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ポン・ジュノ監督はアカデミー賞を「米国の地域映画祭」と表現

カンヌに続き北米大陸も席巻した「ボン・ハイブ」、残すはアカデミー賞だけ

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/01/07/2020010780011_3.html

■ソーシャル・メディアで広まった韓国式風刺

 北米で『パラサイト』の人気を高めた一番の貢献者はソーシャル・メディアだ。昨年11月、『パラサイト』を上映する映画館はロサンゼルスとニューヨークで合計3館しかなかったが、ハリウッド俳優や監督たちが「最高」とツイッターに投稿して観客が激増した。現在は上映館だけで約620館に達した。5日現在の北米興行成績で通算売上高は2390万ドル(約26億円)と、昨年北米で公開された外国語映画の中で最高記録を出している。

 北米で配給を担当している「NEON(ネオン)」の役割も大きかった。ネオンが「ジェシカ・ジングル」など映画のワンシーンを編集し、ビデオクリップや携帯電話の着信音にして広めたのが功を奏し、話題を呼んだ。英紙ガーディアンは「『パラサイト』はどのようにして広く知られ、話題の外国語映画になったか」という見出しの記事で、「米国映画でないのに、国境を越えて普遍的に訴求する(消費意欲に働きかける)のは非常に珍しい。若い観客たちは『パラサイト』のワンシーンを『meme』(ミーム=インターネット上に面白い言葉を書いて絵や写真にしたもの)として消費している」と伝えた。

ポン・ジュノ監督の痛快な発言も連日話題だ。監督は現地メディアのインタビューで、アカデミー賞を「米国の地域映画祭」と表現して話題をまき、5日のゴールデングローブ賞直後のメディアとのインタビューでも、「(『パラサイト』の米国でのヒットは)驚くべきだが必然的だ。この映画には資本主義社会の階級問題が込められていて、米国はそうした資本主義の心臓とも言える所だ。自然な結果だ」と語った。

宋恵真(ソン・ヘジン)記者
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作品賞にノミネートされなかったのは、「セリフの50%以上が英語でなければならない」というゴールデングローブ賞の規定

カンヌに続き北米大陸も席巻した「ボン・ハイブ」、残すはアカデミー賞だけ

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/01/07/2020010780011_2.html

■全米席巻する「ボン・ハイブ」

 『パラサイト』はアルモドバル監督の『Pain and Glory』(ペイン・アンド・グローリー)=原題=などを抑えて外国語映画賞を受賞した。映画・ドラマを通じて韓国の作品がゴールデングローブ賞にノミネートされたのも、受賞したのも今回が初めてだ。監督賞と脚本賞でもノミネートされたが、監督賞は『1917 命をかけた伝令』のサム・メンデスに、脚本賞は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を書いたクエンティン・タランティーノに贈られた。作品賞にノミネートされなかったのは、「セリフの50%以上が英語でなければならない」というゴールデングローブ賞の規定のためだという。

 米国の現地メディアは『パラサイト』のゴールデングローブ賞での受賞について、「予想されていたことだ」と評した。4日に全米批評家協会作品賞と脚本賞を受賞していたほか、ロサンゼルス、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.、ボストン、シカゴ批評家協会などの各賞を総なめにしたからだ。階級対立をこれまでの映画よりクールに描き、商業性と作品性のバランスがいい点も、評論家が『パラサイト』に好意的な理由だと言われている。米紙ニューヨーク・タイムズは「社会的意識と娯楽性が共存する驚くべき作品だ」と絶賛した。

 ロサンゼルス・タイムズは同日、「『パラサイト』のゴールデングローブ賞受賞はボン・ハイブ(#BongHive)現象の一部だ」と書いた。ボン・ハイブとは、ポン・ジュノ監督(アルファベット表記Bong Joon-Ho)に追従することを意味する言葉で、「hive」(ミツバチの巣箱)でブンブンと羽音を立てるハチの群れのように熱烈なファン層を築いているということだ。ニューヨーク・タイムズ紙は4日、「みんな『パラサイト』を作った人に会いたいと思っている」と書き、エンターテインメント誌のハリウッド・リポーターも「3日に行われた『パラサイト』のパーティーで、俳優レオナルド・ディカプリオがポン・ジュノ監督に近づいてきて『パラサイトは驚くべき映画だ』と言った」と報じた。

