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江戸時代の人はすでにレタスを食べていた? 歯石のDNAから解明された江戸後期の食生活

江戸時代の人はすでにレタスを食べていた? 歯石のDNAから解明された江戸後期の食生活

上浪春海AERA#ジュニアエラhttps://dot.asahi.com/aera/2020062800006.html?page=1
発掘された人骨の歯にこびりついた歯石(写真/澤藤りかい)

発掘された人骨の歯にこびりついた歯石(写真/澤藤りかい)

江戸時代の歯磨きのようすを描いた浮世絵「風俗三十二相 めがさめそう」(国立国会図書館デジタルコレクション)

江戸時代の歯磨きのようすを描いた浮世絵「風俗三十二相 めがさめそう」(国立国会図書館デジタルコレクション)

 江戸時代の人骨の歯に残っていた「歯石」からDNAを取り出して、当時、どんなものが食べられていたのかがわかった。昔の人々の食生活を解き明かすのに役立ちそうだ。小中学生向けニュース月刊誌「ジュニアエラ」7月号の記事を紹介する。

【写真】江戸時代の歯磨きのようすを描いた浮世絵はこちら

*  *  *
 にぎりずし、天ぷら、うなぎの蒲焼きなどが江戸時代の庶民の人気料理だったことは、浮世絵や書物などで知られている。でも、実際にどんな食材を食べていたのか、科学的に分析されたことは、これまでなかった。

 そこで琉球大学や東京大学などの研究チームが、発掘された人骨の歯についた「歯石」を削り取って分析し、食べられていた野菜などの種類を明らかにした。調べたのは深川(現在の東京都江東区)から発掘された江戸時代後期の町人の骨13体の歯で、内訳は成人男性6人、成人女性7人だ。

 歯石というのは、唾液に含まれるカルシウムや口の中の細菌などが歯についてかたまったもの。子どもの歯にはあまりつかないが、大人では、ていねいに磨いている人の歯にもこびりつく。最近の研究で、歯石からは、食べた野菜や果物、肉や魚のDNAが見つかることがわかってきた。DNAは生物の種ごとに異なるので、今回、研究チームは歯石から取り出したDNAの違いを読み取って、野菜などの種類を割り出したのだ。

 DNAからわかった野菜の種類は、イネ(米)、大根、ニンジン、カボチャ、栗、シソ、ネギ、スイカなどだ。ということは、江戸時代の人々も私たちと同じ野菜を食べていたのだろうか? それらは今の野菜と同じものなのだろうか? 琉球大学の澤藤りかい研究員(現・総合研究大学院大学の特別研究員)に聞いてみると、「今回調べてわかったのは植物の種類で、品種まではわかりません。たとえば大根といっても、色や形、味などが品種によって少しずつ違います。江戸時代の品種が今と同じとは限りませんが、描かれた大根の絵は、誰が見ても大根とわかります。だから、今と同じような大根を食べていた可能性が高いと思います」とのこと。

今回わかったもののなかに「レタス」も含まれていたが、おやっと思う人がいるかもしれない。レタスは明治以降に日本に入ってきた野菜として知られ、洋風サラダとして食べることが多い。江戸時代の「レタス」の仲間は「チシャ」と呼ばれ、現在、私たちが食べている品種とは別のカキヂシャだと考えられる。

 ほかにも、見慣れない「フタバガキ科、生薬(龍脳)」も食べていたようだ。これは何だろう?

