小説家フィリップ・ロスによれば、アメリカのユダヤ人が受け継ぐものは──Jews are better(ユダヤ人は優れている)

 以下、▼土地泥棒・人種主義者の一方的な集団殺戮を戦争とは呼べないだろう。

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39208003.html


より──

 

 イスラエルの大量殺戮(ホロコースト)利用の実態をトム・セゲブの本で紹介します。以前、ノーマン・G・フィンケルスタインの記述でイスラエルのホロコースト利用の実態を書きましたが、それ以前にトム・セゲブの本を読んでいて、フィンケルスタインの主張がすんなり理解できたわけです。この本は、イスラエル内部の意識の変遷を知るための格好の書です。

★トム・セゲブ『エルヴィス・イン・エルサレム』(脇浜義明・訳、つげ書房新社)より―─。

 ・・・
 イスラエル人が自分とホロコースト犠牲者を結びつける認識は、時とともに強くなっていった。1967年、6日間戦争前夜、イスラエル人たちは、アラブによるイスラエル人「エクスターミネイト」(駆除)の危険が差し迫っているという言い方をしていた。新聞は、アラブがイスラエルを征服するかもしれないとか、イスラエル人を皆殺しにするかもしれないという書き方をしなかった。新聞が使用した言葉は、かつてのナチスのジェノサイドを報道したときに使ったのと同じ言葉―─「エクスターミネイト」であった。それは第二のホロコーストの可能性を示唆したのだった。エジプトのガマル・アブゼル・ナセル大統領はアドルフ・ヒトラーに仕立てられた。・・・こうして、ヨーロッパ・ユダヤ人を弱虫と見下す風潮は変化し、ついにはすっかり姿を消してしまった。・・・

***

 欧米では「ユダヤ・ナチの蛮行」とか書けば、すぐさま反ユダヤ主義とかいって排斥されるそうだが、イスラエルではその逆で、ナセルをフセインを、ヒトラー呼ばわりだ。要するに、イスラエルがナチスと同じような事をしてもナチスに喩えることは厳禁だが、アラブ世界の場合は、その実態がたとえ大きく外れていようとそれを多用せよ!というわけです。これも又ホロコースト独占利用だ。これは歴史の被害者を過度に演出して、現実の土地泥棒や人種主義を正当化する手口である。

 ホロコーストの利用・・・、それまでは生存者が「なぜ助けなかった?」とシオニストを批判し、シオニスト側には羊のように従順に殺戮されたユダヤ人を恥じ、自分たちなら反乱を起こして戦うという主張があり、よって大量殺戮(ホロコースト)を扱うことはイスラエルでは避けられていた。ベン・グリオンは1954年のカストナー裁判や1959年のワディ・サリブ暴動で彼の党のイメージががた落ちだったため、アイヒマン裁判を利用したようだ。

 なお同書には、1990年代になると、ホロコースト授業は個々の人物、例えば、コルチャック先生やアンネに焦点を当てておこなうという指針書が教育省から全教師に配られた、という記述もある。何百万人という犠牲者数よりも、具体的な個人の悲劇に焦点をあて強い感情を喚起させる目的のようだ。

 欧米にあるタブーをぶち壊す為にも、ユダヤ・ナチの蛮行とかいう言葉も多用されなければならない。欧米が過度にイスラエルに荷担するのは、アジアへの蔑視もあるので、私たちが欧米のタブーなど全く気にする必要などない。




▼ノーマン・G・フィンケルスタイン『ホロコースト産業~同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(立木勝/訳、三交社)より

