「アメリカに死を」はお上の命令で止めることのできるようなものではない

▼「アメリカに死を」はお上の命令で止めることのできるようなものではない(上)2013年11月04日付 Jam-e Jam紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html

 人民主権(マルドムサーラーリー)の国では人民、及び人民組織が表に立ち、政府は人民の考えに反した行動を自らの利益に適うものとは見なさない。政府はむしろ公衆の要求を受け入れ、人民の側から表明された意見の枠内で国益を追求することを義務づけられている。

 表面的にのみ民主主義(デモクラシー)の国では、人民の要求は政府の行動を正当化するための口実に過ぎないが、しかし人民主権があらゆる面で受け入れられている体制では、民主主義は公衆の意志に対して「上から目線」で命令したり、人民に対して義務を課したりすることのないよう、政府に求める。

 こうした制度の中では、通常命令によってではなく、自然発生的に人民の心からの要求として示されるスローガンが蔑ろにされたり、排除されたりするようなことは、人民自身がこうしたスローガンの継続を不必要であると結論づけない限り、あり得ないことである。

 イスラーム革命によって人民の意見というものが、その本来の場所に戻ることが可能となった我が国では、この種のスローガンは革命の時代に〔人民の側から〕示された。この時代、いかなる者も人民にスローガンを指定することは不可能だった。特殊なスローガンを示していた〔MKOのような〕矮小なグループも、自らのスローガンを〔人民のスローガンとして〕永続化させることはできなかった。というのも、人民は彼らとともに歩まなかったからだ。〔それとは対照的に〕「シャーに死を」や「独立、自由、イスラーム共和国」などのスローガンは、まさに人民の革命的熱狂から生まれたのであり、それらが実現されるまで、こうしたスローガンは唱えられ続けた。

 イスラーム革命の勝利後、アメリカは逃亡したシャーを保護したことで、イラン人民の革命に対する自らの敵意を露わにした。そしてそれからしばらく後、アメリカ大使館を占拠したことで見つかった資料によって、この国の不正義がより広範囲に広がっていたことが分かった。その後、アメリカは我が国の資産を凍結し、大規模な経済制裁を科し、対イラン侵略でイラク政府を支援し‥‥これらのことが重なって、人民は「アメリカに死を」のスローガンを叫ぶことを決意した。

 イスラーム革命の勝利から30年以上が経ち、その間イラン・米関係は紆余曲折を経験した。しかしイランに対する米政府の敵対的政策に変化はなく、そのために「アメリカに死を」のスローガンも、数百万人もの人々が参加する集会やデモ行進で叫ばれる、定番のスローガンになっていった。

 イラン国民の意志についてほとんど知らないまま、国際問題に対する革命後の人民の対応を目撃した〔欧米の〕人々は、今や〔「アメリカに死を」のごとき〕人民的スローガンが政府のお触れや通達のように、署名と共に発出されては、撤回されるような種類のものではないということを理解するようになった。


つづく


▼「アメリカに死を」はお上の命令で止めることのできるようなものではない(下)2013年11月04日付 Jam-e Jam紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html

 〔「アメリカに死を」のような〕これらのスローガンは時の経過と共に、状況が正確に観測されて、〔例えばアメリカ政府の〕スタンスに変化が認められたり、〔資産凍結が解除されるといった〕人民の求める要求に対して〔好ましい〕結果が得られた時に初めて、終わりを迎えるものである。それゆえ、人民のスローガンに介入し、それを自らの望みに沿ったものへと無理矢理に作りかえるというようなことを、〔イラン〕政府に期待することはできない。

 イランで成立する政権は人民の票によって生まれるものであり、結果として公衆の要求に沿ったものとなる。しかしその一方で、政府当局の事情や短・中期的な戦略によって、さまざまなレベルの責任者たちが〔人民のスローガンとは〕異なったレトリックを採用することもありうることだ。しかしだからといって、人民の叫びや意志が一時的な外交上の曲折の影響を受けて変化してしまったり、何らの成果も得られぬまま戦略的なスローガンが忘却されてしまうというようなことを、〔欧米諸国は〕期待してはならない。

 つまり、イラン人民の「アメリカに死を」のスローガン(もちろん何度も強調されてきたことだが、これは同国国民に言及したものではなく、専らアメリカ政府の敵対的な政策に向けられたものだ)は、過去34年間、政府の命令によって唱えられてきたのではなく、それとは独立に、一国民的戦略として、人民によって唱えられてきたものなのである。それゆえ、アメリカ政府の政策にはっきりとした変化が(外交官だけでなく)人民によって感じ取られ、証明されたときに初めて、このスローガンが終わりを迎えるのを期待することができるのである。

 この変化というのは、言うまでもなく、カメラ越しの微笑みとか、言葉遊びの上での変化という意味ではない。そうではなく、それは専ら行動で示されるべきものなのである。「アメリカに死を」のスローガン継続は、国際関係における緊張緩和を戦略的に追求している政府の政策を弱めるものではなく、むしろ人民の要求を支えとして、交渉のテーブルで人民の利益を守り、国益からのほんの少しの後退も受け入れない外交官らを応援するものなのである。

 「アメリカに死を」のスローガンはまた、ホワイトハウスに対する明確なメッセージでもある。それはすなわち、アメリカへのイラン人民の視線を変えたければ、同国は外交的ジェスチャーと政治家風の言葉遊びを弄する代わりに、イラン人民がアメリカの敵対的政策が終わったということを日常生活の中で感じ取ることのできるような行動を実際に取るべきだ、というメッセージである。恐らくこうした状況下で初めて、政府の戦術とは独立に、「アメリカに死を」のスローガンの是非について、これまでとは異なった判断が人民によって下されることだろう。

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