「フタバガキは、マレーシアなどの熱帯に生える木です。私も最初は、どうして歯石に含まれるのだろうと思って、江戸時代の文献を調べてみました。すると、フタバガキ科の植物からとれる『龍脳』という樹脂が、歯磨き粉の原料として使われていたことがわかったのです。江戸時代に歯磨きの習慣が庶民に広まっていたことは、当時描かれた浮世絵などからも知られていますが、今回分析した歯石のDNAからも裏づけられました」

 タバコ属のDNAも見つかり、すでに喫煙の習慣が広まっていたことも裏づけられた。このように、歯石の分析からは、当時、それぞれの人が食べていたものだけでなく、その時代の習慣や文化までも探ることができると澤藤さんは言う。

 今回、歯石に含まれるDNAからわかったのは植物ばかりだった。肉や魚など動物のDNAが含まれていないのは、歯石には同じ動物であるヒトのDNAがもっとも多く含まれているため、この研究で用いた方法ではヒトのDNAしか発見できなかったからだという。今後ほかの動物のDNAだけを標的とした方法で調べれば、どんな肉や魚が食べられていたかもわかるはずだという。

 澤藤さんは、今後の研究を次のように思い描いている。

「歯石からわかる食べ物の種類も大事ですが、住んでいる地域や身分で食べ物がどのように違っているかを明らかにする研究にも力を入れています。さらに鎌倉時代、平安時代、縄文時代などの人々の歯石も調べていきたいと思っています」

 たまると歯周病の原因になる厄介者の歯石から、これまで謎に包まれていた大昔の人の食や生活習慣の歴史が解明できるなんて、おもしろいね。さらなる分析で、どんな事実が明らかになるか、今から楽しみだ。(サイエンスライター・上浪春海)

※月刊ジュニアエラ 2020年7月号より

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子ども137人とラマ200頭、心臓抜かれ生贄に ペルー古代文明の遺跡で発掘

子ども137人とラマ200頭、心臓抜かれ生贄に ペルー古代文明の遺跡で発掘

生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していた/John Verano/Tulane University

生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していた/John Verano/Tulane University

(CNN) 南米ペルー北部の沿岸部で15世紀の遺跡を調べていた考古学研究チームが、子ども137人および成人3人の人骨と、ラマの赤ちゃん200頭以上の骨格を発掘した。人もラマも肋骨が外され、胸骨に印が付いていたことから、心臓が抜き取られて生贄(いけにえ)にされたと思われる。

発掘調査結果は米テュレーン大学やペルーのトルヒージョ国立大学の研究チームが6日の科学誌プロスに発表した。

同地では、道路脇の砂浜で人骨を見たという情報が地元住民から寄せられたことを受け、2011~16年にかけて発掘調査が行われた。

この地では15世紀ごろにチムー文明が栄えていた。チムー文明は当時、ペルー北部沿岸部で勢力を広げて盛んに交易や農耕を行い、首都チャンチャンには宮殿や庭園、寺院などを建造していた。

生贄の儀式は当時の古代文明に広く浸透していたものの、ペルー北部沿岸部ではこれまで、生贄の痕跡はほとんど見つかっていなかった。

今回の発掘が行われたウアンチャキトラス・ヤマス遺跡は海岸から400メートルほど離れた砂浜にあり、一部はここ数年の建設作業現場と重なっていた。

子どもの人骨は5~14歳の男女のもので、ほとんどは8~12歳だった。頭蓋骨(ずがいこつ)の形状などの特徴から判断すると、それぞれ民族や宗教は異なっていたと推定される。不完全な骨格も含めると、子どもの数はさらに多かったとみられる。

子どもたちは3人ずつの集団で埋葬され、一部は生贄にされる前にフェイスペインティングを施されたり頭飾りを付けられたりしていた。ラマは人骨の隣や上に埋葬されていた。子どもは海の方を向き、ラマは山側を向いていた。

研究チームによると、子どももラマも、「経験豊富な人物」によって胸骨が切り開かれ、心臓が取り出されていたと思われる。

成人は男性1人と女性2人で、うち1人は18歳の女性、残る2人は20~30歳だった。1人は頭を殴られて死に、もう1人は顔面に殴られたような外傷の痕跡があった。残る1人は肋骨数本が折れていた。