※頁42──

 しかしここで強調しておきたいのは、アメリカ・ユダヤのエリートたちにとって、ザ・ホロコーストがイスラエルと同じ機能を持っていたという点だ。すなわちこれも、大金を賭けたパワーゲームにおいて計り知れない価値を持つチップなのである。ホロコーストの記憶への懸念を公言することは、イスラエルの運命への懸念を公言することと同じくらい作為的なものだ。だからこそ組織されたアメリカ・ユダヤは、1985年に訪独したレーガンが親衛隊員も葬られているビットブルク墓地で、ここに葬られたドイツ兵たちは「強制収容所の犠牲者たちと同じようにナチの犠牲者である」と宣言したときにもこれを許し、忘れたのである。レーガンは1988年、有名なホロコースト研究所であるサイモン・ヴィーゼンタール・センターから、「イスラエルへの揺るぎない支持」を理由に、「1年でもっとも活躍した人道主義者」賞を受け、1994年には、親イスラエル団体であるADL(引用者注:名誉毀損防止同盟)から「自由のかがり火」賞を贈られている。
 しかし、それ以前の1979年にジェシー・ジャクソン師が口走った「ホロコーストの話はもううんざりだ」という言葉は、そう簡単には許されも忘れられもしなかった。しかしアメリカ・ユダヤのエリートたちがジャクソンへの攻撃を決して緩めなかった理由は、「反ユダヤ主義的発言」ではなく、むしろ「パレスティナ人への立場への支持」だった(セイモア・マーティンおよびアール・ラープの研究による)。・・・

※頁44──

★──イスラエルが資産になった途端にシオニストに生まれ変わったユダヤ人

 ホロコースト産業の源流はアメリカ国内にもある。主流派の解釈は、一方では最近登場してきた「アイデンティティー・ポリティクス」に、他方では「犠牲者化の文化」に向かっている。しかし事実上、どちらのアイデンティティーも、根拠としているのはある特定の抑圧の歴史であり、したがってユダヤ人は、自らの民族的アイデンティティーをホロコースに求めたことになる。
 しかし黒人、ラティーノ、ネイティヴ・アメリカン、女性、ゲイ、レズビアンも含めて、自分たちは犠牲者だという非難の声をあげるグループのうち、ユダヤ人だけは、アメリカ社会において不利な立場におかれていない。実際には、アイデンティティー・ポリティクスとザ・ホロコーストがアメリカのユダヤ人に根づいたのは、犠牲者としての彼らの立場が理由ではない。理由は、彼らが犠牲者ではなかったからだ。
 反ユダヤ主義の障壁は第2次世界大戦後、急速に崩れ去り、ユダヤ人は合衆国内の階層を上昇した。リプセットとラープによれば、現在(引用者注:2000年頃?)、ユダヤ人の年収は非ユダヤ人のほぼ2倍だ。もっとも富裕なアメリカ人40人のうち16人はユダヤ人だし、アメリカのノーベル賞受賞者(科学および経済分野)の40パーセント、主要大学教授の20パーセント、ニューヨークおよびワシントンの1流法律事務所の共同経営者の40パーセントもユダヤ人である(以下、リストは延々と続く)。ユダヤ人であることは、成功への障害になるどころか、その保証となっている。多くのユダヤ人は、イスラエルがお荷物だったときには距離をおき、資産になったら途端にシオニストに生まれ変わった。それとまったく同様に、彼らはユダヤの民族アイデンティティーが負担だったときにはこれを遠ざけておきながら、資産になったら急にユダヤ人に生まれ変わったのである。


※頁45──

 確かにアメリカ・ユダヤの世俗的成功の物語は、ユダヤ人として彼らが新たに獲得したアイデンティティーの中心にある教義の―─そしておそらくは唯一の教義の―─正しさを証明している。今、ユダヤ人が「選ばれし」民であることに異議が唱えられる者がいるだろうか。自身も生まれ変わったユダヤ人であるチャールズ・シルバーマンが著書『アメリカのユダヤ人 ある民族の肖像』で、「優越性という概念を少しでも避けていたら、ユダヤ人は人間以下の存在になっていただろう」「アメリカのユダヤ人にとって、優越性の感覚をすべて捨て去ることは、どれほど強く押さえ込もうとしても、途方もなく困難である」と滔々と語っているのはその典型だ。小説家フィリップ・ロスによれば、アメリカのユダヤ人が受け継ぐものは「律法でもなく、学習でもなく、言語でもなく、突き詰めていえば神ですらない・・・・・それはある種の哲学である。そしてその哲学は三語に要約される。すなわちJews are better(ユダヤ人は優れている)ということである」。後に見るように、ザ・ホロコーストは彼らの誇る世俗的成功の裏返しであり、ユダヤ人が選ばれた民であることの証明なのである。


