マルコムXの反人種差別運動


http://parstoday.com/ja/news/world-i40293

マルコムXは反人種差別運動者
マルコムXは反人種差別運動者

1965年2月21日、アメリカのイスラム教徒で黒人公民権運動活動家のマルコムXが暗殺されました。

この暗殺事件は、アメリカの黒人の権利回復を巡る社会的な緊張が高まっていた際に起こったもので、アメリカでは、暗殺や流血なしには、人種の平等を確立することはできないということを示しました。

マルコムXは、1960年代にアメリカで人種問題を巡って起こった流血の唯一の犠牲者ではありません。彼は、1925年5月19日、マルコム・リトルという名で、ネブラスカ州のキリスト教徒の家に生まれました。幼少期は貧しく、激しい人種差別の中で育ちました。このときの影響により、彼は激しい性格の人間となります。

マルコムXは、貧困や差別を逃れてよりよい生活を送るため、ボストンに移住しますが、そこで強盗の罪で逮捕され、服役します。懲役10年でした。マルコムXは、服役する際にはキリスト教徒でしたが、刑務所で、イライジャ・ムハンマドの教徒の影響を受け、イスラム教に改宗し、イスラム教徒になります。こうして、マルコムXと名乗るようになりました。

マルコムX

 

服役を終えた後、マルコムXは、白人至上主義や人種差別に対するスピーチにより、騒ぎを起こします。黒人の権利回復のために非暴力的で融和な方法を取っていたキング牧師とは異なり、マルコムXは、あらゆる行動に訴えました。

その後、黒人の若者から支持されていたマルコムXと、ネーション・オブ・イスラムの指導者のイライジャ・ムハンマドの間に対立が生まれます。この対立は、アメリカ最大の黒人イスラム教徒の組織を崩壊寸前に追い込みます。

両者の言葉の応酬が激しくなり、ついにマルコムXは、演説の中で、アメリカ社会の不平等な関係に対して立ち上がることを訴えます。

マルコムXは、白人の黒人に対する400年の圧制に対し、アメリカにおける人種の平等の確立だけでは十分ではないと考え、黒人の白人に対する優位を強調していました。そのため、1965年2月21日、マルコムXは、ニューヨークで講演中に暗殺されます。

警察は、暗殺の実行犯はネーション・オブ・イスラムの3人のメンバーで、その動機は、内部の抗争にあったとしています。しかし、マルコムXの信奉者は、この暗殺には、人種差別主義者やFBIの関係者が関わっており、アメリカの黒人イスラム教徒社会の内部の対立も関係していると考えています。

マルコムは、1960年代から70年代の人種差別に対する抗議運動に大きな影響を与えました。その影響は、今も続いています。

イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、2017年、マルコムXが暗殺された日にテヘランで行った演説の中で、マルコムXは殉教者だとし、この殉教者に追悼を捧げるよう求めました。

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ローザ・パークス以外の2人(クローデット・コルビンともう1人?)


▼マイケル・ジャクソンにおけるカラーブラインドネス : "Black or
White"を手掛かりとして
額田, 康子
http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/10466/15330/1/2017000046.pdf


たとえば、公民権運動の端緒となったバス・ボイコットは、ローザ・パークス(Rosa Parks)が黒人席に座ることを拒否し逮捕されたことから始まったが、彼女以前にも同様の行為で話題になった女性たちがいた。1人は15歳で婚姻外の妊娠をしており父親が無職、もう1人は父親がアルコール中毒患者という「汚点」があった。そのため、公民権運動の指導者は、彼女らの逮捕を問題にしなかった36 。ローザ・パークスは、白人男性による黒人女性の強姦事件の調査活動を行う活動家だったが、バス・ボイコット運動では、エリート男性であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが群衆の前で熱っぽく演説する後ろに、黙って立っていた。控え目で「汚点のない」高潔なマドンナを演じることによって、彼女はバス・ボイコット運動のシンボルとなり得たのである37 。

クローデット・コルビン──もう1人のローザ・パークス:モンゴメリーの市バスで座席譲渡を拒んだ最初の少女

 国際政治学者とかいう肩書きの三浦瑠麗という愚者のヘイトスピーチ(差別煽動・憎悪煽動)の話題がネットで広がっているが、この種の愚者は冷酷無比の鈍感さえゆえに少数派の痛みを想像できないし、哀しむ能力もないのだろう。だからこそ、批判されると、「・・・そういう見方を思いついてしまう人こそ差別主義者だと思います。」と言って自らの多数派としての特権と鈍感さを白状する。


 さてここではこの種の愚者とは対極に位置する人間を紹介する。クローデット・コルビンはローザ・パークスより9カ月前にモンゴメリーの市バスで座席譲渡を拒んだ女性である。




