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[寄稿]日本の“韓国蔑視”の根源

[寄稿]日本の“韓国蔑視”の根源

登録:2019-10-13 17:20 修正:2019-10-15 07:47
http://japan.hani.co.kr/arti/h21/34629.html                              

太平洋戦争を「アジア民衆解放」と謳い・宣伝した日本 
帝国主義が終わった後には資本主義でアジア市場に「経済浸透」

日本の東京湾に停泊した米国艦艇ミズーリ号の甲板で行われた降伏調印式(1945年9月2日)=米国 National Archives II所蔵//ハンギョレ新聞社

 日本は「大東亜戦争」を始めた理由が、西洋帝国からアジア民衆を解放して繁栄を成し遂げるためだったと宣伝した。日本を占領した米軍は、大東亜戦争という名称を直ちに禁止して「太平洋戦争」に言い換えた。しかしこの戦争の性格や戦闘が起きた地域、参加人員の側面を見ると、この戦争は大東亜戦争でも太平洋戦争でもない「アジア太平洋戦争」だった。

 日本人は戦争に敗れたが、これを「敗戦」とはしなかった。連合軍の将軍たちが並んだミズーリ号の船上で執り行われた天皇と日本陸海軍の降伏は、数十年間持続した日本帝国の敗亡を伝える事件だったが、日本人は単に戦争が終わったという意味の「終戦」と言った。負けたということを受け入れられず、戦争を直視できなかった日本社会は今、「戦争ができる正常国家」に向けて突き進んでいる。

 多くの帝国主義国家がそうだったように、日本近代史は戦争の時間で埋まり、日本国は戦争を経て作られた。日本が朝鮮を手中に収めようと起こした日清戦争は、近代的立憲国家を標榜した明治維新が始まってから27年しか経っていない時であり、それから正確に10年後にはロシアと戦争をして、朝鮮の支配権を確実に握った。

植民地収奪により成された帝国の発展

 封建的幕府時代に終止符を打ち、近代的システムを取り入れてからわずか数十年で強大国を倒すことができたのは、日本の膨張欲求だった。一方では、ロシア勢力の南下を阻止しようとしていた英国、朝鮮の支配権とフィリピン支配を相互に交換した米国の共謀も、日本が日露戦争に勝利した要因の中の一つだった。

 日本の進歩派の歴史学者は、満州事変・日中戦争・太平洋戦争は個別の事件ではなく侵略戦争が継続する期間と見て、これを「15年戦争」と言ったが、事実、日本の戦争の歴史は、日清戦争から太平洋戦争時期まで一貫した流れとして進行した。それは領土拡張の歴史であり、侵略の歴史だった。日本は北海道と沖縄を自国の領土に編入した後、台湾と朝鮮を占領して植民地にし、帝国の力を育てていった。その中でも朝鮮という植民地は、日帝が力を備蓄して東アジアで跳躍する重要な足場になった。日本近現代史は「帝国発展史」だが、同時に他のアジア国家を侵略して幾多のアジア人民に苦痛と死をもたらした、流血と略奪の歴史でもあった。二つは日本史から分離して考えることはできない。

 フランスの哲学者プルードンは「所有とは盗賊」だと言った。これと似た語法で、帝国の“発展”は植民地“剥奪”によってのみ成立すると言うことができる。自分たちの能力で新技術を発明して一生懸命労働したので帝国の繁栄を成し遂げたという論理は、植民地が帝国の富にどのような寄与をしたのか努めて無視する、帝国の神話に過ぎない。賢くて努力して帝国が成功したという話は嘘である。

 日本の東京大学歴史学教授の加藤陽子は、戦争の重要性を強調する。満州事変と日中戦争の専門研究者である加藤は、韓国では安倍晋三の歴史認識と集団自衛論に反対する進歩的研究者と紹介されている。しかし加藤は、帝国が発展する過程で植民地はどのような存在だったのか、植民地が帝国といかなる関係だったかは、ほとんど視野に入れない。彼女は、「日清戦争は清も東アジアでリーダーシップを獲得するための努力をしたので、日本の侵略と一方的に言うことはできない」と言う。日露戦争に対しては、「日本が日露戦争に向かう過程を見ると、朝鮮半島が今一度、日本の安全保障問題として浮上したということがわかります」、最近の資料によると、「結局、戦争を避けようとしたのはむしろ日本で、戦争に積極的だったのはロシアだと言うことができます」(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』)と言う。

東京戦犯法廷で東条英機が中央に座っている=米国 National Archives II所蔵//ハンギョレ新聞社

隠密に繰り返される「征韓論」

 加藤の叙述は実は100年前に征韓論が詠じた台詞を繰り返したものである。日清戦争と日露戦争の目的は、すべて朝鮮半島だった。明治維新以来、征韓論者らは日本の安全のためには朝鮮半島が日本を狙う匕首にならないようにし、日本の安全を確保するには朝鮮半島を手の内に収めなければならない、と主張した。西郷隆盛が朝鮮を征伐しなければならないという「征韓論」を初めて主張したのは1873年だった。彼は朝鮮が日本を辱めたから懲罰しなければならないと言った。武士階級を代弁した西郷は、内乱発生の危機を突破しようと矢を外に向けた。彼の主張は議論を呼び起こし、反対派も多かったが、次第に日本の支配層が共有する常識になった。