※追記


★エリック・アザン『占領ノート~一ユダヤ人が見たパレスチナの生活』によれば、パレスチナのジェノサイドを否定する見解は、次のようなねじれた三段論法に基づいていたという。

.ユダヤ人は我々の土地を盗み、迫害をしている。
.ホロコーストがそれを道徳的に正当化している。
.したがってホロコーストは存在しない。


★シオニストにおいてホロコーストとは、世界中のいかなる者の上にもこのような悲劇が二度と起きてはならない、という普遍的教訓としてではなく、シオニズム国家を維持するためにイスラエルがパレスチナ人という他者に対して行使するあらゆる暴力を正当化するための資源として利用されている。(岡真理『アラブ、祈りとしての文学』みすず書房より)


★「聖書が土地台帳、神が不動産屋」(エイアル・シヴァン)


★それゆえ、生きのびたければ、殺して殺して殺しまくらねばならない。来る日も来る日も毎日だ。・・・・・・殺さなければ自分が死ぬ。・・・・・・一方的な分割は「和平」を保証しない。ユダヤ人が圧倒的多数を占めるシオニズム的ユダヤ国家を保証するのである。[ハイファ大学地理学教授アルノン・ソフェル エルサレム・ポスト紙、2004年5月10日](イラン・パペ『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』頁363より)


★小説家フィリップ・ロスによれば、アメリカのユダヤ人が受け継ぐものは「律法でもなく、学習でもなく、言語でもなく、突き詰めていえば神ですらない・・・・・それはある種の哲学である。そしてその哲学は三語に要約される。すなわちJews are better(ユダヤ人は優れている)ということである」。(ノーマン・G・フィンケルスタイン『ホロコースト産業~同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』頁45より)

スポンサーサイト

「ユダヤ人」はシオニズムによる発明

▼イスラエルで「建国根拠なし」本、ベストセラーに

2008年05月31日11時12分

http://s02.megalodon.jp/2008-0531-1415-15/www.asahi.com/international/update/0531/TKY200805310046.html


 【エルサレム=村上伸一】建国から今月60年を迎えたイスラエルで、建国の原動力である「シオニズム運動」の根拠を否定する著書がベストセラーとなっている。題名は「ユダヤ人はいつ、どうやって発明されたか」。

 
写真

シュロモ・サンド教授
 
 
 シオニズム運動は、古代に世界各地へ離散したユダヤ人の子孫が「祖先の地」に帰還するというもの。著者はユダヤ人でテルアビブ大学のシュロモ・サンド教授(61)=歴史学。3月にヘブライ語で出版され、アラビア語やロシア語、英語に訳される予定だ。

 著書では、今のユダヤ人の祖先は別の地域でユダヤ教に改宗した人々であり、古代ユダヤ人の子孫は実はパレスチナ人だ――との説が記されている。

 サンド教授は「ユダヤ人は民族や人種ではなく、宗教だけが共通点」と指摘。第2次世界大戦中に約600万のユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツが、ユダヤ人は民族や人種との誤解を広めたとする。

 そのため、イスラエル政府が標榜(ひょうぼう)する「ユダヤ人国家」には根拠がないと批判。「パレスチナ人を含むすべての市民に平等な権利を与える民主国家を目指すべきだ」というのが著者の最大の主張だ。

 シオニズム運動は欧州で迫害されたユダヤ人たちが19世紀末に起こし、「ユダヤ人国家の再建」を目指した。運動の根拠になったのは、ユダヤ人が紀元後2世紀までにローマ帝国に征服され、追放されたという「通説」だった。

