杉田聡   「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する   

「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する

「英語」の悪しき含意から身を解き放とう

杉田聡


2017年02月14日


http://webronza.asahi.com/authors/2016103100009.html










 報道によると、昨年(2016年)成立した「ヘイトスピーチ対策法」を受けて、法務省が「ヘイトスピーチ」と見なしうる具体的な言動の具体例をまとめたという。

 この10年ほど、とくに在日コリアンを標的とし、相手を絶望の淵に追いこみ時に死に追いやるほどのあまりに激しいヘイトスピーチが幅を利かせた後だけに、目配りは細部にわたっていると評価できるが、私は最も重要な配慮の一つがなおざりにされていると判断する。

 それは、「黒人」に対するヘイトスピーチである。いま、日本には100万人を超える外国人労働者が働いている。その中には、肌の濃い人=「黒人」も少なくない。彼らに対するとても隠微なヘイトスピーチが、それと理解されずにまかりとおっている現実を、私はおそれる。

 本稿は、日本における「人種差別」「黒人差別」を主題とするが、「人種」はそれ自体存在するのではなく、「人種差別」によって作られると私は理解する。それゆえここでは、人種概念の「黒人」を用いる場合、常に「 」に入れる。また以下「英語」に言及するが、この日本語は英語についての本質を誤らせる。本多勝一・元朝日新聞記者のように「イギリス語」と書きたいが、一般になじみがないため、「 」を付して「英語」と表記することにする。

「英語」に見る「黒人」に対するすさまじい差別




ブラック企業
拡大「ブラック企業」という言葉は社会にすっかり定着したが……
 さて、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、「ブラッキー」という言葉が、近年頻繁に使われるようになった。当初は「 」つきでこれらを使っていた各種新聞も、最近ではすでに日本語として定着したと見てか、「 」なしで表記している例に出会うこともある。

 私はこれらの言葉を使って、従業員に過酷な労働環境・低賃金・過重労働等を強い法令を無視する反社会的な企業を告発しようとした運動家・理論家の善意を、いささかも疑うものではない。しかし、そうした企業を指す言葉が、なぜ「ブラック」なのか。

 19世紀における「大英帝国」の繁栄(=アジア・アフリカ諸国の収奪)、第一次・第二次大戦を通じてのアメリカ合州国の影響力の増大等を通じて、いまや「英語」は、国際語と言われるほどの地位に上った。だが「英語」は、国際語としては完全に失格である。激しい「人種差別」「性差別」を内包しているからである。

 後者については、後日日本語の問題を含めて論じるつもりだが、前者についてここで強調しなければならない。

 不法企業について「ブラック」と形容する場合、それは「英語」におけるblackの意味が多分にこめられている。ちょうど、「ブラックリスト」や「ブラックユーモア」と同じようにである。「英和辞典」等を見ればわかるが、「英語」において、whiteが圧倒的によい意味を持つのに対して、blackにはほとんどあらゆる悪しき意味がこめられている。

 例えば小学館『ランダムハウス英和大辞典』をひもとくと、whiteおよびblackの意味は次のようである(以下はその意味のごく一部にすぎない)。

white:
「正直な・公正な」
「縁起のよい」
「よごれのない」
「罪(けがれ)のない・清潔な・潔白な」
「悪意のない・害のない」

black:
「よごれた・きたない」
「真っ暗の・闇の」
「陰気な」
「不吉な・険悪な」
「故意の・たくらんだ」
「腹黒い・よこしまな」
「荒廃地の」
「非難されるべき・不名誉な」
「不正な・闇値の」

日本語には黒に対する差別はない

 「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉を用いているのは日本人だが、なぜ日本人が、以上のような差別的な含意に富む「英語」の意味を、あえて日本語にこめる必要があるのだろう。

 もともと、日本語では、黒白に「英語」のような差別的な意味(白の圧倒的な優位・黒の圧倒的な劣位)はなかった。それどころか日本語ではむしろ黒は良い意味を、白は悪い意味をもたされることが多い。

 『広辞苑』によれば、白は、
 「(1)太陽の光線をあらゆる波長にわたって一様に反射することによって見える色。雪のような色。」
 「(2)囲碁で、白石の略。また白石を打つ方。後手。」
 「(3)犯罪容疑が晴れること。また、その状態。転じて、無罪。潔白。」
 「(4)『しろがね(銀)』の略」

 黒は、
 「(1)色の名。墨のような色。」
 「(2)囲碁で、黒石の略。また、黒石を持つ方。先手。」
 「(3)犯罪容疑者が犯罪の事実ありと判定されること。また、その人。」
 の意である。

 ただし、この説明は大ざっぱすぎるし、記述にバランスを欠いている。いずれも(3)は明治以降に(おそらく「英語」を通して)入ってきた意味であって、むしろ例外的である。

 (2)として囲碁の例があがっているが、囲碁で白は「後手」を、つまり不利な立場を意味する。一方黒は「先手」を、したがって有利な立場を意味する。柔道では白帯と比べて黒帯は有段者を表すし、「黒光り」「黒髪」「玄人(くろうと)」と、「白々しい」「白ける」「白を切る」「素人(しろうと)」等に見られる対比も、明瞭である(ちなみに「玄」は黒い色を、「素」は白い色を意味する。だからかつて日本語で「白人」「黒人」と記せば、しろうと・くろうとを意味した)。

