士などはなじみの言葉でしょうし、「クロ」→「ブラック」が悪・犯罪を連想する言葉としてすんなり定着したのでしょう。もちろん警察用語の「クロ」も白人英語に遭遇した近代日本人が使い始めたとも邪推できるのですが、今現在に確信もって言えることは、トンデモ和製英語「ブラック」が白人英語のblackにほぼ等しい意味で使われているということです。こうして日本低国民はトンデモ和製英語「ブラック」を駆使して名誉白人になったとも言えるのです。この愚劣に言い添えれば、東京の選挙民は南アのアパルトヘイト支持者の名誉白人の差別主義者の石原慎太郎というゴロツキを熱狂的に支持していたわけですから、周回遅れの名誉白人が大量に発生しても驚くことはないでしょう。

 色についての非科学と偏見も白人支配者の非科学と偏見に依存していて、 「私たちは愚者に生まれない、愚者になる」のですけれども、愚劣ゆえに強欲連中に利用されるわけで、私たちが色に価値を持ち込む非科学の愚劣を日々繰り返していると、そこを連中につけ込まれるのは目に見えています。初めから内部に分断を持ち込んでいる運動は成功しませんし、況や差別語を駆使しての労働運動などあり得ません。マルコムXを知らなくても、黒に悪を含意する非科学や愚劣など、ちょっと考えれば理解できるでしょう。「私たちは愚者に生まれない、愚者になる」のです。

追記:以下参考までに──

★石原慎太郎「アメリカでは黒人を使って能率が落ちている。黒人に一人一票やっても南アの行く先が混乱するだけだ、独立してもやっていけない」

▼トンデモ和製英語「ブラック」と弁護士

 トンデモ和製英語「ブラック」を多用する弁護士の存在を不思議に思っていたのだが、以下の引用でその疑問も氷解した。

★伊東秀子『恵庭OL殺人事件 こうして「犯人」は作られた』日本評論社、2012年

頁83――

・・・
 道警本部の捜査一課長が「証拠は山ほどある。どの証拠もクロの方向を向いている。彼女はまっ黒けのけだ」と言い放った顔が思い出された。・・・

****

 伊東秀子は弁護士で、警察用語の「クロ」という言葉をよく聞く立場である。よって弁護士たちは、「クロ」→「ブラック」にすんなりなじむ可能性がある。NPJもそうだし、「ブラック企業」を定義した弁護士たちも多分すんなり「ブラック」を受け容れたのだろう。またそのほかでは、刑事小説を書く物書きは、普段使う言葉だろうから、「ブラック」に違和感はないかもしれない。もちろんクロと「ブラック」は違う言葉だが・・・。

 で、弁護士たちは米国史には疎いのだろうか?公民権運動も知らないのだろうか?言葉の諸々に無頓着なのだろうか?言葉の使用範囲だけでみてみても、「ブラック企業」などいう言葉は日本企業にしか使えないから、「米国のブラック・エンタープライズは「ブラック企業」だ」などと書けば恥をかくし、「ミルトン・フリードマンの親父の工場は「ブラック工場」だった」と書くのも恥さらしとなる。この致命的欠陥に気づけば、トンデモ和製英語「ブラック」は言葉狩りすべきという結論に達するはずだが、さて弁護士たちはどうするのだろう。グローバルの時代だとメディア(ミーディア)は喧しいが、その時代にあらゆる意味で日本以外では全く使えないトンデモ和製英語「ブラック」とは、何というあほらしい存在なのだろう。