 これに対し、教授は「追放を記録した信頼できる文献はない。19世紀にユダヤ人の歴史家たちが作った神話だった」との見解だ。パレスチナ人から土地を奪うことを正当化するために、「2千年の離散の苦しみ」という理由が必要だったという。

 教授によると、古代ユダヤ人は大部分が追放されずに農民として残り、キリスト教やイスラム教に改宗して今のパレスチナ人へと連なる。イスラエルの初代首相ベングリオンらが建国前に著した本の中で、パレスチナ人たちをユダヤ人の子孫と指摘していた。ユダヤ人の入植で対立が深まる中で、パレスチナ人を子孫とは言わなくなったという。

 教授は「新説ではなく、建国指導者らが知りながら黙ってきたことをはっきりさせたにすぎない」と語る。



[第18回]

「ユダヤ人」はシオニズムによる発明。
歴史の見方では妥協しません

『ユダヤ人の起源』 The Invention of the Jewish People

シュロモー・サンド Shlomo Sand 歴史家

 http://globe.asahi.com/author/100614/01_01.html


イスラエルはユダヤ人の国であると規定されている。ユダヤ人とは預言者モーセ(モーゼ)に率いられてエジプトを脱出し、約束の地カナンに戻ったユダヤの民の子孫であり、ローマ帝国に反乱して追放され、世界に離散した民だと信じられている。しかし、イスラエルの歴史家シュロモー・サンドさんは「ユダヤ人という民族は存在しない」という。

 

――過激な本ですね。

サンド いえ、政治的には過激ではありません。私は歴史分析によって「(現在の)ユダヤ人に聖書のユダヤの民とつながる起源はない」とユダヤ人というアイデンティティーを否定しました。その点では過激です。

ダビデの時代、王国は存在せず エルサレムは当時、小さな村

 

――聖書の記述は事実ではないと書かれていますね。

シュロモー・サンド氏=川上泰徳撮影


サンド イスラエルでは普通の学校で聖書の物語を宗教としてではなく、歴史として教えます。モーセの「出エジプト」は紀元前13世紀とされます。しかし、考古学の発掘の結果、そのころのカナンはエジプトの支配下にあったことが分かっています。「出エジプト」はなかったのです。私がそれを知ったのは12年前です。衝撃でした。

 考古学的発掘によってダビデやソロモンの時代とされる紀元前10世紀に、強大な王国が存在したという証拠は何ひとつ出ていない。エルサレムは小さな村に過ぎなかったことが分かっています。

――ユダヤ人の追放も否定しています。

サンド ユダヤ人はユダヤ人追放を誰もが事実として信じています。しかし、それを記した歴史書は一冊もないのです。ユダヤ考古学の研究者に質問しました。彼は「追放ではなく破壊に伴う移民だ」というのです。しかし、大量な難民が出たことを示す記述はないのです。本のなかで「追放の発明」として書きました。

(次ページへ続く)

シュロモー・サンド

テルアビブ大学歴史学教授。
1946年、オーストリアの難民キャンプで生まれる。
48年、2歳で両親とともにイスラエルに移住し、テルアビブ大学で歴史を専攻。
84年からテルアビブ大学で現代ヨーロッパ史を教える。
著書に「スクリーンに見る20世紀」「言葉と土地――イスラエルの知識人」。


――パレスチナ人はかつてユダヤの地にいた人々の子孫だと書かれていますね。

『ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』
シュロモー・サンド著、高橋 武智監訳
佐々木 康之・木村 高子訳
(武田ランダムハウスジャパン、2010年)
「The Invention of the Jewish People」
Shlomo Sand
=小杉豊和撮影


サンド シオニズム(19世紀以来のユダヤ人国家建設運動)の歴史家は7世紀のイスラムの征服でユダヤ人は追放されたと唱えます。しかし、アラブ人がエルサレムのユダヤの民を追放した証拠はありません。ユダヤの地にいた人々の多くは農民でした。農民は簡単には土地から離れません。アラブ人がエルサレムを占領し、彼らの宗教を受け入れれば税を免除しました。多くの農民が受け入れたでしょう。追放がなかったとすれば、ヨルダン川西岸にいるハマスの活動家のほうが、私よりも古代のユダヤの民の子孫である可能性はずっと高いのです。

