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パートナー(配偶者)の入院中に見舞いには行かないことについての解釈


 入院見舞いは大事な人と思えば行くし、そうでない場合は行かない。行かない言い訳は色々あり、例えば「仕事が忙しい」とか言えばいいわけで・・・。仕事を優先すれば見舞いには行かない。

 これらは愛着の度合いで見れば明かで、愛着度が強ければ人は何をさておいても見舞いには行く。


 よって入院中の父親の見舞いに行かない母を息子がどう思うのかは人それぞれだが・・・、以下の記事のなかにある、「母もまた勝負師だった」という原辰徳の言葉は多分違っていると思う。

 



■【巨人】原監督、父・貢さんの最期のエピソードを涙で披露「挑戦心が親父らしい」」

https://hochi.news/articles/20191202-OHT1T50008.html
東海大相模野球部OB会で亡き父・貢さんの思い出を語り涙する原監督(カメラ・泉 貫太)
東海大相模野球部OB会で亡き父・貢さんの思い出を語り涙する原監督(カメラ・泉 貫太)
04年12月、首都大学野球40周年記念プロ・アマ交流試合に参加し笑顔を見せる原監督(左)と貢さん
04年12月、首都大学野球40周年記念プロ・アマ交流試合に参加し笑顔を見せる原監督(左)と貢さん

 巨人・原辰徳監督(61)が1日、東京・町田市内のホテルで行われた東海大相模野球部OB会に出席。父・貢氏(享年78歳)の最期に触れたエピソードを涙交じりに披露し、挑戦する気持ちを常に持つことを訴えた。それは同校の後輩のみならず、巨人軍にも通じる精神。「(人生が)荒波であるのか、楽な道であるのか、と思うかは自分の選択」と話し、常に前向きに意欲を持って取り組んでいく重要性を説いた。

 最愛の両親の絆に触れ、原監督が感極まった。毎年出席し、旧交を温めるとともに原点に立ち返る東海大相模高OB会。壇上でのあいさつの場で、父であり、自らが同校に通っていた当時の監督でもあった貢氏との秘話を披露した。

 「ウチの父はいつも『辰徳、人生は挑戦だ。いくつになっても我々は挑戦せにゃあかん』と。そういう気持ちを持つことは、前向きに生きるという点ではとても大事だと思ってます」

 そう言って引き合いに出したのは、亡くなった5年前のこと。2014年5月4日、貢氏はゴルフを終えて帰宅後に胸の痛みを訴え、救急車で搬送された。心筋梗塞と大動脈解離をほぼ同時に発症していたという。いざ手術する時、呼吸器を装着される直前になって貢氏が、担当医師に「俺もう少しゴルフやりたい、もう少し野球が見たい。俺、頑張るよ」と告げたことを明かした。25日後の5月29日に、息を引き取ったが「挑戦心が、やっぱりすごく親父(おやじ)らしい」と述懐した。

 母・勝代さんは、貢氏が病院の集中治療室に入院している間、1回も来なかったという。「お袋になぜ、と聞いたんですけど『私はもうお医者さんに任せるわ。親父さんには私は生きてる間、一生懸命尽くした』という話を…」。必死につないでいた言葉が途切れる。次に涙声を絞り出した時には、話題を変えた。会を終えた後、「お袋も勝負師だったということよ。必ず帰ってくると思って待っていたのよ」と真意を明かした。

 今回は両親を通じて培った自身の人生観を披露したわけだが、常に挑戦心を絶やさないことは、チームの全選手にも通じる精神だ。

 「人生はいろんなことが目の前にどんどん来る。その時、荒波であるのか、楽な道であるのか、と思うかは自分の選択であると思う」

 常に前向きに挑んでいくスピリットを、巨人軍の共通認識にしていく。(西村 茂展)

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