トンデモ和製英語「ブラック」はなぜ使ってはいけないのか?

トンデモ和製英語「ブラック」はなぜ使ってはいけないのか?

2015/9/8(火) 午前 8:53

http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39941492.html


 以下、改めてトンデモ和製英語「ブラック」をなぜ使ってはいけないかを思いつくまま箇条書きしてみた。よってこの記事は今日以後たびたび更新されていく。

 トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック社会」・「ブラック大学」「ブラックバイト」・・・、対義語の「ホワイト企業」「ホワイト社会」・「ホワイト大学」「ホワイトバイト」・・・)をなぜ使ってはいけないのか?

1.ブラック→黒人の意味がある事ぐらい、中学生英語ぐらいで分かるだろう?

2.米国の黒人に一番好まれている呼称はブラックである(1995年調査)。


▼米国の人種・民族の自称についての国勢調査(1995年)で、黒人の場合
は、混血も含め、単純に「アフリカ系」でない者も含まれて、
一番好まれている呼称は「ブラック(黒人)」(44.15%)だった。「アフリカ
系アメリカ人(African American)」 28.07%、「アフロ=アメリカン(Afro-
American)」12.12%

3.ブラックは「ニガー」と並んで差別語であった。「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動を経て、それが黒人の最も好ましい呼称の1つになった。

4.白人英語は黒人差別を正当化するために、ブラックにあらゆる悪を含意させた言葉を数多く作っている。

5.白人の色の価値観も、聖書の光と闇を白と黒に対応させて色の価値を序列化させた。

★竹沢泰子──ヨーロッパ人を白色人種と呼んだり、白い肌が美しいとする考えは、元来極めてユダヤ=キリスト教文化圏の伝統に支配された考え方だと思います。ユダヤ=キリスト教文化圏では旧約聖書にあるように白を光、黒を闇として、善である白い色を自分たちの色に当てはめたわけです。


6.インドの色の価値観も英国にインド支配で白人の色の価値基準に沿って変化してきた。

7.日本でもトンデモ和製英語「ブラック」が氾濫して、「ブラック」の意味が悪を含意させる白人英語のブラックに近づきつつある。

8.かような過程を経て、「ホワイト企業」・「ホワイト化」なるトンデモ語まで使われ、日本人の名誉白人化が進行している。

9.一方米国では、白人至上主義者がホワイトパワーを連呼してデモ行進。白人至上主義者による黒人の虐殺も起きている。

10.労働運動がトンデモ和製英語「ブラック」を使い社会に差別と偏見を拡散しているという度しがたき愚劣がまかり通り、日本の労働運動の「井の中の蛙」状態が世界では際だっている。

11.強欲企業独裁反対で国際連帯が急務なこの時期に、日本の労働運動内部に人種差別反対の黒人運動との分断を予め用意しているという愚劣は最悪であるということ。

 以下、色々の考察──


12.「トルコ風呂」という呼称はトルコ人留学生などの抗議で違う言葉に言い換えられた。よって「ブラック企業」という呼称も黒人の抗議があれば言い換えられる可能性はある。私たちの抗議を無視する人間でも当事者からの抗議にはその種の態度はできない。

13.ネットのトンデモ卑語──「ブラック企業」(ブラック会社)・「放射脳」・「除鮮」から、なぜか「ブラック企業」だけが大流行したが採用者はブラックに黒人の意味がある事も知らなかった?あるいはまた、採用者は他2つを排除するぐらいの知性しか持ち合わせてはいなかった?

14.警察用語のクロ(犯罪容疑あり)が推理小説(警察小説)・記者・法曹界で流通していて、トンデモ和製英語「ブラック」の氾濫の素地があった。

15.トンデモモノカキ・筒井康隆の言葉狩りが悪い意味で捉えられていて、言葉の言い換えの本当の意味合いが理解されていない。

★・・・筒井康隆は、「めくら縞」は「目の不自由な人縞」というのかと茶化す
が、どんなに彼がおかしがって笑おうと、「めくら」を「目の不自由な 人」と言いかえることで、そして、そのことを日本語を使う人が覚えることで、社会的に変化をあたえているのである。その心理におよぼされた変化は、実際に盲人と接するときに微妙に影響してくるのである。また、筒井が「目の不自由な人縞」というふうな言葉を書くこと自体、彼がほんの少しでも盲人について考える時間を持ったことになる。被差別者にとって最悪な状態とは、差別者からしかと(無視)されたり避けて通られることだから、 ちょっとでもふりむいてもらえればそれでよい。・・・(塩見鮮一郎『作家と差別語』明石書房、1993年、 頁108)

