「黒い笑い」考

「黒い笑い」考
2014/1/24(金) 午前 6:46

▼kojitakenの日記
2014-01-19 「自分の外に『主人』を持たない」(醍醐聰・東大名誉教授)「黒い笑い」は「差別用語」か
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20140119/1390098471

 [「黒い笑い」は「差別用語」か]という疑問自体で、どう考えても進歩である(笑)。だって今まで気にもならなかった言葉が気になるようになった。差別する側は差別される側の人間などもともと見えない存在、物理的にも意識的にも。よって人種隔離政策が成り立つ。よって差別される側の人間である黒人の作家ラルフ・エリスンが書いている小説名は――『見えない人間』。

 で[「黒い笑い」とは、果たして「差別用語」なのであろうか。]についてだが、白人英語の「ブラック・ジョーク」を直訳すれば「黒い笑い」にもなるから、「ブラック・ジョーク」の意味を多少知っている読者なら、――白人英語の偏見にまみれた思考の善し悪しを問わねば――作者の思いにある程度は近づける可能性はある。だけど、その思考回路以外では多くの読者は作者の真意にはたどり着けない可能性がある。だがもし読者が「黒」に偏見をもっていれば、何となく分かるような気がする程度の言葉でもある。いずれにしても死体の前で笑うのであるから、邪悪な笑い、罪深い笑い、毒を含んだ笑い、危険な笑い、残酷な笑い・・・ぐらいは思いつく。
 私の推理では、警察用語の「黒」と接する機会が多い人間(弁護士をはじめとする法曹関係者、記者、モノカキなど)は多分平気で使うだろう。文中で「黒」という言葉に出くわした読者にとっては、正確な意味は不明だが、黒に偏見を持つ読者なら“何となく悪いイメージ”だけは想起できるわけで、モノカキはその種の世間の「常識」(偏見)に頼っているわけだ。この手法は筒井康隆がてんかんに関する無知の小説を書いた動機と目くそ鼻くそのようなもので、モノカキ頼りにしているのはモノカキ並みの無知で偏見がある大衆なのである。

 辺見庸のブログを覗けばすぐ分かるが、「Yo Hemmi Weblog」となっている。かように英語帝国主義に犯された奴隷根性を持ち合わせているモノカキなら、「ブラック・ジョーク」を直訳した「黒い笑い」を使っても、あるいは黒に悪を含意して使っても私は驚かない。
 「ブラック・ジョーク」を直訳して使うモノカキは、「ブラック・リスト」(“要注意人物名簿”が適当)「ブラック・アイ」(不名誉・面汚しの意味がある)は直訳しては使えないと気づくのであろうか?

 さてここで黒の話題から離れ、いわゆる「ブラック・ジョーク」が意味する邪悪な笑い、罪深い笑い、毒を含んだ笑い、危険な笑い、残酷な笑い・・・などについて考えてみる。

 「葬式仏教の坊主は人の死が嬉しい」というのは、ある意味本質は突いているが、そうだと分かっていても人前では言ってはならない言説のひとつであろう。ただし現実は酷く、ある僧侶は私の叔母の葬儀での説教で「(人の死は災いだが)災いを転じて福となす・・・」という言葉を発したのだ(笑)。例えばある人に「天国は素晴らしい」「仏のなることは素晴らしい」という妄想があれば、「人の死も幸せだ」という倒錯は生まれるから、坊主の説教もその種の倒錯の一つである。

 次に、原発のもろさを知っている反原発側には次のような言説を言う人はまずいないと思うのだが、例えば――「地震の時は耐震構造が万全の日本の原発内に逃げ込むのが一番安全だ!」は危険な笑い、残酷な笑いを含んでいる。ただし日本では原発推進オジサンのビートたけしがこの種のことを言っていた。だがたけしが福島の原発震災の時に原発に逃げ込んだという話は聞かない。

 さらにネットでは、[子ども「ママ、アメリカって遠いの?」、母親「黙って泳ぎなさい」]なる文例もさがせる。私にはとても書けない言説だが、それはさておき、もし読者がテロ国家アメリカのキューバへの数々のテロ攻撃(例えば細菌攻撃ではデング熱、豚コレラなど)を知っていれば、果たしてどう読むのであろうか?

