「ブラック企業」は、人種差別用語である

■「ブラック企業」は、人種差別用語である

言葉の使い方に鈍感すぎる国内メディア


高橋 浩祐 :ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー東京特派員 



高橋 浩祐


2014年09月01日

http://toyokeizai.net/articles/-/46755


米ミズーリ州セントルイス市内で8月25日に行われた葬儀で、警察官に射殺されたマイケル・ブラウンさん(18)を追悼する人々(写真:代表撮影/AP/アフロ)

日本国内では、長時間労働や残業代の未払いで従業員を酷使し、使い捨てにする企業のことを長らく「ブラック企業」と呼んでいる。これに対し、従業員を大切にする優しい企業のことを「ホワイト企業」と呼んでいる。

「ブラック企業」は昨年の「新語・流行語大賞」トップテンにも選ばれ、日本メディアでも当たり前のように使われている。ネットでは連日のごとく「ブラック企業」絡みの記事が報じられている。しかし、私はこの「ブラック企業」という言葉を以前からずっと「人種差別用語」、あるいはそれに類する言葉だと思ってきた。この言葉を耳にする度に、「ああまた、人種差別用語が使われている」と心を痛めてきた。使ってはいけない言葉だと思っている。東洋経済オンラインにはこれまで軍事や外交、政治問題を書いてきた身ではあるが、今回、この問題について書く機会を得られたので、思うところを記したい。

色で価値判断するのはタブー

従業員を酷使する企業を「ブラック企業」、従業員を大切にする企業を「ホワイト企業」と呼ぶ背景には、「黒が悪いもの」「白が良いもの」との価値判断が前提となっている。つまり、「黒は汚れてきたないもの」「白は綺麗で純粋」といった価値判断が働いている。圧倒的多数の人々はきっと無意識のうちにそう思い、なんの抵抗もなく「ブラック企業」という言葉を使っているのだろう。

しかし、日本で暮らす「有色人種」の外国人は増え続けている。日本人の圧倒的多数も「黄色」という有色人種である。「色の有無」「色の是非」で価値判断を下す表現を使うことは、人々が無意識のうちに、肌の色が、有色かあるいは白色かで優劣をつける社会を育んでしまう危険性がある。「白人が上」「黒人が下」との概念を社会に植え付けたり、助長したりしかねない。これは道徳的に問題がある。英語でいう、politically incorrect(言葉や見解などが不適切で偏見的)の部類に入る。

人種のるつぼ、米国ではこうした偏見をなくすために、長年、Black(黒人)という表現よりも、Afro-American(アフリカ系アメリカ人)という表現がpolitically correct(公正で道徳的に正しい)とみなされて使われている。もちろん、米国の有名なラッパー、ジェイ・Z(妻は歌手ビヨンセ)のように、自らをBlackと呼ぶ人々も少なくない。しかし、米国では既にAfro-Americanという表現のほうが公の場では、より一般的になっている。

BlackとWhiteという言葉の意味について、考えさせられる良い映画がある。今の若い人にはあまり知られずに観られてないだろうが、1992年に米国で公開された映画『マルコムX』だ。1960年代の米国でキング牧師と並び、アフリカ系アメリカ人への人種差別撤廃運動の指導者として名を馳せた実在の人物、マルコムXの生涯を描いた映画だ。アカデミー主演男優賞受賞の名優、デンゼル・ワシントンが演じる名作。まだ鑑賞していない読者、特に若者にはレンタルビデオ屋で借りて観ていただきたい映画だ。

辞典に書かれていること

この映画の中で強烈なインパクトを放つシーンがある。マルコムXが刑務所の図書室の中で、同じ受刑者のベインズと、ウェブスターズ・カレッジエイト辞典を引き、それを読みながら、会話する場面だ。以下、その場面の会話を紹介する。