宋恵真(ソン・ヘジン)記者

日本の労働者の現状ないし近未来を示唆する作品──『家族を想うとき』

 

 ケン・ローチの『家族を想うとき』を2日に見たのだが、介護士も宅配運転手も私の身近で接する職業だ。この映画を撮る前に、ケン・ローチは介護士・宅配運転手に徹底取材をしたようだが、英国も日本も強欲企業独裁へのまっしぐらの途中であり、日本でいえば、労働省が吸収され、総じて労働法がないがしろにされだし、ヤクザな稼業で人材派遣も派遣法などで合法化された。


■個人請負型就業者(ディペンデント・コントラクター)について

https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/08/dl/s0828-18b.pdf


■一人親方と偽装請負について

https://www.kensetsu-kinki.com/gisou


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

個人請負
こじんうけおい

https://kotobank.jp/word/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E8%AB%8B%E8%B2%A0-501555

企業に雇われて働くのではなく、個人事業主として企業と業務請負契約を結び、仕事をする者のこと。インディペンデント・コントラクターindependent contractor、コントラクト・ワーカーcontract workerともいう。高度な専門技術や知識をもつ者(たとえばIT技術者や商品プランナー、イベントプロデューサーなど)が、プロジェクト単位で仕事を請け負う。被雇用者ではないので、労働法規による保護や規制は受けない。たとえば、仕事中の事故やけがは労働災害にはならないので、自ら傷害保険に加入するなどの対応が必要である。基本的に、請け負った仕事の成果にのみ責任を負うので、仕事を行う時間や場所は自由に決められ、仕事のしかたについても発注元から指示されることはない。しかし、セキュリティ確保や発注側の企業の都合によって、仕事時間や場所を指定されたり、仕事のしかたについて指示を受ける場合がある。このようなケースは、場合によっては「偽装請負」として雇用関係の偽装とみなされる場合がある。
 アメリカ合衆国では、個人請負はホワイトカラーの高度専門職の働き方として定着しており、連邦労働省によれば人数は約1000万人、全雇用者の約7.4%を占める(2005年統計)。日本でも、経済・市場動向の先行きが不透明のため、正社員の採用を手控え、臨時の仕事は個人請負に発注する傾向があるが、被雇用者と異なり、失業保険のような病気やけがで働けなくなったときの保障がないため、リスクの高さからアメリカほど普及していない。[鹿住倫世]


伊東良徳の映画な週末

家族を想うとき

http://weekendmovies.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-0e674a.html


 家族の生活と将来のためにと名ばかりフランチャイズのドライバーとなった男の過酷な生活と悲哀を描く映画「家族を想うとき」を見てきました。
 公開3日目日曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前10時10分の上映は9割くらいの入り。

 建設現場で長年働いてきたリッキー(クリス・ヒッチェン)は、住宅購入を目指して、配送業者から多額の借金をして指定の配送車を購入し、指定のエリアの荷物配達を請け負う「フランチャイズ契約」をして働き始めた。訪問介護に従事している妻のアビー(デビー・ハニーウッド)は、リッキーが配送車を購入する頭金を捻出するために唯一の財産だった車を売らされて、バスで介護先に移動することになり、帰りが遅くなって、息子のセブ(リス・ストーン)や娘のライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)とともに過ごす時間が減って、外出先から電話で冷蔵庫にパスタがあるからなどと伝える日々を送っていた。持たされた端末で管理され、運転席から2分間離れると警告が出され、替わりの運転手を自分で見つけない限り休むと制裁金を課されるなどの拘束の下で、リッキーは懸命に働き、配送業者の管理者マロニー(ロス・ブリュースター)から評価されていたが、セブが同級生を殴って学校から呼び出され、さらには警察からも呼ばれて、マロニーに家庭の事情で今日は仕事ができないと伝えるが、マロニーからは替わりの運転手が見つけられないなら制裁金だと通告され…というお話。