・・・

 さて話を戻せば、辺見庸については、講演でアキヒトを褒めていて、それを批判済みだし、彼の使う言葉――私がまず使わない言葉についても、もう以前に批判済みだ。ただ「kojitakenの日記」については、彼(彼女)がスワローズファンの手前、トンデモ和製英語「ブラック」を使っていては、バレンティンやミレッジに言い訳できないだろうということだ。

 うまく説明できないが“何となく悪いイメージ”だけは確実に持てるというのは、不合理・非論理・非科学(穢れ意識などこれらの最たるものだ)に支配された差別主義者が得意とする思考法である。たとえば、科学では私の祖先をたどればアフリカで生まれた皮膚の黒い人類(黒人)に行き着くが、非科学で無知なモノカキにはその種の想像力もわかないだろうということだ。もちろんものの見方を身近な日常に向けても良い。私は黒いシャツを着る日があり、黒いパジャマを着て寝ていて、黒い靴下をはいて出勤しているのに、何で黒に悪いイメージを付与する必要があるのか、私には科学では説明がつかない。いうまでなく「腹黒い」などという意味不明な言葉は心が脳にあるのだから二重の意味での非科学の極みである。

 人間が進歩にともない差別語が日々発見されるのはもちろんいいことだ。問題は何も複雑ではない。昔の人間の無知・偏見から造語した言葉に、ある程度の知性を獲得し無知・偏見を減少させた現代人がそれらの言葉にどうつきあうかという問題である。人間は知らないことのほうが知っていることより少ないものだから、多くのモノカキも平気でトンデモない無知をさらすものだ。もちろん一本の小説を書くために多くの書籍を調べ尽くすこともするだろうが、所詮無限の知識を獲得できるものではない。よって誰でも失敗をするのである。ただし、その失敗を指摘する人がいないとか、指摘しても無視するとか居直る場合などの場合には、それらの場面でモノカキの進歩が途絶えるというだけのことだ。

 トンデモ和製英語「ブラック」の氾濫で日本語の「黒」も当然影響を受けるだろう。黒人への偏見がへばりついた白人英語のblackに限りなく近づくだろう。また公安警察に昔から「黒」と規定されている共産党の機関誌がトンデモ和製英語「ブラック」を多用するのは悲劇を通り越して喜劇でさえある。もちろん強欲企業独裁下では警察の監視対象で「黒」であるのはほとんどの国民も同様なのだが、日本低国民はほとんどが馬鹿な右翼になってしまったのだから、悪を含意して「ブラック」を連呼しながら、警察に「黒」として監視されていることなど気づかずにアッケラカーと生きてゆけるかもしれないのだ。

 これから私たちが生きるための反市場原理主義・反強欲企業独裁とは、“反ミルトン・フリードマン”でもあるのだ。よって、「ミルトン・フリードマンの親父の工場は“搾取工場”だった」と記憶して“反搾取”を反撃の言葉として獲得すべき時に、使えない言葉――トンデモ和製英語「ブラック」を“搾取”と間違えて記憶してしまった大失敗は、将来手ひどいしっぺ返しを食らう可能性がある。

追記:トンデモ和製英語「ブラック」を使いながら、自らは警察に「黒」と規定されていることに気づくことはあるのか?――という問いに、私は「気づかないであろう」と思うが、『しんぶん赤旗』を見ると、説明ができなくなる(笑)。かように「無知は力」が威勢のいいときはあらゆる意味で私には「お手上げ」である。

追記2:松本清張の小説には書名に「黒」が多い思うが、推理小説を書くとなると、警察用語「黒」は当然使うということだろう。で、本多勝一が『アメリカ合州国』を出した頃、2人は人種問題を主題に対談しているのだが、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動を知っていたはずの本多勝一からの松本清張の使う「黒」についての質問はなかった。

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