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内野光子:何度でも、くどいようですが、歌壇と天皇制

ちきゅう座

何度でも、くどいようですが、歌壇と天皇制

     私が会員になっている『ポトナム』の歌壇時評に、1月号に引き続き、寄稿しました。くどいようですが、また、短歌と天皇制の問題です。改元を機会に、歌壇での事実を確認、整理し、手立てを考えなければと思っています。記事の末尾に、関連の最近の当ブログ記事をまとめておきました。重なる部分も多いかと思いますが、ご覧いただければ幸いです。

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    昨年のマス・メディアは、改元で新しい時代が来るかのような政府広報に加担した。そして、「象徴」を全うしたとして平成の天皇を称揚した。歌壇では、『短歌研究』一月号は、特集〈平成の大御歌と御歌〉を、角川『短歌年鑑』は、特別企画「歌会始の三十年」を組んだ。

    これらの動向に最も早い反応を示したのは、若い世代の瀬戸夏子(一九八五生)で、『短歌研究』特集について「戦後短歌は終わったのかもしれない、と思った。」という発言だった。「ここでは短歌は天皇制ときれいに順接であった。」と批判した(「白手紙紀行⑽」『現代短歌』二〇一九年二月)。続いて、大辻隆弘(一九六〇生)は、『朝日新聞』の「歌壇時評」(「短歌と天皇制」二〇一九年二月一七日)において、「以前なら厳しい批判に曝されたであろうこの特集に対して歌壇は無反応だった」ことを挙げ、「天皇制アレルギー」はもはや薄らいだとし、批判をけん制するかのような発言をした。二〇代の廣野翔一(一九九一生)は、その特集に触れて、拙著の「どんな言い訳をしようと、国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始ではないか。短歌の文学としての自立は、国家からの自立にほかならない」(「戦後六十四年、歌会始の現実」『天皇の短歌は何を語るのか』二〇一三年)を引用し、「これは正論である。正論ではあるけれど・・・」としながら、「とりあえず今は歌会始があるという現実」を、「短歌が権力に近すぎる場所にある現実」を、自分の中で受け止めて「歌会始というものに対して私たちは寛容に接すべきだ」と結論づけた(「歌壇時評・平成の終わりに」『短歌』二〇一九年六月)。彼は、自身のツイッターで「読み返すとこの人歯切れ悪くて苦しそう、という感想しかない」(二〇一九年六月二一日)と自虐的に綴っている。斎藤寛(一九五二生)は、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報誌に転じてしまったのかと思うような誌面であった。」とし、天皇制自体に関しては「天皇の人権不在という問題」が厳しく問われないまま、「天皇制アレルギー」が薄れ、あるいは終息したという捉え方には「天皇制に対する赤子のような信仰が復活した」という意を含むとも指摘し、厳しく追及した(「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」『短歌人』二〇一九年七月)。いずれにしても、大辻のいう「無反応」という見立ては崩れたのである。

    敗戦前の「歌会始」は、一般歌人の立ち入れない世界であった。新憲法下の「象徴天皇制」は、占領軍と日本政府による「政治利用」をするための「遺制」であり、“新生”「歌会始」も“民間”歌人を引き入れて、利用価値を高めるためであったろう。「歌会始」の選者永田和宏による新聞連載の平成の天皇夫妻、皇族たちの短歌の<鑑賞>が『象徴のうた』(文芸春秋 二〇一九年六月)として出版された。まさに、現代の“御製御歌謹解書”ともいえよう。一方、『短歌研究年鑑』(二〇二〇年版)恒例の座談会では、古典・万葉集ブームは語られるが、件の特集や企画、書物には、だれもが言及しなかった。今や歌壇の主流は、天皇の短歌や歌会始について、その意義を称揚するか、触れずに沈黙を通すかのいずれかになってしまった。異論を唱えて突出することを控えてしまうのは「同調圧力」の所為でもある。それはやがて、天皇(制)への傾斜を助長し、異論を無視し、「聖域」を形成してしまうことにつながる。現に、リベラル政党も、リベラル派と称される論者も、かつての主張を微妙にシフトしながら、即位礼や大嘗祭などへの祝意を示し、メディアに重用される昨今である。「天皇陛下万歳」の誘導に声を上げ、配られた日の丸の小旗や提灯を揺らしている人々は、私の隣人たちでもある。(『ポトナム』2020年2月)

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    歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制 (2019年12月18日)

    http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-ac9040.html

    「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3月 5日 )
    http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

    「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年2月25日)
    http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

    「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3月 1日)
    http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

    「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3月 5日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

    初出:「内野光子のブログ」2020.2.13より許可を得て転載

    http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/02/post-d06af5.html

    〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://chikyuza.net/

    〔opinion9452:200214〕

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