 参考までに、前田勇編『江戸語の辞典』(講談社学術文庫)に記された、江戸期の「黒い」と「白い」の意味をあげておく。

黒い:
 「(1)良い。すぐれている。うまい。」
 「(2)玄人である。練達者である。」
 「(3)玄人らしい。玄人めかす。『くろっぽい』に同じ。」

白い:
 「(1)……黒いの第一位に対して、第二位。」
 「(2)悪い。未熟。上手を黒いというの対。」
 「(3)露骨である。」

 確かに日本語でも、背後に隠れて力を有する者を「黒幕」と呼ぶなど、黒を悪しき意味で使う場合もある。だがこれは歌舞伎由来の言葉であって、もともと単に歌舞伎舞台に見る、余計な部分を隠す黒い幕の陰にいる人、という意味にすぎない。

 喪服の色は今日黒であって、その限り黒は不吉な意味をもたされているが、だが日本では喪服は、欧米の習慣を明治政府が取り入れる明治中期までは、長きにわたって白(白装束)であった。ちなみに、この点は中国や朝鮮でも同じである。

 なお以上は、伝統的な日本語において黒が悪い意味をこめて、また白が良い意味をこめて用いられる例はないと言っているのではない。もちろん逆の例はある。時に黒は闇・穢れ・不吉を、白は清浄・無垢・吉兆を表す。つまり黒も白も、多かれ少なかれ両義的な意味を含んで用いられてきた。私が言いたいのは、「英語」に見るような圧倒的に黒を邪悪視する視線は、日本語にはなかったということである。

「黄色人」差別を想像してほしい

 さて、そうした伝統下にあり、本来黒白が「英語」のような非常に差別的な意味をもたない母語を使う日本人が、なぜあえて、「英語」の非常にゆがんだ言葉を、日本語のうちに導入するのであろう。

 私は「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉を使う人の鈍感さに、辟易する。運動家や理論家の、あくどい企業を告発したいという真摯な志は理解するが、もっとまともな言葉を、つまり人を差別しない言葉を使って、事態を表現できないものなのか。

 以上の疑念を大げさと感ずる人がいたら、どうか自身が「有色人」差別(黄禍論)の根強いアメリカ等の地域に行き、そこではつねづねアジア人その他が「黄色人」(Yellow)と呼ばれている場面を想像してもらいたい。

 実際には私たちはJapaneseと呼ばれ、あるいはかつて漱石がイギリスで経験したように誤ってChineseと呼ばれるか、あるいはより一般的にAsianと呼ばれる可能性が高く、「黒人」の場合と比べて「黄色人」と十把ひとからげに呼ばれる機会は少ないとしても、常々そう呼ばれる傾向が高いと想像してもらいたいのである。

 そして、「英語」においてwhiteが前記のような圧倒的に良い意味をもつのに対して、yellowが、blackほどではないとしても、やはりそれに匹敵するような悪しき意味を付与されている事実があることを、想ってもらいたい。

 yellowは「英語」では、

 「((しばしば軽蔑的に))(黒人との混血白人のように)黄色みを帯びた」
 「(顔色が)病的に黄ばんだ」
 「土色の、臆病な、腰抜けの」
 「(新聞記事などが)扇情的な、俗受けする」
 「(扇情的にするために)事実を曲げた、嫉妬深い」

 といった意味をもっている(小学館『ランダムハウス英和大辞典』)。そうした言葉がアジア人その他の目の前で陰に陽に用いられたとき、それを差別的なヘイトスピーチとして恐れない人がいるだろうか。

 日本で働きあるいは学ぶ――さらには日本を観光として訪れる人まで含めて――、肌の濃い人は、日本でも「ブラック」という言葉が、いま非常に忌み嫌われる言葉として使われている事実を、どう感じるだろうか。彼らは、私たちがyellowと呼ばれる以上に、長きにわたってBlack(Black以上に差別的なNegro,Niggerも語源的には同じく黒を意味する)と呼ばれ続けてきたのである。

「ブラック」をヘイトスピーチと解して避けよう

 私はいま、法務省が「ヘイトスピーチ」の具体例についての案を提示したのを機に、私たち自身のうちに、「英語」風の差別意識が入り込んでいないかどうかを、顧みてみるよう提案したい。そして、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、「ブラッキー」のような、人を殺す凶器にもなりうる言葉を避ける勇気と賢明さをもとう、と。

 「パレスチナ解放機構」(PLO)のかつてのアラファト議長は、「私たちの解放運動が成功裏に終わることを望む。だが、だからといってその結果、差別・迫害に苦しむ人を生み出すことになっては、運動の価値がない」、という趣旨のことを語ったことがある。

 前記のように、反社会的な企業を告発する運動家・理論家の善意を私は少しも疑わないが、仮に「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉のおかげでその改善の努力が実ったとしても、そのためにかえって、肌の濃い人を差別においやることになっては意味がない、と私は言いたいのである。
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