埋葬場所が子どもたちに近いことから、この3人も生贄の儀式に関係していたと思われる。

ラマはいずれも1歳半未満で、ほとんどは生後9カ月に満たず、子どもたちの年齢に合わせていたとみられる。ラマの体はベージュや茶色に塗られていた。

北側で見つかった1頭のラマは、陶器や木製の櫂(かい)と一緒に埋葬されていた。いずれもチムー文明の葬儀に関連するものだった。

埋葬地の下には厚い泥の層があり、同地が大規模な暴風雨や洪水に見舞われていたことをうかがわせる。こうした災害が引き金となって、生贄の儀式が行われた可能性もある。

泥の中には、生贄になるためにこの場所に連れて来られた子どもやラマの足跡も残っていた。

放射性炭素による年代測定を行った結果、生贄の儀式が行われたのは1450年だったことが判明した。米大陸で発見された子どもとラマの集団生贄の規模としては、過去最大だった。

研究チームは今後も発掘された生贄について詳しく調べる計画。エルニーニョ現象による豪雨や洪水がチムー文明の経済や政治的安定を脅かし、生贄の儀式につながったのではないかとみている。


大虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否

大虐殺関与の 「真実見よ」とルワンダ、仏大使の式典出席拒否

 発信地:キガリ/ルワンダ [ アフリカ ルワンダ ]

https://www.afpbb.com/articles/-/3011915


【4月7日 AFP】(一部更新)1994年にアフリカ・ルワンダで起きたジェノサイド(大量虐殺)をめぐり、ルワンダ政府は6日、フランスに対し、同国が虐殺に関与したという「難しい真実」と向き合うよう求めた。多数派フツ(Hutu)人主導の政権下で80万人のツチ(Tutsi)人が犠牲となった大虐殺から20年の節目を目前に控え、両国間では激しい火花が上がっている。

 ルワンダでは7日に政府主催の追悼式典が開かれる。しかしフランス政府は、ルワンダのポール・カガメ(Paul Kagame)大統領が大虐殺へのフランスの関与を改めて非難したことを受け、予定されていたクリスティアーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法相の追悼式典出席を中止。式典には駐ルワンダ仏大使が出席すると発表し、自国の代表を事実上「格下げ」した。

 仏外務省は「式典のボイコットは一度として検討していない」と説明したが、この決定はルワンダ側の猛反発を招いた。ミシェル・フレシュ(Michel Flesch)駐ルワンダ仏大使は7日、AFPの取材に、ルワンダ外務省から6日夜に電話連絡があり、式典への出席を禁じられたと明かした。

 これに先立ち、ルワンダのルイーズ・ムシキワボ(Louise Mushikiwabo)外相は「われわれ2国が真に歩み寄るためには、真実を直視しなければいけない。真実は難しい。ジェノサイドに関与した者と親しい間柄にあるという真実は、非常に受け入れるのが難しい真実だ」とコメント。「フランスとの関係を保つための条件として、ルワンダが歴史を忘れなければいけないのであれば、われわれ2国が前に進むことは不可能だ」と述べていた。



■「ジェノサイドの共犯」と非難

 フランスは大虐殺が起きた当時、フツ人主導の民族主義政権と同盟関係にあった。

 カガメ大統領は、仏週刊誌ジュンヌ・アフリック(Jeune Afrique)とのインタビューで、「ジェノサイドの政治的な準備にベルギーとフランスが直接的な役割を果たした」と非難。さらに、フランス軍の兵士たちが当時、フツ人が大多数を占めていたルワンダ軍の訓練を支援していた上、殺人者らの逃亡を助けたとして、ジェノサイドの共犯者であり「関係者」だと語った。

 また同大統領は、6日に放送された仏テレビ局フランス24(France 24)とのインタビューでも、「常に延々と人々を糾弾しようと思っているわけではない」が、ただ「歴史上の事実」を列挙しているだけだと述べた。

 フランスはこれまでルワンダ側の主張を繰り返し否定し、当時のフランス軍の部隊は民間人の保護に努めていたと強調している。(c)AFP


[社説]国際社会との約束を覆した日本の「軍艦島歴史歪曲」

[社説]国際社会との約束を覆した日本の「軍艦島歴史歪曲」

登録:2020-06-16 01:29 修正:2020-06-16 07:20 http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/36953.html
東京新宿区の「産業遺産情報センター」内部。朝鮮人強制労働で悪名高い端島(軍艦島)の様子がパノラマ映像で展示されている=産業遺産情報センター提供//ハンギョレ新聞社

