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配られなかったビラ──「さよなら丸刈り校則 第11号」

    「さよなら丸刈り校則 第10号」は1996年2月14日に配られていて、以下は配られなかったビラ第11号。よって1996年4月頃、或いはその1年後に、母校の中学校の「丸刈り校則」は廃止されていると思うのだが、「マイナスを0に戻すだけの運動」だから、それほど鮮明な記憶もない。前校長が引き継ぎで「丸刈り校則」廃止を頼み、新任校長が1年後に廃止とかいう筋書きであったと思うのだが・・・。愚劣な校則の突然の始まりにしても、奇妙な終わり方にしても、教育現場では、子どもの人権を無視した何か理解しがたい動きに支配されている気がする。子どもをいじめるどんな愚劣な校則でも「明日から即廃止!」と宣言されることはなかなかないようだ。愚劣は突然始まったのに(※注1)、その愚劣はのろのろとした終わり方しかできなかったわけだ。


※注1:教師Kが休み時間に髪型を気にする生徒数人に激怒。髪があるから勉強できないと思った教師は生徒に「丸刈り」を強制。生徒の中に校長の息子がいたため、その後、校長T(トンデモの意味も含む。名字は田中)が男子生徒全員に「丸刈り」強制。こんな愚劣でも伝統として30年間続いた。


 



■ さよなら丸刈り校則 第11号


「10人10色」という言葉がありますが、何故こんな良い言葉がありながら「血液型性格判断」という馬鹿げたものが、世界のなかで日本だけではやるのでしょう。多くの人間をたった4つに分類して何か得るものがあるのでしょうか。
アメリカ先住民はほとんどが「O型」ですが、彼らの性格はたった1種類ということになります。つまらない手引書で人を判断するのではなく、人が100人いれば100人の個性があるのだから、しっかり人を見よというのが結論になります。血液型には、ABO型以外にも50種類近くありますが、Rh型では「+」と「-」しかありませんから、人の性格を二つに分類できます。それがいかに馬鹿げたことかを説明する必要はないと思います。それでも世の中には馬鹿げた会社があり、例えば三菱信託銀行はAB型しか採用しないそうです。人事課がバカなのか会社がバカなのか分かりませんが、このてのことをテレビで「お笑い」の対象にすべきなのです。
 骨髄移植では白血球の型が問題になりますが、その移植に際して血液型(ABO)が変わることがあります。当たり前ですよね、血液工場(骨髄)そのものを取り替えるのですから。そうすると骨髄登録に際しては、性格やその他諸々まで登録しなければなりませんよね。このてのことは今度は、お笑い空想科学小説にでもまかせておきましょう。
 性格は脳のなかにあります。赤血球(ABO型はそれにヒゲがあるか無いかというかということ)は脳内には入れないそうですから、「血液型性格判断」は科学ではなく、嘘で固めた「お遊び」なのです。それを信じることによって失うものはかなり大きいと思いますよ。「嘘の手引書」によって判断する方もされる方も。
 

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  パレスチナ人・サイードの言葉

 「社会的に弱いもののために発言し、多数派の考えに対して、もう一つの異なった視点を示していく。」
 「この世界に希望をもつためには、批判し続けることこそが必要だという確信を、私はますます強めています。一人一人の人間が批判的にものを見る能力を身につけ、世界の現実は必然的なものではなく人間の力で動かしていけるものであることを知る。そうした批判的思考からしか未来に希望は生まれない。」
「現在の世界を変えようと努力する。・・・・・・必要なのは、それを続ける強い意志なのです。」

   
「もっとやさしく、もっとおだやかに」

 あることを誰にも分かるようにやさしく書くことは、書き手にとって最もむずかしいことだと思います。読み手の側が何の努力もなしで読める文章を書くことは、多分不可能だと思います。漫画・テレビ・映画などでは視覚が理解力の多くを助けますが、文章では分からない文字に一つでも出会ったら、もうそこでお手上げ状態ということになります。多分多くの人は辞書も引かないと思います。だけど、分からない日本語にであったら辞書を引く癖ぐらいはつけておきたいものです。私は自分の文章ではイギリス語の使用をできるだけ避けますが、他人の文章を引用するときは、それがかなり使われていて読み手の理解をさまたげるときがあります。その時は必ずイギリス語の日本語変換をしてきましたが、それはこれからも続けていく予定です。また、自分の意見や考えを言葉として表現できるように普段から文章を書くことを心がけていると、他人の文章を読むときの理解を手助けしてくれると思います。
 
 今拷問を受け続けている子供を救うための運動が「おだやか」である必要は無いと思います。また、悪いことをまったく反省しない人間に対しても「おだやか」である必要は無いと思います。それでも息の長く続く運動や切迫性のない問題を長く追求するためには、おだやかで楽しくなければ運動も長続きはしないでしょう。時にははっきりと、時にはおだやかに、だけどあいまいさは捨てて。


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