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差別語発見の絶え間ない試みは人間の進歩とともに続く

差別語発見の絶え間ない試みは人間の進歩とともに続く
2013/8/17(土) 午後 6:28

 書庫名「言葉狩り言葉生み」は以下引用の田中克彦の指摘を参考に採用したものだが、読み返してみると私の理解とは多少違っていた。よって題名のように書いて記憶にとどめることにする。

 「人間は平等」という叡智を発見するまでの人間にとって、差別など意識さえされず平然と行われていたのだろう。これからも言葉は作られ続け、人間の進歩に伴い、そのたびにあらゆる言葉が差別語かどうかの検証も受け続けるわけだ。

 書庫名「言葉狩り言葉生み」は、「精神分裂病→統合失調症」という病名の言い換えを意識して作られている。 

▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年

頁27――

 糾弾側が絶対に使わず、もっぱら糾弾される側の専門用語としては、「差別用語」のほかに「差別語狩り」という表現も、興味深いものとしてとりあげてみるべきであろう。これはまず、糾弾行為を非難するための表現であるが、ことがらを本質的にとらえようとすれば、浅薄なものであることがわかる。というのは、差別語は「きのこ狩り」や「潮干狩り」のように、ひと通り「狩って」しまったら、あとには収穫物がほとんど残らないというような簡単なものではない。差別語はモグラタタキのように、たたくはじから生まれてくる。いな、より事態に即して言えば、ことばはみずから湧き出してくるのではなくて、人間が作るからはじめて現れるという点で、糾弾側は、ある有限個の差別語を単に狩って消し去っているのではなくて、新しく発見し、作り出しているのである。差別語は刈りつくして終わるのではなく、作り出されているのだという、このことの中にこそ、ことばの不滅の豊かさと創造力というものがある。したがって、「差別語狩り」は不正確な言いかたであって、「差別語生み」とか、「差別語作り」とか言うべき、発見的、創造的行為であり、また哲学の伝統に則して言えば、「言語批判」の流れの中に位置づけてさえいい性質のものである。それだからこそ、糾弾の対象になる機会の最も多いのはポエジー(文学)である。

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