★教科書「国語Ⅰ」の新版に収録された「無人警察」を読み、てんかんの記述に、読者として疑問を覚えたのは、千葉県の公立高校の先生だった。
 差別は、いつもこうしてだれかによって発見(創造)されるのである。「無人警察」については刊行後28年たっていたことになる。28年間、差別に関してはなんのことはない小説だった。
 もう一度,確認しておこう。
 「無人警察」のてんかんについての記述は、社会的に認知されていたのだ。作者はずっと今日まで手を入れていない。作品は変化していない。
 変わったのは社会のほうだ。社会が変わったために、作品のうちに差別があると思えだした。それにイの一番気づいた読者が、千葉県の先生だったことになる。(塩見鮮一郎『作家と差別語』明石書房、1993年、 頁34)

★筒井康隆──「(略)是非ご理解戴きたいのは、てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持ちは、てんかん差別につながるものでは決してないということです。てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する車には乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです。」
 ・・・
 この筒井氏への反論に対しては、「欠落条項」により、自動車の運転など、社会生活上必要な手段を奪われている人から、強い批判がなされています。その批判の主眼は、障害者の社会権・交通権にかかわる問題です。運転免許交付の原則は、身体障害や精神障害の有無に関係なく、その人自身が安全運転できるか否かを基準にすべきであり、「保安処分」観点から判断すべきではありません。(小林健治『差別語不快語』にんげん出版、2011年、 頁79)


17.差別語が社会の進歩(人間の進歩)によって日々発見され、差別語が日々言い換えられていること自体を多くの人が知らない。

★ 差別語をめぐる議論にあきあきし、それが不毛だと感じた人たちの口からよく聞かれる意見の一つに、ことばだけとりかえてみても、そのことばが指している現実や事態が変わるわけではないというのがある。
 それは大部分その通りだが、そうではない点もある。というのは、ことばは現実のみならず、人々の意識、精神世界の領域のできごとを描き出そうとする。このことを否定する人はまずいないであろう。この本はまさにその問題ととりくんでみたものであるが、いま身近な例として、病気を指す名のことを考えてみよう。
 病名は、単にある病気を客観的に示すだけでなく、そこには多くの偏見がくっついている。ところが病気は医学の発達によって、それとたたかい、なおす方法が次々に開発されてくる。それによって病気への認識が変わってくれば、より適切な言いかたに変える必要が生まれるだろう。
 こうしてとりかえられたことばが指す病気そのものは依然同じであっても、そこにはより客観的で偏見がなく、そして病気で苦しむ人々に絶望ではなく希望を与えるはたらきがあるとするならば、私たちはもちろん、そのようなニュアンスを持ったことばにとりかえる必要がある。
 このように考えると、ことばのたたかいは、観点――ものの見方のたたかいでもある。(田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年、頁18)


18.名誉白人・人種主義者の石原慎太郎は当然黒人差別発言をしている。
日本・南ア友好議員連盟(1984年発足) 幹事長の彼曰く――「アメリカでは黒人を使って能率が落ちている。黒人に一人一票やって も南アの行く先が混乱するだけだ、独立してもやっていけない」

19.トンデモ和製英語「ブラック」の使用者は梶山静六並である。

 1990年、自民党の梶山静六法務大臣。資格外就労の外国人女性の摘発をめぐって、
「たとえば、悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)がはいって、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」

20.人類はアフリカを出てアラビア半島南岸を通って世界に拡がった。よって人間は総て“アフリカ系”と名乗ることができる。この科学的思考ができない愚者は、白人英語に洗脳されて、ブラックにあらゆる悪を含意して解き放つ

21.ヨーロッパ人も昔は黒かった
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39714511.html