 怒りっぽく短気なところはあるが、それほど自分勝手でもなくまじめに生きてきたリッキーが、家族の生活と将来を考えて、名ばかりのフランチャイズ契約をしたことから蟻地獄に落ちたように働いてももがいても借金漬けの生活から抜け出せなくなる、この狡猾なしくみとそれを許す社会のゆがみとそれに対する怒りがメインテーマとなっています。
 リッキーが、仮に非正規雇用であったとしても、労働者であれば(労働契約であれば)、遅刻したら制裁金を課するということはできず(遅刻した時間分の賃金を払わないという限度では可能ですが、それを超えた「制裁金」は違法)、労働すべき日に仕事を休んだ場合もやはりその日の賃金を支払わないということはあってもそれを超えて「制裁金」を課することはできませんし、有給休暇なら休んだ日についても賃金を支払わなければなりません。替わりのドライバーを手配するのも事業者である会社の責任です。業務中に強盗に襲われれば労災で、怪我で仕事ができない期間の休業損害は労災保険から支払われます。強盗が持っていた荷物や壊して行った端末等の損害を労働者が負担することなど考えられません。
 ところが、労働契約ではないとなれば、そういった規制というか労働者保護が適用されず、どういった契約でもやり放題、言い換えれば強い立場の側のやりたい放題になります。契約をせずに済ませられればいいのですが、そういうことでも生活のために踏み切らざるを得ない場合も出てきて、そうなるとリッキーのように蟻地獄に落ちてしまうというわけです。
 日本でも、労働法の規制を回避するために、「業務委託契約」の形が駆使される事例が少なくありません。こういう契約書の作成には、強い側の味方をして知恵を絞る法律家が背景にいるわけですが、近年、最低限の良心というかバランス感覚も失われてたがが外れたような状態になっているような気がします。この作品で言われている「フランチャイズ契約」は、コンビニの本部と加盟店の間の契約が代表的なものですが、近年のコンビニでは、加盟店(コンビニ)が日々の売上金を全額本部に送金するようになっています。小売り営業で日銭が手元にないということになったら、いったいどこが小売業なのか、手元に売上金がなかったらどう事業を進める余地があるというのか、私にはまったく理解できません。フライチャイズ契約の内容はこうでなければならないという法規制はありませんから、売上金全額を本部が召し上げても、だからそれはフランチャイズ契約ではない、許されないとはいえないのでしょうけれども、私には、いくら何でもそれは法律家としてバランス感覚を欠いている、強い側のやりたい放題で道を踏み外したものと思えます。
 労働法の世界では、裁判所は、ふつうの民事事件の場合とは大きく異なり(ふつうの民事事件では、裁判所は契約書の記載をとても重視します)、契約書の文言にこだわらず労働の実態を評価して労働契約かどうか(労働者かどうか)を判断する姿勢にあります。ですから、さすがに遅刻をしたら制裁金、替わりの運転手を見つけずに休んだら制裁金、運転席から2分離れたら警告というのでは、いくら「フランチャイズ契約」だといっても労働者だと判断されると思いますが、この論点も近年使用者側があれこれ契約形態を画策した上で激しく争うケースが増えていますので、今後裁判所の判断が労働者にとって後退していく可能性もあります。
 日本の労働者の現状ないし近未来を示唆する作品としても、よく見ておきたいところです。

ケン・ローチ監督、日欧の過酷労働危ぶむ 「家族を想うとき」13日公開

ケン・ローチ監督、日欧の過酷労働危ぶむ 「家族を想うとき」13日公開

https://www.chunichi.co.jp/article/culture/CK2019120602000264.html

ケン・ローチ監督 (c)Kazuko Wakayama

写真

 社会問題をテーマに名作を撮り続ける英国のケン・ローチ監督の新作映画「家族を想(おも)うとき」が十三日から公開される。過酷な労働を強いられる男と家族のきずなを描いた作品に、八十三歳の巨匠は「この状況はヨーロッパだけでなく、日本でも深刻なテーマのはずだ」と指摘する。