▼ローザ・パークス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%82%B9


ローザ・“リー”・ルイーズ・マコーリー・パークスRosa "Lee" Louise McCauley Parks, 1913年2月4日 - 2005年10月24日)は、アメリカ合衆国公民権運動活動家

1955年アラバマ州モンゴメリーで公営バス運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み、人種分離法違反の容疑で逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人黒人)による公民権運動の導火線となったことで、ローザは米国史における文化的象徴と見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。

人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は国際的に高く評価されている。



★高橋朋子・訳『ローザ・パークス自伝』潮出版社、1999年

頁125──
 1955年春、クローデット・コルビンという十代の少女と老婦人がバスの真ん中のセクションに座っていて、白人に席を譲るのを拒みました。運転手が警察を呼びに行ったところ、老婦人はバスを降りてしまいました。しかし、クローデットは、すでに料金の十セントを払ったのだから動く理由などないと言って、降りようとしませんでした。
 警官が来て、この少女をバスから引きずり降ろし逮捕しました。この少女の名前をどこかで聞いたことがあると思ったら、クローデット・コルビンは、パインレベルで白人のもとで絶対に働こうとしなかった、子沢山で純粋な黒人のガス・ボーン氏の曾孫だったのです。・・・中略・・・
   私は、ニクソン氏とジョアン・ロビンソンと一緒に、クローデット・コルビンに会いに行きました。そして、彼女の申し立てを連邦裁判所に上告することについて話しました。クローデットにその気があったので、彼女の弁護資金を作るのに彼女自身に街のあちこちで話してもらう計画を立て始めました。
 すべてうまくいっていたのですが、それは、クローデットが妊娠していることをニクソン氏が発見するまでのことでした。クローデットは未婚でした。ということで、訴訟の話は終わりになってしまいました。あの情報が白人記者たちの手に渡ったら、大騒ぎになったことでしょう。彼らはクローデットを不良娘呼ばわりして、彼女の申し立ては勝ち目がないものになったことでしょう。結局、それ以上時間と労力とお金を使う前に、もっと適切な起訴人が出てくるのを待つことにしました。


▼The Other Rosa Parks: Now 73, Claudette Colvin Was First to Refuse Giving Up Seat on Montgomery Bus

https://www.democracynow.org/2013/3/29/the_other_rosa_parks_now_73


▼デモクラシー・ナウ 動画

2013年3月29日(金)

http://democracynow.jp/dailynews/20130329


もう1人のローザ・パークス:モンゴメリーの市バスで座席譲渡を拒んだ最初の少女

ローザ・パークスの栄誉を称えた2月の座像除幕式で、オバマ大統領は、アラバマ州モンゴメリーで市バスの席を白人客に明け渡すことを拒否したパークスの「たった一つの不服従の行為が(公民権)運動に火をつけた」と述べました。でも、ローザ・パークスが米国史に刻まれる行為を行う9カ月前に、クローデット・コルビンという名の15歳の少女がまったく同じことをしていました。彼女はこのとき逮捕され、その裁判の結果、米連邦最高裁はアラバマ州の乗合バス・サービスに対し人種隔離制度の撤廃を命じる判決を出しました。現在73歳のクローデット・コルビンがブルックリン大学教授ジーン・セオハリスとともに数少ないインタビューに答えます。The Rebellious Life of Mrs. Rosa Parks(『ローザ・パークス夫人の反抗の人生』)の著者でもあるセオハリスは、パークスの勇敢な行為も9カ月前のコルビンの行為がなければ起きていなかったかもしれないと言います。コルビンは、学校でアフリカ系アメリカ人の歴史を学んだことが彼女のその行為を促したのだと言います。「動けませんでした。なぜなら歴史が私をこの席に貼り付けていたからです」。彼女は、バスの運転手や、逮捕しにやってきた警察官に言った言葉を覚えています。「(奴隷解放運動家の)ソジャーナ・トゥルースの手が私の一方の肩を、(奴隷・女性解放運動家の)ハリエット・タブマンの手が私のもう一方の肩を押さえ付けているような感じだったのです」


★師岡康子『ヘイトスピーチとは何か』岩波新書、2013年

頁53──
マイノリティの受けるダメージ
 批判的人種理論の論者であり、自らも民族的マイノリティであるマリ・マツダは、ヘイトスピーチはマイノリティに対し、「芯からの恐怖と動悸、呼吸困難、悪夢、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、過度の精神緊張(高血圧)、精神疾患、自死にまで至る精神的な症状と感情的な苦痛」をもたらすと指摘する。社会心理学者クレイグ・ヘンダーソンは、被害者に共通する心理的影響を、①継続する感情的苦悩、②自信喪失、③逸脱感情(自分は「普通」とは違っておりマイノリティであるから狙われたという自己認識)、④自分を責める、などを具体的に挙げている。


