トンデモ和製英語「ブラック」は単独で流通し始めた! 「どっちが“ブラック”? 」などと・・・

 中学英語程度でもブラック=黒人ぐらいは習うと思うが、この国のメディア(ミーディア)は初歩の英語を忘れたのか、あるいは白人英語への隷属で精神の名誉白人化が進行したのか?



レプロと幸福の科学、どっちが“ブラック”? 幸福の科学では勝手に退会できない制度が…清水富美加は大丈夫か

http://lite-ra.com/2017/02/post-2934.html

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トンデモ和製英語「ブラック」使用について~川添誠の場合~ 



カナダでの批判に納得しながら、日本低国内ではトンデモ語を使えると判断する理由は何なのだろうか?色に関しての非科学的偏見に執着しているためか?警察用語の「クロ」になれすぎたためか? 国内に黒人が少ないためか?多数の使用者共犯者がいるためか?

米国の人種戦争としての麻薬撲滅運動と日本低国のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫

米国の人種戦争としての麻薬撲滅運動と日本低国のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/417.html
投稿者 けたぐれ后王 日時 2013 年 9 月 30 日 07:58:23: UvPT7J.Q47XFw
 

 







 米国の刑務所産業の隆盛と麻薬撲滅の名を借りた人種戦争、そして日本低国のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫、わたしたちは全くくそったれの世の中に住んでいる。

 搾取企業、無法企業、悪徳企業などと戦うのはおおむね連合などの大手の労働組合ではなく小さい労働組合である。よって労働法を守れ!というのは良識派(新聞赤旗が好例)なのであり、その種の人間が「ブラック」に悪意を込めて、「ブラック追放」などとわめき散らすわけだ。ここで大事なのは、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動など知らない馬鹿でも日本では良識派として通用するということだ。米国では未だに「ブラック追放」が継続していて、それが刑務所産業隆盛と連動しているのであるから、日本低国のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫はある意味犯罪である。

 「幸せな奴隷」(支配言語である英語に支配されていると気づかない人間)もこの「井の中の蛙状態」になると、精神の名誉白人化にいきつくだけで、搾取企業との戦いに勝利したとしても所詮それだけで終わりである。もっと簡単に言えば、馬鹿な言葉を使っていては、「万国の労働者よ、団結せよ!」なんて、絶対言えないのだ。




▼【動画】新たなジムクロウ 大量投獄に見る隠された人種差別
http://democracynow.jp/video/20100311-3

▼“アメリカン・ゲットー” 麻薬戦争と差別の連鎖 前編

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/130722.html

友人の黒人女性ナニーの家族がドラッグによって崩壊していることを知り、麻薬問題の取材を開始したヤレッキ監督。全米で麻薬犯罪の取締りに携わる警官、連邦裁判事、受刑囚、ジャーナリストなどを取材するうちに、麻薬撲滅政策が黒人社会に壊滅的な被害をもたらしていることが明らかになる。

アメリカでは、白人の麻薬使用者の数が黒人を大きく上回るにもかかわらず、麻薬関連の逮捕の8割以上を黒人が占めている。その理由は、警察が黒人が住む地域を取締りの標的にしているからだ。前科があると就職できないため、再犯を重ねるケースも多い。
また、レーガン政権時代に成立した厳格な麻薬取締法では、黒人の使用が多いとされる固形コカイン「クラック」に対して、粉末コカインの100倍の懲役年数が課せられる。こうした理由から、黒人の家庭では父親や息子が長期間不在になり、残された家族は精神的にも経済的にも被害を受ける。そして、貧困のサイクルから抜け出せないゲットーの子どもたちは、唯一の選択肢として麻薬取り引きを始めてしまう・・・。
1970年代にニクソン大統領が始めた“アメリカ社会最大の敵”麻薬との戦争は、これまで拡大の一途をたどってきた。しかし、数十年間で膨大な予算をつぎ込み大量の黒人を刑務所に収監してきたにもかかわらず、アメリカ全体で麻薬の使用は減っていない。
2回シリーズの前編は、黒人を標的にした麻薬取締りと、大量投獄を可能にするゆがんだ司法制度を浮き彫りにする。

▼“アメリカン・ゲットー” 麻薬戦争と差別の連鎖 後編

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/130723.html

友人の黒人女性ナニーの家族がドラッグによって崩壊していることを知り、麻薬問題の取材を開始したヤレッキ監督。全米で麻薬犯罪の取締りに携わる警官、連邦裁判事、受刑囚、ジャーナリストなどを取材するうちに、麻薬撲滅政策が黒人社会に壊滅的な被害をもたらしていることが明らかになる。