 デビューから五十年以上、労働者や社会的弱者に寄り添い続けるローチ監督の作品は、フランス・カンヌ国際映画祭などで高く評価されている。

 「家族を想うとき」は住宅と定職を失った中年男のリッキー(クリス・ヒッチェン)が主人公。長時間労働、低賃金の介護職に就く妻アビー、十六歳の息子と十二歳の娘と安い賃貸アパートで暮らす。リッキーは個人契約の宅配ドライバーとして独立するが、一日十四時間週六日の勤務。厳しい出来高払いで各種の手当もない。その上、息子の素行不良など家族の問題も起きる…。

 「リッキーやアビーのような人が、ごく普通に現実の社会を支えているという現状を訴えたかった」と語る。英国の労働者のささやかな幸せの実現が難しくなったことに「日本もそうでしょうが、原因は自由市場での価格競争。会社側が報酬を減らすため正社員を減らし、非正規雇用を増やす影響でしょう」と即答した。

 二度目のパルムドール(カンヌの最高賞)に輝いた「わたしは、ダニエル・ブレイク」(二〇一六年)では、病気で就労できなくなったが、複雑な制度により国の援助が受けられなくなった初老の男性を温かいまなざしで描いた。長いキャリアの中でローチ監督は、社会や労働環境のひずみなどを告発、警鐘を鳴らしてきた。

 しかし、実態は明るい方向にあるとはいえない。その現実に、映画人としての満足度と無力感をどう感じているのか。「満足感はないんです。あえていえば僕の映画を見て、『こんな現状を許してはいけない』と考え、行動する人が出てきてほしいという希望を持って映画を作っています」

 高齢などを理由に、かねて映画監督からの引退が伝えられていた。これが最後の作品か?との問いに「監督をする気概は衰えていない」と否定し、「具体的な次回作の構想はないが、また作ると思うよ」と穏やかに笑った。

 (竹島勇)

『家族を想うとき』 監督 ケン・ローチ


『家族を想うとき』 監督 ケン・ローチ

 舞台はイギリスのイングランド北東部、産業革命を牽引した古い工業都市であるニューカッスルだ。この街で暮らすターナー家は、10年前のリーマン・ショックと欧州危機のさい、銀行と住宅信用組合が破綻し、同時に勤めていた建設会社のリストラにあって、家と職を同時に失った。

 

 ターナー家の父・リッキーは、その後職を転転としてきたが、「1日14時間で週6日働けば、2年後には家が持てる。これで借金生活におさらばだ」と、フランチャイズの宅配ドライバーになることを決意する。この宅配ドライバーは本部と契約する独立事業主だが、渡される1台の黒いスキャナーによって、その日どういう道順を通ってどこに向かっているか、荷物一つ一つの動きまで本部に細かくチェックされる。運転席から2分離れるとアラームが鳴るので大急ぎで走り回らねばならないし、駐車違反を取り締まる警察とのいたちごっこにもなる。休憩どころでなく、小便を入れるペットボトルが手放せない。

 

 母・アビーはパートの介護福祉士で、遠くのお年寄りの家まで訪問介護をするため車が不可欠だが、リッキーが宅配のバンを買わねばならないので車を売り払い、バスで通う毎日となる。相手の老人たちは彼女が来るのを待ちわびているし、彼女も自分の親のように接し、高齢者の人生から学ぶことも多いのだが、なにしろ民間の医療会社から派遣されている身なので時間に追われ、入浴介助などを断りつつ次の家に向かわねばならない。1984年の炭鉱ストに参加したことが誇りだというあるお婆さんが彼女の勤務表を見て、「朝7時半から夜9時まで? 8時間労働制はどこへ行ったの!」と叫ぶ。

 