▼『人種概念の普遍性を問う 西洋的パラダイムを超えて』竹沢泰子・編、 人文書院

頁163──(『北米における人種イデオロギー』オードリー・スメドリー、山下淑美・訳)
 1619年、「20有余人」のアフリカ人がオランダ船によってヴァージニア植民地に運ばれてきた。その大部分がスペインやポルトガル名を持っていたが、それから察するに、彼らはヨーロッパあるいは中・南米におけるラテン諸国(スペイン・ポルトガル)の領土からやってきた、すでにヨーロッパ文化になじんだ人々であった。以後、毎年少数のアフリカ人が植民地に連れてこられ、世紀半ばごろには彼らに対する需要はさらに拡大し始めた。ヨーロッパでそうであったように、初期のアフリカ人たちは概してヨーロッパの貧民と同じ扱いを受け、既存の労働システムに組み入れられた。もし生き延びれば、お金で自由を買うことも、また別の方法で自由の身になることもできた。なかには熟練職人や専門家として独立し、企業家となる者もいた。いったん自由の身になると、彼らは財産を手に入れ、それを所有した。白人とまったく同様に、野心的、攻撃的になり、しばしば手に負えないほど強烈に競争心を燃やし反抗的になる者さえいた。個人で何百エーカーもの土地を所有し経営した黒人も多く、黒人、ヨーロッパ人、インディアンなどを交えた10数人あるいはそれ以上の奉公人や奴隷を所有する者もいた。向上心のある者たちは市民から尊敬され、他の資産家と同等の扱いを受けた。
 この民族誌的事実は、初期植民地についての最近の歴史学研究において十分な裏づけを与えられており、このようなアフリカ人たちが、社会システムに受け入れられ十分に参加しただけでなく、皮膚の色ゆえに市民的ないし社会的な障害に出逢うことは一切なかったことを示唆している。なかには勤勉さと蓄積した富ゆえに尊敬され、「農園主」と呼ばれる者さえあり、税金を払い・・・

頁165──

 17世紀までには、植民地は紛争状態に入り、社会というアリーナのなかに、我々はある重要な変化の始まりを見ることになる。多数の貧民と、インディアンの所有地以外のすべての土地をわがものとしていた少数の貪欲な古い入植者とのあいだに、大きな階級紛争が起こっていた。もっとも有名なものは1676年のナサニエル・ベーコンをリーダーとする反乱で、その反乱では植民地人口の約4万のうち8千人もの白人、黒人、ムラート(引用者注:白人と黒人の「混血児」)、インディアンら、若く貧しく土地を持たない男たちが団結し、エリート支配層に対して立ち上がった。ここでは詳細に立ち入ることはできないが、この反乱の結果、貧民を分断し、さらなる反乱を防止するための戦略が、植民地の指導者たちによって案出されることになった。


▼特集3 ◆中等教育でまなぶ「人種」「民族」とヒトの多様性
創られた「人種」
竹沢泰子

・・・

「白色人種」「黄色人種」「黒色人種」といっ
た「色」にも、ユダヤ-キリスト教圏の伝統的
価値観が深く刻まれている。「白」=善、勝利、
真実、「黒」=悪、敗北、虚構、「黄色」=臆病、
反逆者などである。数十年前の日米学生を対象
とした調査では、「黄色」のイメージが日米間
で大きく異なることが明らかにされている。欧
米では、そもそもユダヤ人が着せられた衣服に
象徴されるように、「黄色」は否定的な意味を
伴う。しかも、ブルーメンバッハは、「黄色/
褐色」でもってインドや西アジアの人々を指し
ていたのであり、日本人や他の東アジアの人々
が「黄色人種」の代名詞となったのは、19世紀
後半以後と、歴史的には比較的浅い。すなわち
中国人の世界各地への大量移住、それに続く北
米での日本人移民の急増、そして日露戦争にお
ける日本の勝利──こうした出来事の積み重な
りによって、米国西海岸を中心に激しい「黄禍
論」が唱えられるようになった。かつて来日し
た宣教師たちが「白い」と形容した日本人は、
こうして「黄色」になったのである。

▼竹沢泰子「人種とは何か考える」
http://oldwww.zinbun.kyoto-u.ac.jp/conference/nhk.html

Q3 科学的とされてきた人種という考え方も、当初からヨーロッパというか、キ リスト教的な考え方に影響を受けているものなのですね? 

A3 ヨーロッパ人を白色人種と呼んだり、白い肌が美しいとする考えは、元来極めてユダヤ=キリスト教文化圏の伝統に支配された考え方だと思います。ユダヤ=キリスト教文化圏では旧約聖書にあるように白を光、黒を闇として、善である白い色を自分たちの色に当てはめたわけです。
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