ベインズ: 黒 ― 光の欠如した状態。色彩のないこと。暗黒で、『未来は暗黒』のような形容に使われる。

マルコムX: 君は言葉に強いな。

ベインズ: (黒は)汚れていて、不潔、陰気、敵意。『暗黒の日(ブラックデー)』のような形容もある。極悪とか残酷さを連想させる言葉。恥、不名誉、過失等を暗示する。脅迫(ブラックメール)、除名(ブラックボール)、不良(ブラックガード)。

マルコムX: これはひどいな。

ベインズ: 次に白を見てみよう。ここを読んでくれ。

マルコムX: 白 ― 汚れのない雪の色。あらゆる色彩の原点。黒の反対。けがれのない状態。無垢(むく)、純粋、悪意のないことの象徴、無害、正直、公正、名誉。。。これを書いたのは白人だな?白人だろ?

ベインズ: 白人だよ。

今、日本でブラック企業という言葉を使って、記事を書いたりしているのはどのような人なのだろう。もし仮に自分がアフリカ系アメリカ人だったり、家族にアフリカ系アメリカ人がいたりすれば、ブラック企業という言葉を書いたり、使ったりすることに少しはためらうのではないか。

実は筆者の妹は、スリランカ人の男性と結婚した。将来、甥っ子や姪っ子が生まれた時は、一般的な日本人より、肌の色が濃い子供となる。「ブラック」や「ホワイト」という言葉を、当たり前のごとく蔑称や称賛の脈略で使っている社会に生まれる子供の未来を個人的にも案じてしまう。

確かに、日本でも昔から犯罪容疑者が犯罪の事実がありと判断する時を「黒」、事実がない場合を「白」と言うなど、黒と白に善悪の価値をつけているのは事実だ。しかし、既に日本は急速な少子高齢化社会に突入し、外国人労働者に頼らざるを得なくなっている。多民族社会に入るなか、「ブラック」や「ホワイト」といった色の有無を善悪の基準にいつまでも平然と使っているのはいかがなものか。

スリランカ人の義理の弟は以前、道端で、通りすがりの中年男性からいきなり「黒んぼ!」と言われ、しばらく落ち込んでいた時期があった。

米国における根深い人種問題

「私には夢があります。いつの日にかこの国が、私の4人の子どもたちが、肌の色でではなく、その人となりで評価されるようになるという夢です」

マルコムXと同年代の米国を代表するアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者、キング牧師は1963年8月28日、リンカーン記念堂の前で行った有名な演説「I Have a Dream(私には夢がある)」でこう訴えた。しかし、それから51年後の今日、米中西部ミズーリ州セントルイス近郊のファーガソンでは、銃を持たないアフリカ系アメリカ人の青年が警察官に射殺される事件が発生、米国社会の根深い人種問題が改めて浮き彫りになっている。

一方、太平洋の反対側の日本では、既に大勢の外国人が共存する社会になっているにもかかわらず、メディアが「白人」「黒人」「ブラック企業」「ホワイト企業」と書き、アフリカ系アメリカ人の書かれる側の気持ちを十分に忖度(そんたく)しているようには思われない。

実は日本メディアが使う言葉で、気になるものはまだある。「極東」という言葉だ。筆者が働くジェーンズ・ディフェンス・ウィークリーは、極東(Far East)という言葉はpolitically incorrectだとして、すべて「アジア太平洋地域(the Asia-Pacific region)」と置き換えて表現している。欧米メディアでは以前は西欧中心の世界観で、日本の存在する地域を「極東」と呼んでいたが、既に使わなくなっている。関東地方でAM810ヘルツで流れている英語放送のラジオAFN(American Forces Network、米軍放送網)も、かつてはFEN (Far East Network 、極東放送網)と呼ばれていたが、1997年からそれをやめ、AFNが正式名称となった。

言葉は言論の自由を守る武器にもなるが、時に人権を脅かす凶器にもなる。もろ刃の剣だ。言葉狩りになってはいけないが、言葉の野放図にもなってはいけない。言論に携わる者として、おのおのの言葉が持つセンシティビティー(感覚の鋭さ)には常々十分に配慮し、気を付けていかなければならないと自戒している。

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