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悪口雑言の満ちた「丸刈り校則」反対の最後のビラ

 

 もう24年も経つのだが、このビラの2ヶ月後に「丸刈り校則」が終わったのか、この年の翌年の4月なのかが定かではない。まあとにかく学校の教師が子どもに加える拷問の一つである「丸刈り校則」は終わった。きっかけは愚劣な教師の思いつきなのだが、どんな愚劣でも30年も続ければ伝統となるわけで、ある意味恐ろしいことだ。この事例では校長は自分では「丸刈り校則」を廃止せず、公認の校長に頼んだというおまけまでついている。校長が、「丸刈り校則」廃止を功績と感じたのか、あるいは重荷と感じたのかは定かではないが、いずれにしても功績は半減され、重荷も半減されたわけだ。まあ何でも2人でやれば気は楽だ(笑)。実は岡崎ではたった1人で長髪を通して通っていた中学生もいたのに、この子どもに比してこの教育者である大人たちの奥ゆかしさ──処世術──には泣けてくる。


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校則なくした中学校たったひとつの校長ルール 定期テストも制服も、いじめも不登校もない!笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた/西郷孝彦/著

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■さよなら丸刈り校則



               或いは  くたばれ丸刈り拷問         第10号                                                1996年2月14日


・・・


教師へ A
 
 マルセ太郎は、高々30人の長になるために、魂まで売ってしまう教師がなんと多い事かと講演でしゃべるそうですが、もちろん諺に「鶏頭になれ、牛後より」とあるぐらいですから、高々というより30人の長になることは素晴らしい事なのですが、そのためには志をすべてを捨て去るのでは話にもなりません。ただ売る魂をまだ少し持ち合わせている教師がまだいるのなら少しは救われるのですが、現実は無能な教師だけが「鶏頭」を目指しているとしたら・・・、殺され続ける子供は増え続けるでしょう。  

 教師へ  B

 あなた方は男子生徒の頭を「丸刈り」にして何も感じないのですか?人間としての痛みを、悲しみを、苦しみを。もし何も感じないのなら教師をやめて下さい。ただ生活のための職業とあなた方が思っているのなら、子供を苦しめさせない他の職業を選んで下さい。あなた方の教員の資格はただただ国・県が与えただけのものであって、けっして子供があたえたものではないからです。


  「血液型性格判断」という大嘘

 「10人10色」という言葉がありますが、何故こんな良い言葉がありながら「血液型性格判断」という馬鹿げたものが、世界のなかで日本だけではやるのでしょう。多くの人間をたった4つに分類して何か得るものがあるのでしょうか。
アメリカ先住民はほとんどが「O型」ですが、彼らの性格はたった1種類ということになります。つまらない手引書で人を判断するのではなく、人が100人いれば100人の個性があるのだから、しっかり人を見よというのが結論になります。血液型には、ABO型以外にも50種類近くありますが、Rh型では「+」と「-」しかありませんから、人の性格を二つに分類できます。それがいかに馬鹿げたことかを説明する必要はないと思います。それでも世の中には馬鹿げた会社があり、例えば三菱信託銀行はAB型しか採用しないそうです。人事課がバカなのか会社がバカなのか分かりませんが、このてのことをテレビで「お笑い」の対象にすべきなのです。
 骨髄移植では白血球の型が問題になりますが、その移植に際して血液型(ABO)が変わることがあります。当たり前ですよね、血液工場(骨髄)そのものを取り替えるのですから。そうすると骨髄登録に際しては、性格やその他諸々まで登録しなければなりませんよね。このてのことは今度は、お笑い空想科学小説にでもまかせておきましょう。
 性格は脳のなかにあります。赤血球(ABO型はそれにヒゲがあるか無いかというかということ)は脳内には入れないそうですから、「血液型性格判断」は科学ではなく、嘘で固めた「お遊び」なのです。それを信じることによって失うものはかなり大きいと思いますよ。「嘘の手引書」によって判断する方もされる方も。


私の小父さんをよってたかって殺した奴等に言っておきたいこと

 私の小父さんは、かかりつけの医者にどこも悪く無いと言われた、おかしいとおもってかかった次の医者にも悪くないと言われた。しかし心臓弁膜症の手術から7年の小父に回りの奴等がよってたかって言ったこと。新築の家の玄関の位置が悪い、便所の位置が悪い、方角が悪いナドナドナド・・・・・・。。お祓いをしてもらえ、拝んでもらえ、占い師に見てもらえ、どこかがたたられている、誰かがたたられている、死んだ妹が呼んでいる、水子の霊が呼んでいるナドナドナド。
 良い医者を選びなさい、タバコはやめなさい、酒は控えなさい、過労は特にいけません、などとは誰も決して言わなかった。
 3番目の医者をさがす前に小父さんのやったこと。祈祷、お祓い、先祖供養、占い師への訪問ナドナドナド・・・・・・。
 重体の小父は、やっとたどり着いた3番目の病院であっけなく死んだ。享年53才。
  私は怒っている、人間の弱みにつけ込む宗教がかった人間を含むすべてに対して。お祓いをしている暇があったら、「直ちに医者へ行け」、「医学書を読め」、「最初の医者がダメなら医者を変えろ」、要するに「生死の間にいる人間」を救うのに時間はない。ことは一刻を要する。だから「黙っていろ」、お祓い好きやたたり好きな人間は、「何もしゃべるな」。「弱くて苦しんでいる人間に近づくな」。