 高校生になった息子のセブは、小さいころは優等生。だが大学に入るには高い学費が壁になるうえ、卒業してもまともな職に就けないことを知り、自暴自棄になって学校は休みがち、夜中に抜け出しては仲間とともにスプレーで町中に「芸術作品」を書きなぐる。でも、本当は家族にも友人にも心優しい彼なのだ。久しぶりの一家団欒の最中、一人でトイレに行けない高齢者から母に「3時間も我慢しているの」と電話が入るが、母を一人で行かせるのは可哀想だと、父のバンでみんなで歌を歌いながら行こうと提案したりする。

 

 小学生の妹・ライザは利発な子で、学校が休みの日には父と一緒にバンに乗り込み、配達を手伝って相手からちゃっかりチップをもらう。夫婦げんかの仲裁に入るのもいつもライザだ。

 

仕事が家族を引裂いていく

 

 そうした家族4人が、しだいに対立し、いがみあい、夫婦関係も親子関係も破綻寸前になっていく。きっかけは長男が暴力を振るったと学校に呼び出され、次には万引きをして警察に呼び出されたことだが、父も母も仕事に追われて、大事なときにそばにいてやれない。そのときフランチャイズ本部のマロニーは、容赦なくリッキーをノルマで駆り立てる。マロニーは企業のもうけと株主利益の最大化をめざす意志の象徴で、個個の家族の生活など邪魔なものにしかすぎないのだ。

 

 父も母も時間と労力を奪われ、家族内で喧嘩がたえず、兄は家を出て行き、妹は不安で夜寝られなくなる。そうしたなか、父が配達中に強盗に襲われて骨を折る大怪我をして病院へ。待合室にいるとき、盗まれた商品の罰金と壊されたスキャナーの弁償を請求する電話をかけてきたマロニーに対し、父からスマホをとりあげた母は「私たち家族をなめるんじゃないよ!」と怒鳴り返す。翌朝、父がこっそり働きに出ようとしたそのとき、父の体を心配して車の前にたちはだかったのは、家を出て行ったはずのセブだった。

 

 見終わって、「救いのない映画」と感じる人もあるだろう。確かにクライマックスには癒やしもハッピーエンドも準備されていない。そこに描かれるのはありのままの現実だ。善意に満ちた庶民が、今の社会の冷酷な無慈悲さのなかでいかに痛めつけられ、どんなにほろ苦い喜びや悲しみの生活を重ねるかを、これが現実ですと観客に提示している。そこに、きれいごとの夢物語しか描くことができない凡百の商業映画との違いがあると思う。

 

人間性失った社会への警告

 

 この映画に込められたケン・ローチのメッセージは明白だ。人間を部品扱いする社会について、「そうなったのはお前のせいだ」という自己責任のイデオロギーを否定し、それは個人の問題ではなく社会のシステムの問題であり、それによってみんなが生きていけなくなっているのだから、みんなの力で社会を変えなければならない、今こそそのときだ、と。それを訴えるためにこそケン・ローチは引退を撤回したのではないか。

 

 そして、この映画に描かれているものは日本の現実でもある。コンビニ店主はフランチャイズ本部と契約する独立事業主で、労基法の適用の範囲外となり、長時間労働による過労死や過労自殺があいついでいる。介護士は高齢者を支える大切な仕事なのに、きついうえに賃金が低く、やめる人が後を絶たない。政府は「働き方改革」といいつつ過労死ラインの残業月100時間を認め、労働組合の連合が政府と結託してそれを支持している。だが、働く者には家族があり、子育ての悩みとともに子どもたちへの愛情があり、それが次世代を育て日本の未来をつくっていくのだ。

 

 主演のリッキー役は、20年間配管工として働き、40代になってから俳優をめざしたという。出演するドライバーもほとんどが現役か元ドライバーの人たちだ。そうした体のごついおじさん、おばさんが、本部の理不尽な仕打ちに耐えかねた仲間を守ろうとする場面は、リッキーら4人が互いに家族を思いやるはしばしの仕草とあわせて、こうした庶民のなかにこそ、人間を部品のように扱う社会に対置すべき、まっとうな生き方があるのだということを考えさせられる作品だ。  

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檜原転石

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