黒人をターゲットにした麻薬犯罪の取締り強化と長期の懲役刑を強いる法の制度が大量投獄システムを作り出したことを背景に、現在アメリカの受刑者総数は220万人。セキュリティシステム、スタンガンメーカー、民間刑務所経営会社などを含む“刑務所産業”は急成長を遂げた。
ゲットーの住民たちが何世代も続く負のサイクルに苦しむ一方で、麻薬戦争の被害は、白人社会の底辺にいる人々にも到達し始めている。
麻薬戦争に終止符を打ち、差別と貧困の連鎖を断ち切ることはできるのか。
2回シリーズの後編は、麻薬戦争はホロコーストと同じ特定の人々を社会から排除し、追いつめる連鎖によって今や間接的に人々を死に至らしめていると指摘する。また、麻薬戦争の被害者たちに寄り添い、法改正を求めて制度と闘う人々を紹介する。

今野晴貴  「ブラック企業」は人種差別か?


▼「ブラック企業」は人種差別か?


今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。


2014/9/3(水) 18:56

http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20140903-00038815/?


「ブラック企業」は人種差別だという意見がネットをにぎわせている。昨年流行語大賞トップ10を受賞するなど、私はこの言葉の普及に深くかかわった経緯がある。こうした意見について、経過や事実関係を踏まえて、私なりの見解を述べたいと思う。

そもそも「ブラック企業」とは?

「ブラック企業」という言葉は、もともとネット上のスラング(悪口)であり、2000年代後半に、ネットユーザーが会社の劣悪な労働条件を非難するために使い始めた言葉である 。しかし、当時は定義が判然とせず、なぜこの言葉が世の中に広がったのか、誰にも理解されていなかった。

私は2006年からNPO法人POSSEを運営し、これまで数千件の若者からの労働相談に関わってきた。その経験から、この「ブラック企業」という言葉の背景には、「正社員雇用」の劣化があると直感的に理解した。当時、新卒正社員から「長時間労働で鬱病になった」とか「パワーハラスメントで退職に追い込まれる」といった事案が殺到していたからだ。

せっかく正社員になっても働き続けることができず、使い潰されて身体を壊し、キャリアを台無しにしてしまう。これは大変恐ろしいことである。だから、就職活動をする大学生の間でも「ブラック企業」という言葉が広がっていった。

なぜ「ネットスラング」だったのか

このように、「ブラック企業」とは正社員雇用の劣化を批判する言葉である。では、なぜそれが「ブラック」というネットスラングとして現れたのだろうか。

2000年代後半当時、世間では辞めてしまう若者に対し、むしろ「人間力が低くなった」、「やる気がないから離職率が高い」などとばかり言われていた。政府も対策を取らず、研究者も深刻にとらえていなかった。文科省は「厳しさを教えろ」とばかり声高に叫んでいた。

あるいは、パワハラの労働相談の増加は「若者の捉え方が変わったからだ(NHK)」という分析がされたり、鬱病の増加は「新型うつ(仮病)」の広がりが原因であると説明されていた。

だから、当事者たちはネットに「悪口」を書くしかなかったのである。こうした経緯が、本当は「正社員雇用の変化」として説明されるべき事実が、「ブラック」というスラングで表現されてしまった理由である。そこには人種差別があったのではなく、専門家の怠慢、行政の怠慢があったのであり、「ブラック」という言葉でしかこの問題が表現されなかったのは、不幸だというべきなのかもしれない。

私が2012年に執筆した『ブラック企業』(文春新書)は、この言葉の「発生の背景」を明らかにすることで、「ネット上の都市伝説」から、「ブラック企業」を労働問題・社会問題とした。2013年には流行語大賞トップ10を受賞した理由は、「この言葉の意味」、「社会的な背景」を明らかにしたからである。

現実に広がった「ブラック企業」という言葉の背景を分析し、問題提起をし続けることは、今なお研究者としてすべき価値のある仕事であると思う。

「ブラック企業」という言葉を使うべきか?