22.マルコムXは「ニグロ」使用時にも“いわゆる”を付けていた。

▼ [CML 037997] マルコムX──私が言う「ブラック」の意味は非白人、つまり黒、褐色、黄色などの有色人種の総称である。
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39807924.html

 
★ だれもが「ニグロ」と呼ばれて疑問を抱かなかった時代に、マルコムXはそれを問題にした。そこにマルコムXの感覚の鋭さがある。マルコムXが活動を始めた1950年代、「ニグロ」は中立的表現であり、「ブラック」や「ニガー」が差別辞とみなされていた。「ニガー」は今でももちろん差別辞だが、かれら「アメリカの黒人」同士では自由に使いあっている。当時、「ブラック」と言わ れれば、子供たちの間ではつかみあいの喧嘩になったという。ところが「ブラック」のみならず「ニグロ」でさえ、決して中立的表現ではないことをマルコムXは果敢に指摘した。(荒このみ『マルコムX――人権への闘い』岩波新書、2009年、頁128)


★ マルコムX――奴隷制度がしかれていたあいだ、考えてもみなさい、強姦者である白人の奴隷主の手を逃れえたわれわれ黒人の祖母、われわれの曾祖母、さらにわれわれの曾々祖母は、まずいなかったのです。

23.大石俊一『英語帝国主義に抗する理念 「思想」論としての「英語」論』ガンディーの言葉「これは絶対的に愚かしいことではないのか。奴隷状態の印ではないのか。・・・・・インド人を奴隷化したのは、私たち、英語を話すインド人なのである。インド国家の呪詛はイギリス人ではなく私たちに責任がある」


24.メディア(ミーディア)の度しがたき支離滅裂──

本多勝一の「黒は美しい」と今時の『週刊金曜日』・・・③
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/38670351.html

25.色に価値を持ち込む愚劣──

CML 038129] 「白」=善、勝利、 真実、「黒」=悪、敗北、虚構、「黄色」=臆病、 反逆者 - ヘナチョコ革命 - Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39809533.html

26.色の価値観の変遷
 
インドにおける色の価値観の変遷 ⑤
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39849881.html

27.米国では民衆を分断するために奴隷制度が案出された

★17世紀までには、植民地は紛争状態に入り、社会というアリーナのなかに、我々はある重要な変化の始まりを見ることになる。多数の貧民と、インディアンの所有地以外のすべての土地をわがものとしていた少数の貪欲な古い入植者とのあいだに、大きな階級紛争が起こっていた。もっとも有名なものは1676年のナサニエル・ベーコンをリーダーとする反乱で、その反乱では植民地人口の約4万のうち8千人もの白人、黒人、ムラート(引用者注:白人と黒人の「混血児」)、インディアンら、若く貧しく土地を持たない男たちが団結し、エリート支配層に対して立ち上がった。ここでは詳細に立ち入ることはできないが、この反乱の結果、貧民を分断し、さらなる反乱を防止するための戦略が、植民地の指導者たちによって案出されることになった。(『人種概念の普遍性を問う 西洋的パラダイムを超えて』竹沢泰子・編、 人文書院、ペ頁165)

28.英語帝国主義に従属する日本でトンデモ和製英語「ブラック」「ホワイト」を駆使して名誉白人化を目指す。以下反面教師の林田力──

★林田力──これに対してブラック企業やブラック士業はブラックなやり口で金儲けをすることへの嫌悪感が込められている。ブラック企業が経済的成功を収めているとしても、そのやり口自体が唾棄するものであることを示している。ブラック企業やブラック士業によって日本語の黒に今まで以上に強い否定的意味を与えることができた。「Black is sneaky.」である。だからこそブラックバイトやブラック稼業などの新たな派生語も生まれてくる。ブラック企業やブラック士業は日本語を豊かにする言葉であり、この表現を大切にしたい。


29.日本の音楽界では『ホワイトラブ』なる歌も流行っていた。この英語無知の愚劣をもし知っていれば、「ブラック企業」なる言葉も生まれない。 英語が多少分かれば「搾取企業」からスウェットショップを思いつくが、使えそうもない判断すれば中国語の「血汗工場」を思いつく。いずれの場合も「ブラック企業」なる言葉は生まれない。



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