インドにおける色の価値観の変遷 ③


インドにおける色の価値観の変遷 ③
2015/7/11(土) 午後 8:44
http://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39837462.html

 囲碁・連珠・オセロなど、黒・白の2色を用いるが、どちらかに優越性があるわけではない。先手・後手の方が優越性には関係し、よって先手の黒には不利な条件が付与される。
 ゲームはともかくも私の今現在も部屋を見渡しても、黒の色でかなりの部分が占められている。パソコンのキーボードの色、テレビの縁の色、BDレコーダーの色、鏡の縁の色、黒いボールペン、腕時計の色、・・・
 この部屋で黒に悪を含意させたら、それはまるで百鬼夜行状態で、お化け・幽霊・ゾンビ・安倍晋三・岸信介・ヒロヒトなども飛び交う魑魅魍魎の運動会である。

 まあ冗談はこれぐらいにして、以下、インドの話である──



▼『人種概念の普遍性を問う 西洋的パラダイムを超えて』竹沢泰子・編、人文書院、2005年

頁343──

「白の優越性」の神話──植民地時代の輸入物か?

 カーストと皮膚の色や鼻示数の結合がインド社会に与える影響は永続的なものであった。それ以前の社会では、カーストの序列は、個人の内面性といっそう緊密に結びついていた。そうした内面性は、多くの場合、幾度もの転生をへて蓄積されていくものとされた。たとえば、ある人物が人間が到達しうる最高位である男性バラモンとして生を受けたとすれば、それは前世の善行(good Karma)のためであって、皮膚の色はまったく関係がなかった。事実、ヒンドゥー教的な宇宙観では、それぞれの色は独自の重要性をもっており、確かに暗い色や黒色も、西洋文化とは異なり、悪という意味をもっていない。ヒンドゥー教のパンテオンの神々の色は、明るいより暗いことが多い。事実、「白」という色は、「黄」や「金」に比べると滅多に使われていない。暗と明が対比されており、その2つはそれぞれ個別の特徴をもつとされるが、実際のところ、ヒンドゥー的な考えでは暗と明は対置されるのではなく、補完的関係にある。よって、シヴァは黒みがかった色で、その伴侶であるパールヴァティーは金色を帯び、富の女神ラクシュミーも同じである。インドで最も崇拝されている神の1つであるラーマもまた、黒みがかった色を意味する「シャーム(Shyam)」として描写され、クリシュナの色は青黒く、その伴侶のラーダーは金色である。色は、特質や対応関係を示し、たとえば、似た特性を持つ兄弟は通常同じ色で、伴侶は補完的な色で表される。クリシュナの妹は「黒みを帯びた色」で表され、幼いクリシュナの命を救うために身代わりになった女神ニドラーとまったく同じである。女神の色の明暗のシンボリズムは、横地によってみごとに論じられている。そこで明かなのは暗と明は連続的であり、固定的な対立項ではないことである。女神たちは自らの表象する特質によって形や色を変化させており、黒みがかった色の女神たちは権力や保護力を表象している。

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