日本ではいまだに「黄色人種」とか「モンゴロイド」とかいう表記も散見されますが、人種分類というお粗末な非科学を早く卒業しないと世界から笑われますよ。





※筆者注:三品純氏は 示現舎(しげんしゃ)の記者。ちなみに小林健治(にんげん出版代表)によると──「出版元は、示現舎(しげんしゃ)という、部落差別、在日韓国・朝鮮人差別、アイヌ民族差別などを公然と行うレイシスト組織。」なりゆき上、私は示現舎のサイトに行かざるを得ないが、この記事の読者は、その辺は自己判断で・・・。



ガキ使『黒塗りメイク』炎上騒動の行く末は超表現規制社会(前編)

By 三品純

https://jigensha.info/2018/01/26/hamada-1/#comment-2434


コメント欄 

  1. 苦~いこーひが好き

    とにかく誰でもいいから叩きたい時の便利な道具にして便利な言葉「差別」
    通り魔と同じじゃん・・・

    返信
    1. 三品純三品純 投稿作成者

      苦いブラックコーヒーは嫌いだ、と言ったら
      ニガーとブラックをイメージするとか。

      返信
  2. 檜原転石

    どういう取材をしているかは知りませんが、浜田雅功の「黒塗りメーク」問題の最初の批判者のバイエ・マクニールを無視するって、あり得ないでしょう?彼は以前にもフジの音楽番組での「黒塗りメーク」を批判しているのですから・・・。
    ★私は2015年にも、ブラックフェイスを放映しないでください、という運動をしました。このときは5000人近くの署名が集まり、フジテレビはそのシーンの放映を取りやめました。しかし、フジテレビはその理由も説明せず、署名活動を認めることもありませんでした。

    返信
      1. 檜原転石

        ※注:私のブログでも、「黒塗りメーク」「黒塗りメイク」と、表記が混在しているので、これ以後私も「メイク」に統一。

        あなたの答え、反論にもならないでしょう。
        今回の浜田雅功の「黒塗りメイク」問題で、バイエ・マクニールに触れないなどあり得ない。以下、テレビと「黒塗りメイク」問題などの時系列──

        ★時系列 テレビと差別語「ブラック」問題・「黒塗りメイク」問題
        2011年 Eテレ、「日本賞グランプリ『アメリカを振り返る 人種隔離バスへの抵抗』
        2012年  今野晴貴『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』
        2013年 オリバー・カープ「ラッツ&スター」のものまねは、罪のないパフォーマンスといえるのか
        2013年12月 「ブラック企業」が新語・流行語大賞の「2013トップテン」に選ばれる
        2013年12月 『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』第13回大佛次郎論壇賞(『朝日新聞』主催)
        2015年 バイエ・マクニール フジテレビ、「ももクロ」「ラッツ&スター」「黒塗りメイク」問題
        2015年 Eテレ、日本賞グランプリ『キミの心の“ブラック・ピーター”』 
        2017年 バイエ・マクニール 日本テレビ、浜田雅功「黒塗りメイク」問題

         バイエ・マクニールはフジテレビ系の「ミュージックフェア」の放送カットの理由は「フジテレビはその理由も説明せず」と書いてますが、『朝日新聞』の2018/01/19の記事「顔黒塗りのネタ 批判を考える」によると、<当日その部分は放送されず、フジはこの当時、「人種差別という誤解を与えかねないという意見もあり、総合的に判断した」と説明した。>

         よってフジテレビ系は抗議で人種差別に気づき、「黒塗りメイク」部分を放送カット、一方日本テレビ系は抗議にもかかわらず再放送を強行。

         あなたは表現規制を憂慮しているから──その中身はここでは問わない──、問題が顕在化しても居直った日本テレビを支持するのでしょうけれど、それができるのは問題の本質にまったく気づいていないから──

        ★ジム・クロウ制度(人種隔離制度):アメリカの黒人差別体制一般をいう。ジム・クロウとは、1828年ケンタッキー州で上演され、ヒットしてヨーロッパでも流行したミュージカルの登場人物(黒人)の名前で、白人が「黒塗りメイク」で黒人を演じた。その後黒人の蔑称になり、人種隔離のことをよぶようになった。

         日本では素人でも私を含め、無知ゆえに結婚披露宴で「黒塗りメイク」をやっているが、それが米国の人種隔離と密接に関係あると知ってしまったら、もう絶対「黒塗りメイク」はできない。では人種隔離で何が起こるのか?南部の白人は、「ピクニックしながらリンチを観賞」していた。

        ▼黒人リンチで4000人犠牲、米南部の「蛮行」 新調査で明らかに
        2015年2月12日 15:39 発信地:ニューヨーク/米国
        http://www.afpbb.com/articles/-/3039348 