 日本政府が、朝鮮人が労働を強制された端島(軍艦島)などを含む「明治日本の産業革命遺産」をユネスコの世界文化遺産に登録する際に犠牲者を記憶にとどめる情報センターを設置するとした約束を破り、逆に強制動員の歴史を歪曲する展示を始めた。国際社会との約束まで覆す日本政府の態度には憤りを感じざるを得ない。

 端島をはじめ、日本が2015年に「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録した施設は、明治時代に開かれた炭鉱や製鉄所などで、朝鮮人が過酷な労役を強いられた苦い歴史がある。登録の過程でこのような歴史が指摘されると、日本政府は「一部の施設で朝鮮半島出身者やその他の国民が意思に反して動員され、厳しい環境の下で強制的に働かされた」ことを認め、「犠牲者を記憶にとどめるインフォメーションセンターを設置する」とはっきりと約束した。

 しかし、日本が15日に公開した産業遺産情報センターは日本の近代産業化の成果を自画自賛する内容がほとんどで、犠牲者を記憶にとどめるような内容は目をこすって見ても見当たらない。むしろ朝鮮人が端島で「良い環境で生活した」というような証言を映像で見せ、歴史歪曲をはばからない。日帝の植民地支配に対する反省を「自虐史観」と否定する日本の右翼の歪んだ歴史観がそのまま反映されているのだ。

 韓国外交部はこの日、冨田浩司在韓日本大使を呼んで強く抗議する一方、「世界遺産登録の際に韓国と国際社会に約束した内容を、日本が誠実に履行することを厳しく求める」との声明を発表した。

 日本の強制動員問題に対する責任回避は、韓日関係を悪化させた主な原因だ。日本企業は韓国人強制動員の被害者たちに賠償せよとした2018年の韓国最高裁の判決後、日本政府は韓日請求権協定ですべてが解決済みだと主張し、輸出規制で報復してくるなど、盗人猛々しい態度を取ってきた。日本政府は、植民地支配と侵略を通じて多くの韓国人に苦痛を与えた加害者としての歴史を直視し、まず強制動員の歴史を正しく伝えるという国際社会との約束を履行すべきだ。さらに、数十年間にわたって法廷で正義の実現を切に求めて闘ってきた高齢の強制動員被害者が正当な賠償を受けられるよう、韓国との外交交渉に速やかに取り組むべきである。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/949443.html韓国語原文入力:2020-06-15 18:24
訳D.K

朝鮮女子挺身隊の狡猾な徴用の真相を伝えた『報道特集』

醍醐聰のブログ

朝鮮女子挺身隊の狡猾な徴用の真相を伝えた『報道特集』

2020年6月19日

http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-993e26.html

 6月13日、『報道特集』が番組の中で約25分間、<朝鮮女子挺身隊~苦難の人生~>と題する特集を報道した。非常に啓発されたので、このブログに記録を残すことにした。
 なお、この番組のもとになった取材に当たったのは、富山の「チューリップテレビ」(1990年開局)の砂沢智史さんだった(番組の最後に登場)。

番組のあらすじ  
 戦時下の日本軍は若者を戦地に動員したため、国内での軍需労働力が逼迫した。これを補うため、国内では1943年9月から女子労働力の徴用を開始。朝鮮半島でも翌年から12以上の未婚の子女を技能者として動員し始めた。 
 番組は、これに伴って、当時、現地の国民学校に在籍中の朝鮮人小学生たちが1945年3月から、女子勤労挺身隊として、富山県の機械メーカー・不二越に送りこまれ、航空機の部品工場で働かされた経過を取材するとともに、日本の敗戦後、母国に帰った彼女たちがたどった苦難の人生を追跡した。