 “進歩的”歴史学者の加藤の視覚は、帝国発展史に限定された。加藤は米国や他の帝国主義国家と日本の歴史的行為を比べて、日本の行為は非難を浴びる理由がないという論理を駆使する。例えば2001年の9・11テロの後の米国と、1937年に日中戦争を起こした日本を比べてこのように言う。「日本は同じ観点で戦争を眺めました。相手が悪い仕業をしたから武力を行使するのは当然で、その武力行使をあたかも警察が犯人を検挙するように考えました」

 50年余り前と比べると、現在の日本の進歩学界がどう変わったのかよく現れている。家永三郎が1968年に『太平洋戦争』の筆を執った時、彼の問題意識は加藤の質問とまったく同じだった。すなわち、日本は「なぜ戦争を阻止することができなかったのか」だった。なぜ戦争に抵抗できず屈服したのかに対する、諮問と自答を探す過程だった。

 しかし加藤は、日本史を進展させた内部要因とその過程を察するより、外部の他の主体(国家)と比べる。結局、帝国間の戦争は同じだから、責任を問うことができないということである。真珠湾攻撃は侵攻ではなく、米国の経済制裁と圧迫に対抗した自己救済策でしかない。日本は帝国主義国家との競り合いに割りこんだ被動的位置に過ぎないため、戦争責任に道徳的判断を下すことができなくなる。

 加藤の論理と極右派論理は確かに違う。それでも、加藤は戦争責任を直視するのではない。むしろ、その責任は他の帝国主義国家に押し付けられたり、誰の責任でもないことにして、はっきりしないまま残っている。戦争が人民にどのような苦痛をもたらしたのか、その意味は何かを問わずに、帝国の生存戦略のレベルで歴史を整理する手法こそが、当時の軍部の論理を繰り返すものだ。植民地の抑圧を省みることもせず、異域万里の西洋帝国主義を非難した姿こそ、責任を回避する二律背反的な態度と言うことができる。日本が唯一認める責任は、西洋帝国に対する責任である。日本は米国に対する戦争責任は認めるが、韓国に対する戦争責任が入る余地は初めからない。

戦争は「帝国生存戦略」

 加藤の本には戦争を主導して率いた天皇の責任はどこにも見つからない。1945年、敗戦が近付いた時、日本の支配層が念頭にあったのは国民ではなかった。降伏する場合、天皇の地位がどうなるかが焦眉の関心事だった。戦時に日本国民は「万世一系」を叫んで天皇に忠誠したが、天皇は処罰されなかった。「大東亜戦争」で天皇に忠誠を尽くして命を犠牲にした戦死者、降伏は不名誉として自決を強要された兵士、戦場で非人間的な状況を見て異常心理になった兵士は、皆捨てられた。死体があらゆる所に散らばった状況を経験して、殺人が処罰されない前線で殺すという行為が勇敢であると誉められる時間を過ごし、自分も信じることができない混乱を経験した幾多の兵士が、戦後の日本社会で息を殺して生きていった。しかし戦争が終わって20年余りが過ぎた時、すでに戦争は過去のことになってしまい、高度経済成長だけが日本社会の目標になった。

 事実、日本の戦争責任を回避する歴史叙述は、加藤にだけ該当するものではなく、一晩で出来上がったものでもない。極右歴史観は1980年代から徐々に明らかになり、2000年代に扶桑社などの教科書問題で論争の中心に立った。右翼歴史学は植民地支配を公に擁護する一方、明治維新以来の帝国主義時代を公然と称賛するナショナリズム(民族主義)に染まった。日本の権威ある岩波書店が日本歴史学の研究成果を集大成して2010年に発行した近現代史シリーズ(全10冊)には加藤も執筆者として参加したが、このシリーズは日本の進歩学界がどう変化したのかをよく見せてくれる。

代表的な征韓論者である西郷隆盛が大韓帝国の征伐を論議する場面。征韓論之図=日本国立国会図書館所蔵//ハンギョレ新聞社

アジア蔑視論で植民地正当化

 日本は中国を侵略するかなり前から、野蛮と未開の国として馬鹿にした。中国を「支那」と呼び「支那は匪賊の社会」で「中国人は近代国家を樹立する能力が欠けている」と主張したが、これは帝国主義国家が侵略を合理化して正当化する時によく使う論理だった。植民地として占領する国が、国際法を知らないとか、自治能力がないとか、相手をよく欺き信義がないとか、不潔である、などの論理を掲げて未開・野蛮の国と規定した後、彼らを発展させて文明化するために植民に入るという論理だった。小学校時代から中国人を「チャンコロ」「チャンチャン」「豚尾漢」だと思う教育を受けた日本帝国軍人は、中国人を自国を治めることができない劣等な民族と見なし、このような侮蔑と蔑視が土台となり、南京虐殺のような大規模な殺傷を敢行することができた。