   日本の宗教は・・・

  日本の宗教は、お祓いをすれば何をしても許されると言う打算的な宗教でもある。だからお祓いをしてから森を破壊する、川を破壊する、自然を破壊し地球を痛めつけても何の痛みも感じない。そこに自然への畏敬など微塵も感じない。
 アイヌ人の自然への関わりはそれと全く違う。自然から生かさせてもらっているだという謙虚さがある。だからサケをとりすぎない、森からは収奪をしないだろう。儀式は森、川、総じて自然と人間の共生の貴重な営みである。そこに打算も利己主義も見えない。

 たたりについて

 どんな悪人にも、例えば「アジア人2000万人以上の殺人の命令者で、敗戦間近には天皇制を残すのみに狂奔し、そのために莫大な数のアジア人が殺され、数100万単位の日本人が戦場、原爆や空襲で無駄に死んだにもかかわらず、責任も取らず、平和主義者として恥知らずにも居座り、数10年たてば、自衛隊の戦力はたいしたことがないのだからもっと増やせとうそぶき、80才以上生きた人間」にたたりがあったと、噂でさえ聞いたことがない。
 安心してくれ、どんなよこしまな人間にもたたりがない以上、善良な人間にたたりがあるわけがないのだ。
 阪神大震災で分かった、金持ちの住宅が貧乏人の安普請より丈夫なことを。自然災害さえも差別的に貧乏人を狙い撃ちするのだから、これを公正な社会に少しでも近づける努力をするのがまっとうな人間の目指す道なのです。たたられているのは、人間の無知と公正を実現しない怠慢なのです。


「女子の制服にズボンも」 生徒会の陳情で制服選択制、年明け導入へ 校長「陳情のシステム学ぶ良い機会に」

「女子の制服にズボンも」 生徒会の陳情で制服選択制、年明け導入へ 校長「陳情のシステム学ぶ良い機会に」


                   

陳情を提出した生徒会長の照屋規翔さん(前列左から2人目)と、回答したPTAの又吉琢巳会長(同3人目)、神里一吉校長(右端)=10日、糸満市立西崎中学校

 要望があったのは「女子生徒の制服のスカートとズボンの自由選択制」「ズボンを着用した際のリボン未着用」の二つ。

 きっかけは、神里校長が生徒会メンバーと学校運営について話し合う懇談会で、高校で取り組みが広がる「選択制服制」について話題になったことだった。

 提案を受け、同校は5月29日に学級調査を実施。6月14日の生徒会総会で校則の変更を求める決議がなされ、9月27日に照屋さんが陳情書を提出した。

 日頃から生徒の主体的な学校運営を促し、意見を書面で提出することを呼び掛けてきた神里校長は「社会のさまざまな場で用いられる陳情のシステムについても学んでもらう良い機会になると思った」と話す。

 制服の選択制について「高校で広まる選択制を中学から取り入れることで取り組みが接続される」とした上で、「LGBTなど性的少数者の生徒などの生きづらさを解消し、学校生活を楽しんでもらいたい」との思いがあったと話す。

 照屋さんは校則が変わることでLGBTの生徒にも学校を楽しんでほしいと願っており、「文書を作るのは難しかったが将来に向け、貴重でいい経験になった」と笑顔。「西崎中をきっかけに、他の学校でも活動が広まっていってほしい」と目を輝かせた。

 又吉会長は「子どもたちと真剣に向き合えるPTA活動のためにも(陳情での要望を)今後も続けてほしい」と話した。

芹沢俊介:日本人は、頭髪でもっても、戦争をしたのである

 スポーツにおける暴力でも明白だが、権力上位者だから権力下位者に暴力をふるえるわけで、逆は決して起こりえない。ただしこれについては注意が必要で、例えばプロ野球の場合には、日本ではその種の暴力が頻繁に起きているのだが、米国野球ではそれが起きないのは、そんなことをやれば必ず逆襲されるというから、両国のスポーツ文化の違いもある。


 学校の校則も権力上位者の教師集団が子どもに強制するものだから、教師集団は愚劣な校則を守る必要などはじめからない。よってどんな愚劣な校則でも存在しうる。「靴下の色は白」だという校則があっても、教師は色んな色の靴下を履くのが常だ。私は反「丸刈り校則」のビラで、学校の違反下着をチェックするために、「教師の下着の色を時々チェックする」より「丸刈り校則」の方が残酷だというようなことを書いた覚えもある。当たり前だが、学校空間で教師の下着の色がチェックされるような社会は戒厳令下のような社会だが、「平和時」の日本で適用されている「丸刈り校則」それよりも残酷という意味合いである。


