差別の発見

差別語は人間の進歩によって日々発見される。もっとも今現在の日本でのトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)の氾濫は「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動から50年も経っていて、全てが戦前に逆流している一つの要素にもなってる。

 社会の進歩にともない差別が発見される例として筒井康隆問題の『無人警察』もあるので、以下に引用しておく。

 また差別語狩りについての田中克彦の指摘は、いまいち私にはわかりにくいので、私流に、差別語を発見して(発見のあとは余り使われなくなる場合が多いので、「言葉狩り」をそのまま使う)、そしてしかる後に新たな適切な言葉を生み出すという意味で「言葉生み」を合わせて書庫名「言葉狩り・言葉生み」にしている。 

 さらに筒井康隆問題の概略も――


▼塩見鮮一郎『作家と差別語』明石書房、1993年

頁34――
 教科書「国語Ⅰ」の新版に収録された「無人警察」を読み、てんかんの記述に、読者として疑問を覚えたのは、千葉県の公立高校の先生だった。
 差別は、いつもこうしてだれかによって発見(創造)されるのである。「無人警察」については刊行後28年たっていたことになる。28年間、差別に関してはなんのことはない小説だった。
 もう一度,確認しておこう。
 「無人警察」のてんかんについての記述は、社会的に認知されていたのだ。作者はずっと今日まで手を入れていない。作品は変化していない。
 変わったのは社会のほうだ。社会が変わったために、作品のうちに差別があると思えだした。それにイの一番気づいた読者が、千葉県の先生だったことになる。

▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年

頁27――

 糾弾側が絶対に使わず、もっぱら糾弾される側の専門用語としては、「差別用語」のほかに「差別語狩り」という表現も、興味深いものとしてとりあげてみるべきであろう。これはまず、糾弾行為を非難するための表現であるが、ことがらを本質的にとらえようとすれば、浅薄なものであることがわかる。というのは、差別語は「きのこ狩り」や「潮干狩り」のように、ひと通り「狩って」しまったら、あとには収穫物がほとんど残らないというような簡単なものではない。差別語はモグラタタキのように、たたくはじから生まれてくる。いな、より事態に即して言えば、ことばはみずから湧き出してくるのではなくて、人間が作るからはじめて現れるという点で、糾弾側は、ある有限個の差別語を単に狩って消し去っているのではなくて、新しく発見し、作り出しているのである。差別語は刈りつくして終わるのではなく、作り出されているのだという、このことの中にこそ、ことばの不滅の豊かさと創造力というものがある。したがって、「差別語狩り」は不正確な言いかたであって、「差別語生み」とか、「差別語作り」とか言うべき、発見的、創造的行為であり、また哲学の伝統に則して言えば、「言語批判」の流れの中に位置づけてさえいい性質のものである。それだからこそ、糾弾の対象になる機会の最も多いのはポエジー(文学)である。



▼小林健治『差別語不快語』にんげん出版、2011年

頁79――

■てんかんをもつ人々への差別
――筒井康隆氏へのてんかん協会の抗議をめぐって

 まずは事例を紹介します。
 1993年、・・・

・・・問題となった箇所には、以下のように書かれています。


 「無人警察」の巡査ロボットは「小型の電子頭脳のほかに、速度検査機、アルコール摂取量探知機、脳波測定器なども内蔵している。歩行者がほとんどないから、この巡査ロボットは、車の交通違反を発見する機能だけを備えている。速度検査機は速度違反、アルコール摂取量探知機は飲酒運転を取り締まるための装置だ。また、てんかんを起こすおそれのある者が運転していると危険だから、脳波測定器で運転者の脳波を検査する。異常波をだしている者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである・・・・・」
 そして、その巡査ロボットに気づかれた主人公は、「わたしはてんかんではないはずだし、もちろん酒も飲んでいない。何も悪いことをした覚えもないのだ」と考える。

 日本てんかん協会は、この「異常波をだしている者は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである」という表現は、てんかんを医学や福祉の対象としてではなく、とり締まりの対象として見ており、てんかん患者の人権を無視していると抗議しました。
 筒井康隆氏はこれに対する反論の主旨をつぎのようにのべています。

 「(略)是非ご理解戴きたいのは、てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持ちは、てんかん差別につながるものでは決してないということです。てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する車には乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです。」

■欠落条項に見える障害者へのまなざし
 この筒井氏への反論に対しては、「欠落条項」により、自動車の運転など、社会生活上必要な手段を奪われている人から、強い批判がなされています。その批判の主眼は、障害者の社会権・交通権にかかわる問題です。運転免許交付の原則は、身体障害や精神障害の有無に関係なく、その人自身が安全運転できるか否かを基準にすべきであり、「保安処分」観点から判断すべきではありません。・・・略・・・
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