――イスラエルのユダヤ人には受け入れられない主張でしょうね。

サンド パレスチナにいるアラブ人はかつてのユダヤの民の子孫ではないかと考えたのは、私が初めてではありません。初期のシオニズム運動の指導者たちも同じように考えていたのです。1948年のイスラエル独立で初代首相のベングリオンが若いころ、パレスチナのアラブ人はユダヤ人の血をつぐものたちだから、ともに国をつくることができる、と書いています。ところが彼は独立宣言ではイスラエルは追放されたユダヤ人の国と規定しました。アラブ人とともに国をつくるという考えは排除されたのです。

 

ロシアや東欧のユダヤ人は 改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫

――世界にいるユダヤ人についてはどうですか。

サンド かつてユダヤ教は積極的に布教する宗教でした。追放ではなく、改宗によって世界にユダヤ教徒が増えたのです。例えば、黒海とカスピ海の間にできたハザール王国は8世紀から9世紀にかけてユダヤ教を国の宗教としました。13世紀にモンゴルによって滅ぼされますが、ロシアや東欧に大勢のユダヤ教徒がいることは、改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫と考えることが自然です。

――歴史学だけでなく、聖書学、考古学まで幅広い領域を含んでいますね。執筆には、どれほど時間がかかりましたか。

サンド 1年半ほどです。毎日大学で教えて、毎日、図書館から30冊ほどの本を抱えて帰って、書き続けたのです。調べるほどに背中を押されるようにテーマは広がり、深まっていきました。

 私が何か新しいことを発見したわけではありません。すでにある材料を集めて、秩序立てて考えたのです。

――イスラエルで19週連続でベストセラーになったそうですね。

サンド 予想していませんでした。テレビやラジオ番組に次々と招かれ、新聞や雑誌でも好意的に取り上げられました。もちろん反発も強く、死を宣告するような手紙もあります。「ナチ」とか「反ユダヤ主義者」「国の敵」など様々に攻撃する電話もかかってきます。

――自身のアイデンティティーは?

サンド 若いころは左派で、反シオニズムの立場でした。しかし、いまは左派ではなく穏健派です。つまり、イスラエルの存在を認めるポスト・シオニズムの立場です。左派はパレスチナ難民のイスラエルへの帰還を認めて、ユダヤ人もパレスチナ人もひとつの国で共存するべきだと考えます。その考え方は道徳的には間違っているとは思いませんが、政治的にはイスラエルの存在を否定することになり、決して実現しないでしょう。私は歴史の見方では妥協しませんが、政治的には妥協したのです。

――イスラエルの将来を、どのように見ていますか。

サンド シオニズムはユダヤ人国家を正当化するために聖書につながる民族の起源として「ユダヤ人」を作り出しました。私はイスラエルの存在を、シオニズムのように過去によって正当化するのではなく、この国が民主国家に生まれ変わるという将来によって正当化するべきだという立場です。イスラエルはユダヤ人国家として存続することはできません。国民として生きるアラブ人にも平等の権利を与えねばなりません。

――パレスチナとの和平についてはどう思いますか。

サンド イスラエルはすべての入植地から撤退し、エルサレムをパレスチナと共通の首都にするべきです。オバマ大統領は、和平のアイデアを出しただけのクリントンではなく、イスラエルにシナイ半島からの撤退を求めたカーターのような大統領であってほしいと思っています。

(聞き手 中東駐在編集委員 川上泰徳)

一部紹介  イラン・パペ『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』

 魯迅の言葉──「墨で書かれた戯言は血で書かれた事実を隠しきれない。血債は必ず同一物で償還されねばならない。支払いが遅れれば遅れるほど延滞利子を付けて」、この前半部が嘘ではないかと思われるほどにシオニストの歴史捏造は巧妙だ。1948年にイスラエルが行なったパレスチナ人の追放(民族浄化)が世界で歴史的事実としてほとんど認知すらされていないという現実は驚くべきことだ。