 悪法の問題一般──憲法は後述──に言えることだが、例えば校則の場合で顕著のように、校則見直しの機運などが起こると、愚劣な校則でも守ってきた子どもの側からは、「オレたちも我慢してきたからお前たちも我慢すべきだ」というような意見も一定数でるものだが、そこでは異議申し立ての自由は軽視され愚劣な校則より良く耐えて頑張ったという忍耐の方に価値を見出すような子ども、すなわち悪法下での隷属の処世術を学んでいる子どもを用意してしまう。


 憲法問題といえば第1条から第8条までの天皇条項が悪法であるのは明白で、「人間は平等」という真理、人類の叡智に反するそれに異議を唱えないのは人間失格とさえ言っていいようなものだが、そんな悪法でもこの国には存在するので、嬉々として悪法を守り隷属に甘んじる臣民の輩出が後を絶たない。恥を知らない臣民は、願望と思い込みで「天皇は良い人だ」と持ち上げて、自らの不明を隠したがるものだ。それが昂じれば「アキヒト平和主義者」神話の信奉者になって、米国の属国を批判しながら天皇を持ち上げる支離滅裂な主張を繰り返す「知識人」なる口舌の輩も出現しはじめる。かように「人は愚者には生まれずに、愚者になる」わけだが、愚者でも金持──まあ広い意味で天皇の仲間である──であろうから、短い人生に悔いもないのだろう。ここでも問題はやはり、清貧を貫くべき大衆なのだ。アキヒトとが東電株をもっていたり、ナルヒトがウォーター・バロン(水利男爵:ヴェオリア・ウォーター、スエズ、テムズ・ウォーター)が主催する水フォーラムで講演と、彼らが実に判りやすい"立ち位置"を提示してくれているのに、知らぬか知ってか、好意を示してしまうお人好し体質である。・・・


・・・


 さて表題からかなりずれてきたので、戦争する髪型=丸刈りについて──。丸刈りについては、高校野球を見れば一目瞭然で、軍隊体質が敗戦後に大学運動部に持ち込まれ──島岡軍隊野球はその典型──、そして高校運動部に・・・、ことに高校野球においては改革されない悪しき伝統として定着したままだ。ワインの世界では 「伝統とは、成功した改革の積み重ねである(エリオ・アルターレ) 」とかいう箴言もあるが、日本の場合の伝統とは愚劣を墨守している伝統の方が長持ちする場合も多いようだ。例えば伊勢神宮の掘っ立て柱方式も愚者ムツヒトが取り巻きの正しい忠告を無視したので今に続いている。天皇がほざけば高価なヒノキも腐らせてもいいのである。

 髪を短くしても野球は上手くならないが、非科学が支配するスポーツでは、外見の方が重視される場合も多い。今時、超一流の投手を物真似してほぼ同種の球種を投げることを可能にするスポーツ施設が米国にあるくらいだから、スポーツ科学は極めて大事なのである。桑田真澄が野球解説で最短にバットを出すことをベースランニングに例え、最短距離を走る走者はおらず、最短時間で走るには曲線を描くというような説明をしていたが、地面に近づいてくる球をとらえるにはアッパースイングが最良なのである。その理論はテッド・ウィリアムスがとうの昔に指摘していたが、桑田真澄といえば中学時代には彼の本を読んでいたのである。


 天皇の存在は歴史修正主義を蔓延させるが、戦前を懐かしむというのもその範疇の一つだろう。愚劣な校則を我慢する子どもと愚劣なことを強制された社会を生き抜いた大人、この両者の我慢比べは愚劣な法・社会・学校空間などへの批判精神はほぼ皆無だから、権力者にとっては都合の良い大衆である。


 高校野球の丸刈りがかくも長く続く社会は、戦争する髪型=丸刈りを徹底批判できない社会、そして侵略戦争を徹底批判できない社会が継続しているということだ。天皇・「日の丸・君が代」・丸刈りは敗戦後70年余生き延びてきたわけだ。かように2世代にもわたって過去の遺物に支配されつづけている人間が幸せなわけがない。私たちは本気で幸せを希求しているのであろうか?




■芹沢俊介『現代<子ども>暴力論 増補版』春秋社、1999年第3刷


頁130──

校則論



頁134──

 昭和14年(1939年)、文部省は子どもたちの髪型の統制を考えはじめた。昭和17年、大政翼賛会(国民の「自発的」な戦争遂行協力機関)と大日本理容協会が「翼賛型3種」の頭髪型を決定し、全国の理容店に通達する。「翼賛型3種」とは、次の型をいう。

1号型 長髪で前髪1寸(約3センチ)ないし2寸(約6センチ)ていどで、周囲はバリカン刈りとし、分け方は随意

2号型 中髪で前髪は5分(約1・5センチ)ないし1寸ていど、周囲はバリカン刈りで刈り上げる

3号型 散髪総5分刈、学生未成年者はこの型が適す

 ここに学生、未成年者の一斉丸刈りの強制が史上はじめて出現したわけであるが、同じように重要なことは、こうした丸刈り(を含む「翼賛型3種」)が、"刈れ翼賛型 撃て米英 翼賛型は闘ふ頭髪型"というキャッチフレーズに表現されているように、戦争する頭髪型であるとみなされたことである。日本人は、頭髪でもっても、戦争をしたのである。


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世の中は無名の一人でも変えられる

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