差別語を見たり聞くことのストレス

  映画『マルコムX』の日本公開は1993年のはじめ頃だと思うが、その時あたりに売り出されたであろうマルコムXにちなむTシャツがまだ2着ほどある。さすがに色あせていているから今ではシャツの下でしか着られないが、あのときからもう25年も経過しているわけだ。
 トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」「ブラック会社」)がネットで使われ出したのが数年前であろうから、 映画『マルコムX』などでマルコムXの認知度が日本の社会で上がってから20年が過ぎ、映画を含めマルコムXなど知らない若者や大人が社会で増えてトンデモ和製英語「ブラック」が大氾濫したとも言えるわけだ。もちろん私には、マルコムXを熟知している人間がネット卑語のトンデモ和製英語「ブラック企業」を採用することは絶対にない、という確信がある。ちなみに長野県に日本共産党のふじおか義英という県会議員がいるが、 彼の尊敬する人物はマルコムXだそうだ。『しんぶん赤旗』紙面にはトンデモ和製英語「ブラック」は頻繁に載るはずだが、果たして彼はどう感じているのだろうか? 

 早川タダノリ『「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜 』(青弓社、2016年)を読んでいて、最後の方でトンデモ和製英語「ブラック」を発見した時は、不快と怒りで本をゴミ箱に放り込もうという衝動に駆られたが、その後ブログに怒りをぶちまけたおかげで怒りは多少和らぎ、幸か不幸か本はゴミ箱行きを免れ、今でも手元にある。
 差別語からかようなストレスを受けることは、戦前の教育で差別主義者に洗脳された両親がたまに発する差別発言などを聞いた時から経験上分かっていたが、たとえばそういう現場で反論などができさえすれば私にかかるストレスは軽減されるのである。

 ではテレビなどから差別語が聞こえてきたら被差別者はどうするのかをちょっと見てみよう──
 
▼小林健治『差別語不快語』にんげん出版

頁17──

なにが差別なのか、なにが差別語であるのかは、社会の進展によって大きく変化していきます。たとえば「めくら」にこめられた差別性は、近代になって、当事者みずからが声をあげることによってはじめて意識され、“差別語”として問題視されることになりました。たとえば、障害者に対する差別語を無自覚に使用して いたテレビ・ラジオ・新聞に対して、大阪府の精神障害者団体などから、「『き ちがい』といったことばをテレビやラジオ等でもちいないでほしい」という要望がなされたのは、1974年のことでした。その主旨を下記に抜粋します。

「すべての障害者とその家族は、心身障害にかかわりのある表現が、興味本位やその欠陥を無能悲惨な状態を示すものとしてあつかわれることに対し、被差別者としての憤りを感じている。・・・・・・興味本位のゼスチャーゲームはろうあ者に対する軽蔑であり、メクラ判、メクラ縞ということばは無能悲惨な状態を示すものと受けとっており、今まではそうした放送があるたびに、チャンネルを切り替えるといった消極的な態度を続けてきたが、今後は、社会の公器としての放送・新聞に対し、用語のもつ意味と与える影響を訴えていきたい。不用意に『きちがい』という用語がもちいられると家族は萎縮し、回復期にある患者にはショックを与える結果を招いている。どうか被差別者の心の痛みを、みずからの痛みと感じとってほしい。」
(1974年/全国精神障害者家族連合会の申し入れより抜粋)

 このようにテレビの「チャンネルを切り替えるといった消極的な態度」さえも、ストレス軽減には重要な行動だと私は思う。
 そういう意味で最悪の場が、反撃が許されない場での差別語などの使用だ。例えば皆で楽しくお茶を飲んでいる時に、誰か若者が「あの会社はブラックだ」とか発言した時はさてどうしよう?沈黙するか?場をぶちこわしてもいいから、どう切り返すのか?
 というわけで、差別語を見たり聞くことのストレスについて、何となく分かってもらえたかしら・・・・・・・。
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