笹川良一と岸信介

小森 陽一・アーサー・ビナード『泥沼はどこだ 言葉を疑い、言葉でたたかう』(かもがわ出版、2012年)でも触れているが(笹川良一と岸信介――ことばのPR作戦)、モーター・ボート競走法の成立について――。



▼代々木総合法律事務所

http://www.yoyogi-law.gr.jp/news/2009/080/no_80.html
代々木総合法律事務所新春のつどい講演
世界の市民の願いを実現できる九条を生かした運動を!
小森陽一 (東京大学教授・「九条の会」事務局長)
57年前のモーター・ボート競走法

 

 今年2008年という年は、とんでもないはじまり方をいたしました。二度も会期を延期した異例の越年国会。1月11日に新テロ対策特措法が、いったん参議院で否決されたにもかかわらず、衆議院で再可決されたのです。多くの新聞やテレビで、これは「57年ぶり」だという見出しが躍りました。しかしほとんどのテレビや新聞は、57年前、一体どういう法案が、参議院で否決されたものをもう一度衆議院で再可決したのかということは、説明していませんでした。
 57年前、1951年にどのような法律が、参議院でいったん否決されたにもかかわらず衆議院で再可決されたか。それはモーター・ボート競走法です。いわゆる競艇の、賭け金をどう賭けて、それからどうやって払い戻しをするのかということを中心にした法律です。
 モーター・ボート競走というと、誰の名前が出てくるでしょうか。笹川良一です。この法律は、笹川良一と岸信介が仕掛けた法案なわけです。では一体なぜ、1951年3月、朝鮮戦争のまっただ中で競艇の法律が通るのか。
 笹川良一と岸信介は、同じ穴のむじなといっていいほど、経歴が似ています。笹川良一は日本国内で右翼運動をやり、岸信介は満州国で関東軍が進出しやすい条件を作っていく官僚として働いていた。そして1943年、二人とも大政翼賛選挙で国会議員になり、戦争を遂行する中心人物になりました。岸信介は、商工大臣として軍隊と軍需産業と、そして官僚組織を一体化させる中心になりました。ですから二人とも、1945年の敗戦のあとA級戦犯としてGHQに逮捕されて、巣鴨プリズンに拘置されていたわけです。
 それがアメリカの予測に反して、中国大陸で国共内戦になってしまった。1948年に二人とも釈放されるわけです。つまり、かつての日本の戦争を担った連中を、アメリカのいうことをずっと聞き続けるという約束をとって、日本の国民の命と財産をアメリカに売り渡しながら、内側では愛国心ということを強調させる。まさに憲法と教育基本法の体制を踏みにじっていくような、アメリカの占領政策の転換の中で表舞台に出て来たのが、彼らなのです。



再軍備、そして競艇での金集め



 1949年に、中国大陸では中華人民共和国が10月1日建国をする。そして翌1950年6月25日、その中華人民共和国を背後にして、金日成が軍事侵攻によって38度線を越えて朝鮮戦争が勃発するわけです。
 朝鮮戦争がはじまり、最初は空爆です。日本は、その出撃基地になるわけです。でも北朝鮮軍はもう、釜山近くまで来ていました。やっぱり陸軍を上陸させて押し返さなければいけない。その時には日本を占領しているアメリカ軍が全面的に国連軍として出て行くわけです。日本のアメリカ軍の基地はカラになる。
 そこでマッカーサーは、アメリカ軍の基地を守るための陸軍の再建をする。これが1950年夏の警察予備隊です。そして、ここで大きな役割を果たしたのが岸信介です。実際にアメリカ空軍の爆撃だけではなくて陸軍を韓国に上陸させるためには当時、一気に大量輸送できる機関というのは船舶だったわけです。
 アメリカの陸軍を上陸させるところは、仁川ですね。ここは遠浅の海です。海岸付近にLSTという戦車揚陸船を停泊させて、船の船首のところがぼこっと開いて、そこから人工の道を作って戦車や装甲車や軍隊がダアッーと一気に上陸する。
 LSTがちゃんと浮いていられるところに停泊させて、人工の道もうまくつけられる、そこをちゃんと見切ることができる船乗りはどこにいるかというと、サンディエゴ(米大平洋艦隊の基地でアメリカの西海岸の一番メキシコ寄りの港)の海軍将校ではできない。できるのは、日本の船舶業界の船乗りです。日本は中国大陸に進出していた軍人たちを復員させるために、アメリカ軍のLSTを使って韓国の仁川から何度も運んでいたのです。
 こうして、当時の一般の人の給料の5倍ぐらいの給料を払って、民間の船舶関係者がいっせいにアメリカの陸軍の輸送に動員されたのです。そして死者も出しました。
 この見返りとして、庶民からギャンブルでお金を集めて、そのあがりを毎年600億円ずつ日本の船舶業界に必ず分配していく、こういう法律がモーター・ボート競走法だったのです。つまり日本の人員がアメリカの戦争に動員されて行く。それが57年前、参議院で否決されたのに衆議院で再可決された法律です。