 朝鮮に対する蔑視は中国より先に始まった。「日本の良心」と言われる歴史学者の家永三郎は、中国侵略が敢行された理由について、「長年にわたった日本人の対中国意識、日本国家の対中国政策を理解しなければ理解できない」として「その歪曲の原型は、朝鮮に対する意識・政策の歪曲として先に形成されているという事実にまず注目しなければならないだろう」と書いた。

 1万円の日本紙幣に顔が載る福沢諭吉は、開化を主張して富国強兵論と自由主義的価値観を説破した近代的啓蒙思想家として尊敬される人物だが、朝鮮に対する認識は極めて偏向した蔑視だった。

 福沢は「朝鮮は国ではない」と言いながら、「朝鮮人民は牛や馬、豚や犬だ」「朝鮮人の頑固無識さは南洋の未開人にも遅れを取らない」「朝鮮人の上流は腐敗した儒学者の巣窟で、下流は奴隷の群集である」と暴言を並べ立てた。このような妄言は、朝鮮人が本当にそうであるかよりは、「今、日本島を守ることにおいて最も近い防御線を構築しなければならない地は、間違いなく朝鮮地方」であるという主張を裏付けるための談論的布石であり、自分を先に欺く欺満的論理であり、相手に責任を押し付ける論理だった。

 日本や先進国が相手国に改革を強要する時、相手国が未開もしくは野蛮な国家であれば強要が正当化されるため、帝国主義国家は相手国の未開と野蛮の程度を過度に強調して自分の侵略を正当化する。野蛮と未開状態にある人民を発展させようとするならば、文明化された国が入り、彼らを教育して発展と自立を図らなければならず、そうするためには軍隊を派兵して占領したり植民地にしなければならないという福沢の論理が作られた。彼は他の隣国を植民地にするのは、本国の領土的・経済的利益を得ようとする行為ではなく、むしろ植民地を手伝う恩恵と認識した。福沢が説破した文明論、アジア蔑視、植民地支配という三角体制は、帝国の責任を回避する催眠論理だった。いまだに多くの日本人がこの論理に捕らわれている。

 極右勢力の歴史観が植民地支配に対して恩恵という誤った方向に導かれた認識を説破しているとすれば、進歩的知識人の認識の内には植民地が不在だったといえる。戦後時期、戦争責任を追及して日本学界で“天皇”と呼ばれた丸山眞男にも、アジアの民衆に対する視覚は完全になく、アジアに対する戦争責任という意識や朝鮮と台湾に対する視線も冷淡だった。

 一時期、学界で東アジア論が活発になり注目された中国文学研究者の竹内好は、中国人民には温情的態度を取ったが、植民地朝鮮に対しては無知で関心を持たなかった。竹内は「こちらでは何も知らない。実際に侵略する側は、侵略される側については分からない」と言ったが、本当にそうだった。

 朝鮮なしに東アジアの平和と未来を考えることはできないが、朝鮮は東アジアで数十年間、見えない透明な存在だった。日本の知識人が朝鮮を見ることができず、意識することができないということは、単に植民地朝鮮を念頭に置かないことだけを意味しない。朝鮮を見ることができないのは、結局、日本と日本の歴史を見ることができないということである。

資本主義が立つ「後進‐中進‐先進」排他的な人種観

 アジア太平洋戦争期に欺満的なアジア民族の解放と独立を掲げて戦争を起こした日本は、戦後に独立を果たした東南アジア諸国を商品の販売市場と考えて、再度浸透した。平和な経済戦争だった。

 帝国主義時代に横行した野蛮‐未開‐文明の段階論はすでに消えて、領土的帝国主義が横行した時代は過ぎ去った。しかし、資本主義が世界的範囲に広がり後進‐中進‐先進の経済発展段階論に形を変えた。経済成長を至高の目標と考える価値観は、貧困であるという理由で第三世界の後進国を排斥して見下し、下流階層を無視する排他的人種観と階級認識を生産する。日本帝国の歴史は、単に日本を非難することを越えて、現在私たちが成した現実を眺めさせてくれる。韓国は植民地から始まり経済大国に成長した唯一の国だろう。帝国を批判するだけではなく、韓国が経験した植民地の苦痛と挫折を忘れず、植民地合理化論理が異なる姿で私たちの前に現れないか、常に慎重に省察しなければならない。

キム・ドゥクジュン 韓国史学会会長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/47691.html韓国語原文入力:2019-10-09 13:49
訳M.S
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