        ▼オリバー・カープ
        「ラッツ&スター」のものまねは、罪のないパフォーマンスといえるのか
        2013年07月02日 17時36分 JST | 更新 2013年08月31日 18時12分 JST

        ★ 総意について
         Eテレ日本賞 『キミの心の“ブラック・ピーター” (オランダ56分)』を見れば一目瞭然ですが、オランダでも「黒塗りメイク」問題があり、抗議者(黒人も多い)がいて、伝統と名乗り強行する人間がいる。オランダでは抗議者が警察に逮捕されている。一方、英国は“今”では問題外で、公園で「黒塗りメイク」のスタッフは激しく詰め寄られる。もちろん米国でも問題外。

         日本ではオランダのような例もあるからまだ安心していられるかもしれない。何しろ名誉白人低国では、白人を仰ぎ見て、媚びて、卑屈で従順なのだし、白人の美意識に追いつけ追い越せと、白→善、黒→悪と労働運動でさえ、ブラックにあらゆる悪を詰め込んで、差別語「ブラック」大合唱している最中だ!

        返信
        1. 三品純三品純 投稿作成者

          丁寧すぎるご解説ありがとうございます。

          まず一点。>日本では素人でも私を含め、無知ゆえに結婚披露宴で「黒塗りメイク」

          これ無知ゆえですかね? 単純に差別的な意図がなかっただけの話じゃないですか。

          今回、ガキ使に抗議又批判した人たちは過去の黒塗り演出について抗議したのかどうか。これって人権的な観点からではなく、ただ世相の流れにのって騒いでいるだけのようにしか思えません。こうした行為が果たして人権問題に寄与するかどうか。

          次に全ての著名人はパロディや風刺の対象になること。政治家でも芸能人でも
          ごく普通に身体的特徴を真似していますよね。黒人はそれが免れるとすれば
          それはなぜ? 逆に風刺の対象になるということはそれだけ黒人が地位向上したことの
          証左ではないですか。

          日本の場合、松元ヒロさんとかニュースペーパーとか安倍や麻生に扮して寸劇やコントをやっています。仮に自民党から黒人の政治家が出た、そして首相になると。なおかつこの人がとてもタカ派だとする。
          当然、左派の人たちにとって政敵なわけで、社会風刺好きの
          芸人さんたちにとってもネタの対象になることでしょう。

          この時、芸人さんが黒塗りメイクにしたら差別なんですか? 
          また黒塗りにしなかったらとても不自然だし。

          普段は人権に熱心な日本の左翼様でも日常の行動様式から察するにゲラゲラ
          笑っている様子が目に浮かびます。貴方様がそうだとは思いませんが。

          じゃあ黒塗りをなくせば黒人差別って無くなりますか?
          アメリカや欧州では黒人に関する厳格な表現規制があるとのことですが、
          それで差別が無くなったんですか? いわんや「腹黒い」も黒人差別とおっしゃる。

          「黒い人脈」「黒い組織」全部なくせば黒人差別解消!となるのかどうか。

          じゃあいっそ檜原さん、ブラック解放同盟を結成してみてくださいよ。
          それでブラック、黒いにまつわる表現規制を求めてみてください。
          それで黒人差別が無くなったら、糾弾でも反省文でもなんでも受けますよ。

          返信
          1. 檜原転石

            今回も長いですよ。あなたは表現規制とかいって騒いでいるだけでいいが、私には話すことはいくらでもある。

            >これ無知ゆえですかね? 単純に差別的な意図がなかっただけの話じゃないですか。

             私を含めて人間は知らないことばかりです。知っていることより知らないことのほうがはるかに多い。よって大事なことは、他人から無知を指摘され批判されたときに人がどう対応するかなのです。筒井康隆などは最悪の事例で、病気無知を晒して批判されただけなのに、表現規制にすり替えた。彼は喫煙者だが、自らを正当化するためにも都合の良いだけの医学情報だけを集めて得意がるだけ。ただの愚か者です。よって、喫煙が鉄たんぱくを体内に生じさせ、それが環境の放射性物質を体内で濃縮するとかいう発がんのメカニズムの研究にはまずたどりつかない。
             表現規制云々でも、モノカキに差別語を使う権利などないのに、あると思い込んでいるから、「言葉狩り(刈り)」とか言って居直る。この愚者に影響を受けた人もかなりいて、前田朗でさえ悪い意味で「言葉狩り(刈り)」とか使っている。多分、あなたもそんな連中のひとりでしょう。
             