厚労省も現在では私の定義を受け入れ、「若者の「使い捨て」が疑われる企業」と表現している。「黒人差別」であるかどうかは別として、行政が「ブラック」というスラングをそのまま使うことは明らかに不適切だ。行政用語としては「若者の「使い捨て」が疑われる企業」というのは適切である。

また、海外での受け止められ方には特に注意が必要だ。日本とは異なる文化的文脈があるからだ。確かに、米国の方が「ブラック企業」と聞けば、黒人差別を想起する可能性がある(ただし、それはあくまで米国での話で、日本での話ではない)。

今後外国語に翻訳する場合は“dark business” と意訳するとか、 “black kigyou” とそのまま表記するのが適切であろう。私も国際学会や翻訳などの際に表記にいつも困っているが、試行錯誤しているところである。

一方、一般の人が日本で「ブラック企業」という言葉を使うことに、それほど過剰反応する必要があるのかには、強い疑問を持つ。もちろん、他の言葉でこの問題を論じられるようになる方が望ましいだろうが、すぐには難しい。それにエネルギーを費やすよりも、この気運を逃さずに「ブラック企業」による長時間労働、過労死・過労自殺を止めることの方がよっぽど大切であると思う。

「黒人差別だ」という批判の問題点

さらに続けよう。私は、「黒人差別だから使うな」という主張に強い違和感を覚える。

過労死、過労自殺、長時間に苦しむ労働者に、「言葉が適切ではない」という批判をする前に、やるべきことがあるのではないか? と思うからだ。端的にいって、この批判者は「どの立場」から、「何を目的」としてこういうことを言っているのだろう?

こういう「言葉の上での批評」は、社会学や社会思想において痛烈に批判されている(それはしばしば「知識人」の傲慢さの帰結であると捉えられる)。

例えば、「妻」という言葉がある。この言葉は、女性差別的な近代家族制度に深く組み込まれているために、社会学者や人権運動家の多くは、あえて使わない。「パートナー」とか「連れ合い」と言い換えるのが習わしだ。私自身、「妻」とか「家内」という言葉は普段使わない。

だが、こうした「言葉」に専門家がこだわるのは当然としても、一般人社会にとっての優先順位は低くて然るべきだ。非正規雇用で差別され、家庭内でDVを受ける女性にとっては、「言葉」の批評どころではない。もしみんなが「妻」を使わなくなったとしても、セクハラや女性労働者への差別がなくなるわけではない。むしろ「言葉」ばかりが争点になれば、現実の差別構造を軽視することにもつながりかねない。

だから、「言葉の批判」ばかりを繰り返す人は、本当は差別をなくすことに興味を持っていないのではないか、と学問的にも疑問が投げかけられてきたのである。

もちろんだからといって、「言葉」への批判がまったく無意味だというわけではない。現実の改善と結びつく「言葉の批判」はむしろ極めて有意義である。

だから、「言葉」への批判が現実の社会批判、社会を改善する取り組みに接合する方法をこそ、考えるべきなのだ。そして、これは意外と難しい作業なのである。

 杉田聡   「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する   

「ブラック企業」という言葉は「黒人」を差別する

「英語」の悪しき含意から身を解き放とう

杉田聡


2017年02月14日


http://webronza.asahi.com/authors/2016103100009.html










 報道によると、昨年(2016年)成立した「ヘイトスピーチ対策法」を受けて、法務省が「ヘイトスピーチ」と見なしうる具体的な言動の具体例をまとめたという。

 この10年ほど、とくに在日コリアンを標的とし、相手を絶望の淵に追いこみ時に死に追いやるほどのあまりに激しいヘイトスピーチが幅を利かせた後だけに、目配りは細部にわたっていると評価できるが、私は最も重要な配慮の一つがなおざりにされていると判断する。

 それは、「黒人」に対するヘイトスピーチである。いま、日本には100万人を超える外国人労働者が働いている。その中には、肌の濃い人=「黒人」も少なくない。彼らに対するとても隠微なヘイトスピーチが、それと理解されずにまかりとおっている現実を、私はおそれる。

 本稿は、日本における「人種差別」「黒人差別」を主題とするが、「人種」はそれ自体存在するのではなく、「人種差別」によって作られると私は理解する。それゆえここでは、人種概念の「黒人」を用いる場合、常に「 」に入れる。また以下「英語」に言及するが、この日本語は英語についての本質を誤らせる。本多勝一・元朝日新聞記者のように「イギリス語」と書きたいが、一般になじみがないため、「 」を付して「英語」と表記することにする。