 終戦までに、朝鮮半島から3000~4000人が女子挺身隊として日本に送られたと言われているが、不二越の社史によると、1944年から、約1年間に1089人を受け入れたと記されているという。
 番組は、戦後、強制労働の賠償を求めて日本政府と不二越を訴えた原告のうち、今も韓国で暮らしている3人の元女子挺身隊員を取材し、体験談を肉声で伝えた。
 その一人、金正珠(キム ジョンジュ)さんは、戦後、結婚して3人の子供に恵まれましたが、女子挺身隊員だったことが知れたのを機に、夫から暴力を振るわれ、離婚させられた。夫は、女子挺身隊は「従軍慰安婦」と思い込んだからだ。
 金さんたちが日本で裁判を起こすと、周りから、「金をせびりに行くのか」と罵声を浴びたという。

彼女たちは、どのように口説かれて日本へやって来たのか?  
 この点は、資料でいろいろ記されているが、番組は当事者の肉声で、経過を生々しく伝えた。これが、この番組の圧巻と思えた。
 彼女たちの証言、それを裏付ける独自取材で明らかになったのは、主に次のような方法による事実上の徴用だった。

① 国民学校教師の甘言による勧誘  
 大半は当時、彼女たちが在籍した朝鮮の国民学校に勤めた日本人教師の「勧め」だった。教師たちは「内地」から送られてきた現実離れの映画を生徒たちに見せて安心させ、「内地」行きを勧誘したのである。 その映画というのは、先に徴用されて日本で働いていた隊員たちが、学校に通いながら、恵まれた宿舎にとどまり、生け花の稽古を楽しむ光景を描いたものだった。

② 朝鮮総督府の機関紙による宣言工作 
 この機関紙に、先発の挺身隊員の近況報告や勧誘の手記を掲載して、恵まれた労働、寮の生活を宣伝し、
  「はや こちらへきて 二つきになりました
  内地のみなさんの やさしい おみちびきで ほんたうに たのしく
げんきに はたらいて をります」
  「早く いらっしゃい  女子挺身隊員の手紙と獻金」
と言葉巧みに勧誘したのである。

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 その一方で、
  「コレハ ケッシテ チョウヨウ(徴用)デハナク クニヲ アイスル
   マゴコロカラ ススンデ シグゥワンシテ デルノヲ ノゾミマス」
と言い募っていた。特攻隊の場合と同じである。

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 番組は後半で、元女子挺身隊員が戦時下の強制徴用、強制労働に対する賠償を求めて不二越と日本政府を相手どって起こした訴訟の経過、韓国の司法に救済を求めて起こした訴訟の経緯を紹介した。これについては、かなり知られているので、ここでは省く。

強く印象づけられたこと 
 手短に2つのことを記しておきたい。
 一つは、金正珠さんが取材に応じて、不二越の工場で毎日、歌わされた「君が代」を、母国語を挟んで、流ちょうな日本語で歌った場面である。
  「皇国臣民の誓い 君が代は千代に八千代に」 

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また、朝夕、寮と工場を行き来する時は、
  「勝ってくるさと勇ましく」
と歌ったと、手を前後に振って行進の仕草をしながら、金さんが口ずさんだのを視て、当時、いかに軍歌を叩き込まれていたか、活字では知ることが出来ないリアリティを感じさせられた。

 もう一つ、見過ごせなかったのは、元挺身隊員との和解に応じた時の不二越社長(当時)井村健輔氏の会見の席での次の言葉である。
 「第二次世界大戦下における過去の事実をめぐる極めて不毛な争いを今後も続けるということは、当事者双方にとって不幸であると考えておりました。」

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 日本の多くの徴用企業が時効や日韓請求権協定(の誤った解釈)を盾に元挺身隊の訴えを拒み続けた中で、不二越が和解に応じたことを評価する意見が多いが、原告の訴えと向き合うことを「不毛な争い」と言い放った井村社長の発言は、金で罪を消そうとする姿勢が露わであり、謝罪とは程遠い姿勢であったことを思い知られた。 

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檜原転石

Author:檜原転石
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世の中は無名の一人でも変えられる

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