             筒井康隆などは多分哀しむ能力が欠如していて、差別語を見て聞いて苦しむ被害者を想像できない。「黒塗りメイク」問題でも同じでしょう。バイエ・マクニール──被害者を無視できるあなただから記事には当然登場しない──は浜田雅功の番組を見て苦しんだ。同じ視聴者のなかでも問題が顕在化して差別と気づいた視聴者がいて、ある調査では8%もいた。実はこの数字の方が重要です。一方あなたは鈍感な多数派に属し、哀しむ能力も欠如していて、苦しむ被害者は無視できるから、簡単に表現規制に話をすり替えることができる。ヘイトスピーチ(差別煽動・憎悪煽動)問題でも、苦しむ被害者の存在は頭の片隅にもないようで、権力の規制問題にすり替える。
             
            >ただ世相の流れにのって騒いでいるだけのようにしか思えません。 

             批判によって問題が顕在化し、差別問題に気づく人が増えるのいいことです。 

            >黒人はそれが免れるとすれ、 それはなぜ? 

            おおざっぱに言えば、今は白人が特権を持っている世の中なのです。だから米国では黒人は警察にあっさり射殺されている。よって「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大切)」運動がある。
             
             カダフィやフセインが何であっさり虐殺されちゃうのか?あなたは説明できますか?
             
            >じゃあ黒塗りをなくせば黒人差別って無くなりますか?

             今回の問題化で、黒人差別の歴史に無知な人が減ったことは確かですね。
             
            >いわんや「腹黒い」も黒人差別とおっしゃる。 

             私は「腹黒い」などという非科学で意味不明な言葉は使わないだけ。ただこの言葉が、差別語「ブラック」の大氾濫に影響を受けて多く使われ出したと推理しているだけ。もちろん警察用語「クロ」は、差別語「ブラック」の大流行で、さらに確固たる地位を築いた。

             色の価値の序列化は白人の美意識に多大に影響を受けている。インドでも英国の植民地になって、白人の美意識に従属し始めた。日本でも同様で、白人の植民地主義のために発明された非科学の人種分類が過去の遺物とはならずに、いまだに「黄色人種」とか「モンゴロイド」とかの表記も見られる。さらには中曽根康弘・渡辺美智雄・梶山静六・石原慎太郎・山本幸三などの黒人差別発言、今では労働運動などが、白→善、黒→悪という白人の美意識に洗脳されて、差別語「ブラック」を大氾濫させている。これって、名誉白人意識でだいたい説明がつく。「幸せな奴隷」(津田幸男:支配言語である英語に支配されていると気づかない人間)は、白人英語に支配されていることに無自覚で、かつ黒人より上位にいるという安心感からか錯覚からか、平気で黒にあらゆる悪を詰め込んで大合唱できる。惨めなものだ!

            ★竹沢泰子
            ヨーロッパ人を白色人種と呼んだり、白い肌が美しいとする考えは、元来極めてユダヤ=キリスト教文化圏の伝統に支配された考え方だと思います。ユダヤ=キリスト教文化圏では旧約聖書にあるように白を 光、黒を闇として、善である白い色を自分たちの色に当てはめたわけです。

            >じゃあいっそ檜原さん、ブラック解放同盟を結成してみてくださいよ。それでブラック、黒いにまつわる表現規制を求めてみてください。

             あなたは、私のブログをちゃんと読みましたか?ずーっと「言葉狩り(刈り)」をやっている。日本版「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動の開始からから、もう5年目に突入しています。もちろん差別語は人間の進歩で日々発見されるから、「言葉狩り(刈り)」は永遠運動でもある。例えば以下も──

            ▼「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん
            http://blackisbeautiful2013.blog.fc2.com/blog-entry-8329.html

             ずーっと「言葉狩り(刈り)」やっているけど、差別語「ブラック」使用者からのまともな反論などいまだにない。昔のCMLを覗けば、論争もありましたが、今では批判にはほぼ無視です。メディアでは『週刊金曜日』ぐらいだけが私の意見を1回だけ取り上げていますが、新聞社などへの投稿などまず不採用です(もちろん天皇ネタも。日ごろから「天皇よいしょ記事」しか書かない新聞社が載せるはずもないが・・・)。

             多数派であるということは、気楽なことです。無視して沈黙していれば、差別語「ブラック」の大氾濫という事実だけが積み重なっていく。今野晴貴など初期には「ブラック」をちゃんと定義して使え、とか言ってましたが、じゃあ「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」のブラックはどういう意味なのか聞くべきでしょう?