「英語」に見る「黒人」に対するすさまじい差別




ブラック企業
拡大「ブラック企業」という言葉は社会にすっかり定着したが……
 さて、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、「ブラッキー」という言葉が、近年頻繁に使われるようになった。当初は「 」つきでこれらを使っていた各種新聞も、最近ではすでに日本語として定着したと見てか、「 」なしで表記している例に出会うこともある。

 私はこれらの言葉を使って、従業員に過酷な労働環境・低賃金・過重労働等を強い法令を無視する反社会的な企業を告発しようとした運動家・理論家の善意を、いささかも疑うものではない。しかし、そうした企業を指す言葉が、なぜ「ブラック」なのか。

 19世紀における「大英帝国」の繁栄(=アジア・アフリカ諸国の収奪)、第一次・第二次大戦を通じてのアメリカ合州国の影響力の増大等を通じて、いまや「英語」は、国際語と言われるほどの地位に上った。だが「英語」は、国際語としては完全に失格である。激しい「人種差別」「性差別」を内包しているからである。

 後者については、後日日本語の問題を含めて論じるつもりだが、前者についてここで強調しなければならない。

 不法企業について「ブラック」と形容する場合、それは「英語」におけるblackの意味が多分にこめられている。ちょうど、「ブラックリスト」や「ブラックユーモア」と同じようにである。「英和辞典」等を見ればわかるが、「英語」において、whiteが圧倒的によい意味を持つのに対して、blackにはほとんどあらゆる悪しき意味がこめられている。

 例えば小学館『ランダムハウス英和大辞典』をひもとくと、whiteおよびblackの意味は次のようである(以下はその意味のごく一部にすぎない)。

white:
「正直な・公正な」
「縁起のよい」
「よごれのない」
「罪(けがれ)のない・清潔な・潔白な」
「悪意のない・害のない」

black:
「よごれた・きたない」
「真っ暗の・闇の」
「陰気な」
「不吉な・険悪な」
「故意の・たくらんだ」
「腹黒い・よこしまな」
「荒廃地の」
「非難されるべき・不名誉な」
「不正な・闇値の」

日本語には黒に対する差別はない

 「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉を用いているのは日本人だが、なぜ日本人が、以上のような差別的な含意に富む「英語」の意味を、あえて日本語にこめる必要があるのだろう。

 もともと、日本語では、黒白に「英語」のような差別的な意味(白の圧倒的な優位・黒の圧倒的な劣位)はなかった。それどころか日本語ではむしろ黒は良い意味を、白は悪い意味をもたされることが多い。

 『広辞苑』によれば、白は、
 「(1)太陽の光線をあらゆる波長にわたって一様に反射することによって見える色。雪のような色。」
 「(2)囲碁で、白石の略。また白石を打つ方。後手。」
 「(3)犯罪容疑が晴れること。また、その状態。転じて、無罪。潔白。」
 「(4)『しろがね(銀)』の略」

 黒は、
 「(1)色の名。墨のような色。」
 「(2)囲碁で、黒石の略。また、黒石を持つ方。先手。」
 「(3)犯罪容疑者が犯罪の事実ありと判定されること。また、その人。」
 の意である。

 ただし、この説明は大ざっぱすぎるし、記述にバランスを欠いている。いずれも(3)は明治以降に(おそらく「英語」を通して)入ってきた意味であって、むしろ例外的である。

 (2)として囲碁の例があがっているが、囲碁で白は「後手」を、つまり不利な立場を意味する。一方黒は「先手」を、したがって有利な立場を意味する。柔道では白帯と比べて黒帯は有段者を表すし、「黒光り」「黒髪」「玄人(くろうと)」と、「白々しい」「白ける」「白を切る」「素人(しろうと)」等に見られる対比も、明瞭である(ちなみに「玄」は黒い色を、「素」は白い色を意味する。だからかつて日本語で「白人」「黒人」と記せば、しろうと・くろうとを意味した)。

 参考までに、前田勇編『江戸語の辞典』(講談社学術文庫)に記された、江戸期の「黒い」と「白い」の意味をあげておく。

黒い:
 「(1)良い。すぐれている。うまい。」
 「(2)玄人である。練達者である。」
 「(3)玄人らしい。玄人めかす。『くろっぽい』に同じ。」

白い:
 「(1)……黒いの第一位に対して、第二位。」
 「(2)悪い。未熟。上手を黒いというの対。」
 「(3)露骨である。」

 確かに日本語でも、背後に隠れて力を有する者を「黒幕」と呼ぶなど、黒を悪しき意味で使う場合もある。だがこれは歌舞伎由来の言葉であって、もともと単に歌舞伎舞台に見る、余計な部分を隠す黒い幕の陰にいる人、という意味にすぎない。