世論は「九条を変えない方がいい」



 日本の海上自衛隊がインド洋に出ているアメリカ軍をはじめとする11カ国の艦船に給油をし続けるーこの法律が強行されたのと57年前に起こったことは、同じ構造です。日本の人員がアメリカの戦争に動員される、ここに憲法を変えようとする勢力の一番のねらいがあるのです。
 ここが2008年のはじまり方の中で、私たちが歴史的にしっかりおさえておかなければならない大事なポイントです。けれども福田政権は、安倍政権のように強行採決につぐ強行採決ではやれない。これは明らかに2007年、参議院選挙の結果がはっきりと、これ以上アメリカの無法な戦争に日本が協力し続けていくのはよくない、そしてその同じ方向で9条を変えるのはやはりよくない、こういうふうに国民の世論が判断したからです。
 2007年は憲法施行60周年の年でした。すべてのマスメディアが、憲法記念日の5月3日までに、国民が一体日本国憲法に対してどういう考え方を持っているのか、世論調査を実施しました。最初に発表したのはナベツネの読売新聞。その読売新聞は1994年から、1000万人の読者を相手に社をあげて9条をはじめとする憲法を変える大キャンペーンをやってきたのです。その読売新聞でさえもが、3年連続で憲法を変えようという人は減って、憲法は変えない方がいいという人が増えたという結論を出しました。
 3年連続とはどういうことでしょうか。2007年4月の世論調査ですから05年、06年に続けて、という意味です。「九条の会」ができたのは、2004年の6月10日です。これ以来、3年連続して9条を変えない方がいいという人が多数派になってきているのです。NHKも含めてすべての世論調査で、9条に関しては変えない方がいいという人が多数派で、変えた方がいいという人は少数だったのです。この世論を作ったのは、小沢民主党ではありません。まさに草の根から9条を絶対変えてはいけない、9条を守ろうという運動をやってきた「九条の会」をはじめとする草の根の活動がこの世論を作ったのです。



自民党の改憲案―アメリカ軍と一緒に軍事行動



 日本の自衛隊は、小学校1年生が見ても軍隊です。にもかかわらず、日本の政府は、自衛隊は軍隊ではない、とずっと説明してきました。1954年に自衛隊を作ったときに、誰が見てもこれは軍隊だとわかっていますから、憲法を変えなければいけないということで1955年に当時の自由党と民主党が合体して、初代鳩山一郎総裁のもとで参議院の3分の2をとろうとしました。
 けれども、9条改悪に国民はノーという決断を出した。9条改悪ノーで、自衛隊はあるわけです。そうすると説明しなければいけないわけです。これがですから、「自衛隊は9条2項に合致し、陸海空軍その他の戦力ではない。自衛のための最低限の実力であり、実力行使をするだけなので国の交戦権は使わない。」などと無茶苦茶な説明になるのです。こうして、日本語をねじ曲げねじ曲げやってきたのです。だから、重装備でイラクのサマーワに行っても、武器はいっさい使わないで帰って来るしかないのです。9条2項が自衛隊を縛っているわけです。
 通常は基地を貸していたら、集団的自衛権を行使していることになります。だけど、自衛隊は個別的自衛権しかありません、日本の領海内に攻撃があった時は領海内で反撃します、日本の領海の外で米軍と一緒に行動することはできません、憲法違反です、と内閣法制局はずっと説明して来たわけです。それは国民の運動が作って来たわけです。ここです。自民党の改憲案は、9条2項を変えない限り、アメリカ軍と自衛隊が一緒に軍事行動をすることができないから、ここを変える、自衛隊を自衛軍にするというのです。
 つきつめると、なぜ米軍は性懲りもなくいるのだろうかということです。それは朝鮮戦争が終わってないからです。休戦協定を1953年に結んだままです。私は1953年生まれです。私の母、小森香子は私の耳にタコができるほど、「陽ちゃんは朝鮮戦争休戦協定の年に生まれたのだから」といい続けました。私の人生すべて朝鮮戦争休戦協定です。お休みだけして、終わっていないのが朝鮮戦争です。
 だから今すすめている6カ国協議、去年の10月、ノムヒョン前大統領が最後の仕事として北朝鮮に行って金正日と話し、6カ国協議の最終目標は朝鮮戦争の講和条約をアメリカと北朝鮮、韓国と北朝鮮が結ぶことにあると明確にしました。北朝鮮の非核化が進んでいくわけです。当然、北朝鮮が本当に安全になるためには、韓国はアメリカの傘の下から出なければいけない。
 このためには、朝鮮戦争を終わらせるのが一番良いわけです。さらに日本もアメリカの核の傘の下から出なければ、北朝鮮は安全だとは言わないですよ。もし6ヵ国協議の6ヵ国が相互に多国間安全保障条約を結んで、韓半島と日本列島が非核の地域になったら、胸を張って中国やロシアやアメリカに対して核兵器を廃絶せよといえますよ。唯一の被爆国日本が今、一番やれる、世界における重大な役割はここでしょう。



58年前、世界の市民は核戦争を止めた



 だから、私が総理大臣だったら、日本が6カ国協議の議長国をやり、広島や長崎でアジアの平和の道筋を作りましょうよと、そういう提案をします。朝鮮戦争を終わらせたら、世界から、つまり中国もロシアも韓国も、なんでアメリカは日本に居続けるのだ、どこが危険なのかと、なんのために軍事力を置いているのかと、はっきりといえるんです。これが、9条を守るだけじゃなくて、9条を生かした時に、日本の国際貢献が一体どういう水準のものになるのかをもっとはっきりと、方向づけていくことだと思います。
 1950年の朝鮮戦争の年に核戦争が起きるかもしれないといわれ、実際マッカーサーは使うつもりでした。しかし、その年の3月ー日本ではその翌年に、屈辱的にモーター・ボート競走法が通りますがー、世界ではストックホルム会議が開かれて、日本の被爆者がどれだけ辛かったのか、どんな苦しみを持って死んだのか、原爆を落とすことがどれだけ人類に対する罪なのかが明らかにされました。そして、ストックホルムアピールが採択され、世界の名もない市民がはじめて世界中で署名活動を行って、核戦争を止めたのです。
 58年前の世界の市民の願いを今、日本が中心になって実現できる、そういう勝つための運動に一緒にしていきましょう。
 ともに頑張りましょう。

(紙幅の関係で、小森先生の講演の一部を紹介しました。)


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