             この話題でついでに述べれば、愚劣な校則の典型でもある「丸刈り校則」など、ビラを1回ぐらい配れば、学校はすぐやめるだろうと私は楽観視していた。ところが、なんと5年も時を要した。世の中、こんなものです。明かなトンデモでも伝統だといって擁護される。オランダの「黒塗りメイク」問題も一緒でしょう。

             というわけで、私の運動、例えば差別語「ブラック」問題は終わる可能性は想像できるが、白人英語に従属して、日本に蔓延する「白→善、黒→悪」という白人の美意識を転覆させる運動の終わりなどまず予想できない。

            ・・・
             あなたって、アラビア半島南部を辿るあなたの先祖の旅を想像できますか?その時の皮膚の色を想像できますか?メラニンの多寡だけにとらわれている非科学な愚者の側に立って、「白→善、黒→悪」という白人の美意識に支配されて、先祖殺しに加わる愚行を繰り返すなど、私には到底できないことだけなのです。

          2. 三品純三品純 投稿作成者

            >カダフィやフセインが何であっさり虐殺されちゃうのか?
            あなたは説明できますか?

            核兵器を持ってなかったからじゃないっすか? 
            金正恩は白人じゃないけどピンピンしています。
            黒人差別とはまた別の問題ですよね。
            世界情勢がアメリカの戦略で左右されるという主張ならば分かりますが。

            檜原さんは問答無用で「黒人」を弱者と位置付けていますが、
            前にも指摘しましたが、
            黒人の超独裁的、超軍国主義的リーダーが現れた時に
            「弱者」だから許しますか。

            じゃあ「黒人」って誰よって話になります。
            オバマが大統領に就任した時に黒人社会から
            「あいつは黒人じゃねえ」
            という議論があったと思います。
            黒人をアフリカ系とするのも、親子三代NY住まいの黒人からすれば
            「勝手にアフリカ系にすな」という人もいるでしょう。
            「黒人」を一括りにするのもどうなんでしょうか。
            ごめんなさい定義論をするつもりはないのだけども。

            話を戻して表現問題です。
            黒い=ネガティブな表現とおっしゃいますが、
            「白眼視する、白い目で見る、白痴」などはどうでしょう。
            白を悪く言うなとトランプが怒ってくるとは思えない。
            でもこういう表現ってありふれています。
            川上未映子さんと檜原さんの意見を合わせると
            とても息苦しい社会になると思います。
            「表現狩り」さんたちって黒ビールが嫌いと言っても
            「差別」って言いだしそうで。

            フレスコ画の天使はなぜ白人ばっかりなんだとお怒りだから
            今度は黒い肌でチリ毛の天使を出したら差別だって言い出しかねない。
            檜原さんがそうだとは思わないけども。

            >ヘイトスピーチ(差別煽動・憎悪煽動)問題でも、
            苦しむ被害者の存在は頭の片隅にもないようで、権力の規制問題にすり替える。

            いやいや権力の規制問題って・・
            そこを一番、注視しなきゃいけないんじゃないですか? 
            護憲派という人ならば。
            カウンター団体ってある意味、正しいと思っています。
            警察や法に依存しないでヘイト団体を実力行使で阻止するというのは
            本来の左翼活動として実に正しい!
            ところが普段、反体制を訴えながら、ヘイトスピーチ問題になるとなぜか体制に
            依存しておられる。情けないことです。そこまで問題意識をお持ちならば、
            檜原さんもヘルメットと角材もって桜本か鶴橋あたりに行くことをオススメします。

            ただね一点、檜原さんがえらいところがあります。
            自分が行った黒人の差別体験を自身のシャネルズの真似にしたこと。

            文化人、作家の類がよくやるのが人権講演会で話すときに
            たいしたエピソードがないものだから
            「私の親は在日を差別した」「父は部落を嫌っていた」
            と身内に転嫁すること。

            まあ真偽はわかりませんが、おそらく町内会とか地域の対立を
            無理やり在日や部落を持ち出して味付けなさったとみています。
            なんでわかるかって言えば話が薄っぺらいから。
            あるいは既存の文献や機関誌を読んで我がことのようにお話になる方もおられる。
            ハイ、それヒューマンライツで読んだよ、
            朝鮮新報に書いてあったねって事態はよくあります。

            なのに檜原さんは他者に転嫁しないで、
            自身の身に置き換えて考えたのは人権紅衛兵の一員としてご立派です。
            見上げたものです。

            ところがここ結構大事なところだと思います。
            なぜ人権SSや表現狩りさんたちは反発を受けるのか。
            「当事者意識」がまるでないんですよ。

            二言目には「日本人は云々」とおっしゃる。
            じゃあアンタ何人なのさ、と。
            自分だけは美しき「地球市民」かのように振る舞っている。
            まあそんな人には「日本人差別主義者」とお返ししたいけども。

            アナタも今後、この手の活動を続けるならば、当事者意識
            を大切にされた方がいいと思いますよ。老婆心ながら。

  3. 檜原転石

     差別語「ブラック」使用者を批判すれば、反発があるのは当たり前ですね。だけど、批判されても反論する人がほとんどいない現状をどう説明しますか?まああなたはこうやって反論しているので、稀少例の1つなのですが・・・。

