21日に投開票があった参院選で、山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」から重度障害者の2人が当選しました。舩後靖彦氏は筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者で、手足を動かせず声が出せません。木村英子氏は脳性まひで首から下を自由に動かせません。海外では重い障害をもつ人が国会議員として活動した例があるのでしょうか。

 調べてみると、舩後氏と同じALS患者として闘病しながら仕事を続けた議員がカナダにいることがわかりました。大きな関心を集めたある法律の成立にも深くかかわっていました。どのような人だったのでしょうか。

 カナダの政治や多文化共生政策に詳しい元在カナダ日本大使館専門調査員の仲村愛さんに聞きました。

――ALSと闘いながら国会議員として活動を続けた人がカナダにいるそうですね。

 モーリル・ベランジェ下院議員ですね。現在の政権与党である自由党の所属で、1995年に初当選し、8期にわたり議員を務めました。閣僚を歴任し、与党院内総務も務めた経験もあるベテランです。

――ALSの症状が出たのはいつごろですか。

 2015年の下院議員選に立候補し、その選挙キャンペーンの最中に突然声が出なくなりました。当然選挙を戦ううえで大きな支障がありましたが、このときはまだ原因はわからなかったようです。ただ、実績は十分ですから再選は果たすことができました。ちなみにこの選挙に勝利し、首相に就任したのが現在のトルドー氏です。

 選挙後、ベランジェ氏は下院議長への立候補を表明します。まだ40代の若いトルドー氏を支えるという意味でもうってつけの人物でした。ところが、立候補をしたあとでALSと診断されたため、主治医と相談して立候補を取りやめ、病名を公表しました。議員活動は続けることも併せて表明しました。

――声が出せないなか、どのように活動したのでしょう。

 タブレット端末の「iPad(アイパッド)」を使い、打ち込んだ文章を自動音声で読み上げる機能でやりとりしていました。障害のある人に対して議長が配慮・調整することを事実上認めた下院議事規則があります。

――移動はどのようにしていたのでしょう。議場のバリアフリー化は進んでいたのでしょうか。

 当初は手押しの歩行器を使い、自分で移動することもできていたようです。症状が進んでからは、介助者とともに電動車いすを使っていました。下院の議場を見学したときの私の感想ですが、完璧なバリアフリーとは言えないまでも、大きな支障はなかったのではないかと思います。

 まだ歩行器を使っていたころの話ですが、トルドー首相らの計らいでベランジェ氏は「一日名誉下院議長」に就任しました。ベランジェ氏が介助されながら議長席に座り、議場が拍手に包まれる――。そんなシーンが報じられました。マイノリティーへの配慮をアピールする政権の狙いもあったとは思いますが、病気を理由に議長職をあきらめた経緯があったので、なんだか粋な計らいですよね。

――ベランジェ氏について「本当に議員活動ができるのか」という声は出なかったのでしょうか。

 私が知るかぎりありません。トルドー政権では視覚障害のある元パラ五輪選手が、現職の閣僚を務めています。余談になりますが、30ほどある閣僚ポストの男女比は厳密に1:1になるように配慮されていますし、性的少数者や難民出身者も入閣しています。現在のカナダでは、こういったことが国民にも当たり前のこととして広く受け入れられていると思います。

――ベランジェ氏は大きな話題となった法案にかかわったそうですね。

 国歌歌詞修正法案のことですね。カナダ国歌「オー・カナダ」の英語版の歌詞に、「息子たち」という表現があるのですが、これが男性だけを指していてジェンダー的に違和感があるとの指摘があり、2010年のバンクーバー五輪をきっかけに議論が本格化しました。

 ベランジェ氏は16年1月、「息子たち」を「私たち」に改める法案を議員立法で提出しました。6月に下院を通過し、上院に審議の場が移りましたが、このころベランジェ氏の容体が悪化し、8月に61歳で亡くなってしまいます。法案は最終的に18年2月に上院で成立し、その場で新しい歌詞の国歌が斉唱されました。当時の新聞やテレビでも、この法案を提出したベランジェ氏に改めて言及していました。

――「れいわ」の舩後氏と木村氏が当選したことにはどんな意義があると思いますか。

 今後、活動するなかでいろいろな課題が見つかると思います。それを立法府としてどのように調整し、解決していくか。そのプロセスが広く知られることで、社会全体が変わるきっかけになればいいですね。健常者がデフォルトの政治の世界で、マイノリティーへの合理的配慮を立法府自らが実践する姿を見せてもらいたいです。(今さら聞けない世界