 喪服の色は今日黒であって、その限り黒は不吉な意味をもたされているが、だが日本では喪服は、欧米の習慣を明治政府が取り入れる明治中期までは、長きにわたって白(白装束)であった。ちなみに、この点は中国や朝鮮でも同じである。

 なお以上は、伝統的な日本語において黒が悪い意味をこめて、また白が良い意味をこめて用いられる例はないと言っているのではない。もちろん逆の例はある。時に黒は闇・穢れ・不吉を、白は清浄・無垢・吉兆を表す。つまり黒も白も、多かれ少なかれ両義的な意味を含んで用いられてきた。私が言いたいのは、「英語」に見るような圧倒的に黒を邪悪視する視線は、日本語にはなかったということである。

「黄色人」差別を想像してほしい

 さて、そうした伝統下にあり、本来黒白が「英語」のような非常に差別的な意味をもたない母語を使う日本人が、なぜあえて、「英語」の非常にゆがんだ言葉を、日本語のうちに導入するのであろう。

 私は「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉を使う人の鈍感さに、辟易する。運動家や理論家の、あくどい企業を告発したいという真摯な志は理解するが、もっとまともな言葉を、つまり人を差別しない言葉を使って、事態を表現できないものなのか。

 以上の疑念を大げさと感ずる人がいたら、どうか自身が「有色人」差別(黄禍論)の根強いアメリカ等の地域に行き、そこではつねづねアジア人その他が「黄色人」(Yellow)と呼ばれている場面を想像してもらいたい。

 実際には私たちはJapaneseと呼ばれ、あるいはかつて漱石がイギリスで経験したように誤ってChineseと呼ばれるか、あるいはより一般的にAsianと呼ばれる可能性が高く、「黒人」の場合と比べて「黄色人」と十把ひとからげに呼ばれる機会は少ないとしても、常々そう呼ばれる傾向が高いと想像してもらいたいのである。

 そして、「英語」においてwhiteが前記のような圧倒的に良い意味をもつのに対して、yellowが、blackほどではないとしても、やはりそれに匹敵するような悪しき意味を付与されている事実があることを、想ってもらいたい。

 yellowは「英語」では、

 「((しばしば軽蔑的に))(黒人との混血白人のように)黄色みを帯びた」
 「(顔色が)病的に黄ばんだ」
 「土色の、臆病な、腰抜けの」
 「(新聞記事などが)扇情的な、俗受けする」
 「(扇情的にするために)事実を曲げた、嫉妬深い」

 といった意味をもっている(小学館『ランダムハウス英和大辞典』)。そうした言葉がアジア人その他の目の前で陰に陽に用いられたとき、それを差別的なヘイトスピーチとして恐れない人がいるだろうか。

 日本で働きあるいは学ぶ――さらには日本を観光として訪れる人まで含めて――、肌の濃い人は、日本でも「ブラック」という言葉が、いま非常に忌み嫌われる言葉として使われている事実を、どう感じるだろうか。彼らは、私たちがyellowと呼ばれる以上に、長きにわたってBlack(Black以上に差別的なNegro,Niggerも語源的には同じく黒を意味する)と呼ばれ続けてきたのである。

「ブラック」をヘイトスピーチと解して避けよう

 私はいま、法務省が「ヘイトスピーチ」の具体例についての案を提示したのを機に、私たち自身のうちに、「英語」風の差別意識が入り込んでいないかどうかを、顧みてみるよう提案したい。そして、「ブラック企業」、「ブラックバイト」、「ブラッキー」のような、人を殺す凶器にもなりうる言葉を避ける勇気と賢明さをもとう、と。

 「パレスチナ解放機構」(PLO)のかつてのアラファト議長は、「私たちの解放運動が成功裏に終わることを望む。だが、だからといってその結果、差別・迫害に苦しむ人を生み出すことになっては、運動の価値がない」、という趣旨のことを語ったことがある。

 前記のように、反社会的な企業を告発する運動家・理論家の善意を私は少しも疑わないが、仮に「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉のおかげでその改善の努力が実ったとしても、そのためにかえって、肌の濃い人を差別においやることになっては意味がない、と私は言いたいのである。
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