     ただあなたは差別扇動者でもあるので、たとえ差別語を使ったとしても気にしない可能性が高い。ましてや労働運動が率先して使う差別語「ブラック」なら、仲間は多いし、まったく気にする必要さえない、という気楽な立場でもある。だから反論ができる。

     だけど河添誠や荻上チキなどは、矛盾を抱えているからさすがに反論しにくい。だって日本にも肌の濃い人は少数派ながらかなりいる。・・・

    >「白眼視する、白い目で見る、白痴」などはどうでしょう。

     「白痴」は差別語ですから、ここでは「白眼視」を取り上げてもいいですが、「白眼」の対義語が「青眼」で、これって故事成語。「白い目で見る」はそのままで、真正面から見なければ、白目が目立つから。また「目の黒いうち」とかもありますが、生きている間の意味。こういうのって、別にどうでもいいのです。使いたい人が使えばいい。
      
     例えば黒の意義で、囲碁・連珠も黒が先手で白が後手とか言って、黒がプラスイメージだと言ってもいいし、素人・玄人とか持ち出してもいいが、逆の例だって持ち出すこともできる。要するに日本の昔は「白→善、黒→悪」などという明確に区別しての美意識などなく、色の価値づけにも混在があった。 

    ★素人(スーパー大辞林3.0より)
    〔「しろと」とも。「白人(しろひと)の転〕
    ①ある物事に経験の少ない人。また、そのことを職業・専門としない人。しらびと。対義語:玄人(くろうと)
    ②・・・

     だがしかし、、明治以降の脱亜入欧、及び白人英語の流入で、美意識が大きく変動し始めた。警察用語の「クロ」とか、戦後の松本清張などが書名に多用した「黒」などは、多分白人英語のblackに影響を受けている可能性がある。

    ▼「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する
    「英語」の悪しき含意から身を解き放とう
    杉田聡
    2017年02月14日
    http://webronza.asahi.com/authors/2016103100009.html

    ・・・

    参考までに、前田勇編『江戸語の辞典』(講談社学術文庫)に記された、江戸期の「黒い」と「白い」の意味をあげておく。

    黒い:
     「(1)良い。すぐれている。うまい。」
     「(2)玄人である。練達者である。」
     「(3)玄人らしい。玄人めかす。『くろっぽい』に同じ。」

    白い:
     「(1)……黒いの第一位に対して、第二位。」
     「(2)悪い。未熟。上手を黒いというの対。」
     「(3)露骨である。」

    ・・・

     なお以上は、伝統的な日本語において黒が悪い意味をこめて、また白が良い意味をこめて用いられる例はないと言っているのではない。もちろん逆の例はある。時に黒は闇・穢れ・不吉を、白は清浄・無垢・吉兆を表す。つまり黒も白も、多かれ少なかれ両義的な意味を含んで用いられてきた。私が言いたいのは、「英語」に見るような圧倒的に黒を邪悪視する視線は、日本語にはなかったということである。

    >川上未映子さんと檜原さんの意見を合わせると とても息苦しい社会になると思います。
    「表現狩り」さんたちって黒ビールが嫌いと言っても「差別」って言いだしそうで。
     
     「黒ビールが嫌い」と言う人に、「差別表現だ!」と騒ぐ愚者などどこにもいません。
     
     問題の本質は、差別語「ブラック」使用者が黒・ブラックにあらゆる悪を詰め込みながらも、自らは、ブラックコーヒーを飲み、ブラックラーメンを食べるかもしれないし、日常的に黒い衣装を身につけていることです。この矛盾とどう折り合いをつけているのか?まあ私には思考の曲芸師にはついてはいけないということですね。

    「ことばは人間が作ったものだから人間が変えられる(田中克彦)」のだから、あなたの言っていることは的外れです。「白→善、黒→悪」という白人の美意識をアジア人が持っていること自体が愚劣の極みなのであり、今頃になって労働運動までもが、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動を忘却して、白人の美意識に完全に従属して差別語「ブラック」を大合唱していることが恥なのです。

     日本ではいまだに「黄色人種」とか「モンゴロイド」とかいう表記も散見されますが、人種分類というお粗末な非科学を早く卒業しないと世界から笑われますよ。あなたの先祖をたどっていけば、当然皮膚の色の濃い人にたどり着くわけだから、あなたが差別語「ブラック」を使うことは、ある意味「先祖殺し」でもありますね。まあ50年前の「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動をあっさり忘れる人たちに、人類の歴史を持ちだしても無駄でしょうけど・・・。

アフリカ人の奴隷化 異教徒から皮膚の色へ


 日本におけるここ数十年の右傾化の波は、ヘイトスピーチ(差別煽動・憎悪煽動)までもが街頭で堂々とまかり通るまでに社会を退歩させたが、私の周りの人の日常会話にまで人種主義の気配が色濃く感じられるようになってしまい、ここには書けない事例も含めて、実感を込めてここに書けば、本当にこの社会はかなりヤバくなっている。


  私たち市民が「分断されて統治」されたがっているとは思えないが、何かの拍子にきっかけさえ与えられれば容易に権力者に追従してしまう心根は誰にも用意されている可能性は否定できない。何しろ権力者は自らより下位の者をたいがい用意してくれるので、一時でも優越感に浸れるわけで、それが随分気持が良いのだろう。そうだとすると「人間は平等」という真理、この人類の叡智もかなり危ういものになるが、さらにはこの社会には王・天皇の存在もあるから、「人間は平等」という真理を社会の隅々まで普遍化させることがかなり難しいものになっている。


 というわけで、多様性を備えた色々な市民の「平和共存」も、権力者の策略であっという間に崩壊する歴史を知っておくことは重要である。「分断して統治せよ!」の典型例である米国の奴隷制度であるが、分断前の社会では多様性を備えた色々な市民は「平和共存」していたからこそ、「ベイコンの反乱」にも見られるように、多数の貧民は団結して貪欲な入植者と戦った。これについてオードリー・スメドリーが下記引用論文の最後に述べている──「・・・我々には、他の選択肢や他の方法が取りえたのかどうか確かなことはわからない。しかし、アメリカ植民地の指導者たちがアフリカ系の人々に永続的な隷属を強いようと決める以前の、黒人、白人、インディアンの一部までもが、その階級社会のあらゆる層で一緒に折り合って暮らしていたように見える17世紀の40ないし50年という短い期間は、人種の存在しない社会が発展する可能性があったことを示唆するものである。その可能性の扉は、長く閉じられたままである。」


 現状の米国を見れば、「分断して統治せよ!」の奴隷制度とジム・クロウ制度(人種隔離制度)の恐るべき効果に慄然とする。


 さて、ここでは拡散しつつある話題をこの記事の題名に即して、奴隷と非奴隷の分割の基準が当初は異教徒に重きが置かれ、次第に基準が皮膚の色へと変化する過程を確認しておきたい。


追記:太田昌国は30年ぐらい前から、ちらほら出始めた劣化言論を注視していた稀有の知識人だから、「この種の言論の浸透力を侮った報いを、私たちはいま引き受けている」と書けるかもしれない。しかし「何でこうなった?」への答えはあるのか、ないのか。「浸透力を侮った」せいばかりではないだろう。・・・



★竹沢泰子・編著『人種概念の普遍性を問う 西洋的パラダイムを超えて』人文書院、2005年


北米における人種イデオロギー

オードリー・スメドリー(山下淑美訳)


頁167──


 その後、1690年以降になると、ヴァージニア植民地の指導者たちは、労働力の問題と極貧層に対する不安を一挙に解決するための策略を慎重に練り上げた。彼らは貧民層をいくつかの身分に分け、ある者には特権や富を得る道を与え、他の者は永久奴隷の身分に落とした。1つの明確な分割ポイントは、皮膚の色を中心とする身体上の差異と出自を指針としたものであったが、アフリカ人の奴隷化を推進するためにもっともよく持ち出された説明は、むしろ、彼らが異教徒であるということであった。しかし、ウィンスロップ・ジョーダンは、18世紀の初めには身体的特徴がより注目されるようになってきたと指摘する。つまり、さまざまな身体的特徴、特に皮膚の色が、自由・非自由といった身分と意識的かつ独断的に結びつけられるようになったのである。すべてのヨーロッパ人は、キリスト教徒であるために、同一集団とみなされ、特権的な「白人」のカテゴリーへとまとめられ、非白人の権利と特権は、数多くの法律によって徐々に縮小、あるいは完全に削除されていった。


太田昌国のみたび夢は夜ひらく[92]願わくば子供は愚鈍に生まれかし。さすれば宰相の誉を得ん

http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=768

 

・・・

かくして、今年一年を通じて、明治維新150周年の解釈をめぐる歴史論争が展開されよう。ここ数年来、産経新聞はこの種の論争に敢えて「歴史戦」と名づけたキャンペーンを繰り広げている。『諸君!』『正論』などの右翼誌には1980年代後半以降とみに劣化した言論が載るようになったが、30年近くを経てみれば、その水準の言論が社会全体を覆い尽くすようになった。偽り、ごまかし、居直りに満ちたこの種の言論の浸透力を侮った報いを、私たちはいま引き受けている。「愚鈍な」宰相の言葉とて、甘く見るわけにはいかない。

(1月7日記)

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