★ それゆえ、生きのびたければ、殺して殺して殺しまくらねばならない。来る日も来る日も毎日だ。・・・・・・殺さなければ自分が死ぬ。・・・・・・一方的な分割は「和平」を保証しない。ユダヤ人が圧倒的多数を占めるシオニズム的ユダヤ国家を保証するのである。[ハイファ大学地理学教授アルノン・ソフェル エルサレム・ポスト紙、2004年5月10日](同書頁363より)


 大学教授がこんな露骨な発言をできる国はそうはないだろうが、さすがテロ国家イスラエル、人種主義と土地泥棒(「聖書が土地台帳、神が不動産屋」(エイアル・シヴァン))が国是の国であるから、さもありなんということか・・・・・・。

 

 

 

▼イラン・パペ『パレスチナの民族浄化 イスラエル建国の暴力』田浪亜央江・早尾貴紀=翻訳、法政大学出版局、2017年

頁1──

 「レッドハウス」は典型的なテルアビブの建物だ。1920年代にこれを建てたユダヤ人の大工や職人たちは、ここが地元の労働者協議会の本部に指定されたことを誇りにした。1947年以降は、ハガナーの司令部になった。ハガナーとは、パレスチナにおけるシオニストの中心的な地下軍事組織である。・・・

頁2──

 1948年3月10日水曜日の寒い午後、この建物で、古参のシオニスト指導者と若手のユダヤ人将校からなる11人の男たちが、パレスチナの民族浄化計画の最終調整を行った。その晩、国じゅうからパレスチナ人を組織的に追放する準備のため各地上部隊に命令が送られた。この指令には、人々を強制的に立ち退かせるためにとるべき手段の詳細な説明が添えられていた。大規模な威嚇。村々や住宅地の包囲と爆撃。家屋や資産、物資への放火。追放、破壊。そして最後に、追放した人々が誰も戻ってこられないよう、瓦礫のなかに地雷を敷設すること。各部隊は、担当する村や地区のリストを受け取った。ヘブライ語アルファベットの第4字をつけたD(ダレット)計画と暗号名で呼ばれた今回は、シオニストの指導者らがパレスチナとその住民に用意した運命を示してきたこれまでの計画の総仕上げであり、より実質的な第4次計画であった。ユダヤ民族運動は、多数のパレスチナ人がいる土地を自分たち固有の土地だとして切望したが、第3次計画までは、彼らにどう対処するか検討した内容を、あくまでこっそりと説明していた。総仕上げの第4次計画では、それをはっきり明瞭に説明している。つまり、パレスチナ人は出て行かなくてはならない。この計画の重要性に注目した最初の歴史学者の1人シムハ・フラパンの言葉を借りれば、「「農村部の征服と破壊」など、対アラブ人軍事作戦は、ハガナーのダレット計画に明記された」。事実同計画は、パレスチナの農村部と都市部の両方を破壊することを目的としていたのだ。
 本書の初めのほうでは、パレスチナをユダヤ人だけのものにするというシオニズムのイデオロギー傾向が生んだ必然の結果がダレット計画であり、イギリスの内閣が委任統治の終了を決めて以降の状況に対する反応であったことを示したい。地元のパレスチナ人民兵との衝突は、民族的に浄化したパレスチナというイデオロギー像の実現にむけて、申し分のない文脈と口実になった。シオニストの方針は当初、1947年2月のパレスチナ人の攻撃に対する報復を根拠としていたが、翌年3月には、パレスチナ全土を民族的に浄化する構想へ変容した。
 ひとたび方針が決まると、任務は6ヶ月で完了した。すべてが終わったとき、パレスチナにもとから住んでいた半数以上、約80万人が追放され、531の村が破壊され、11の都市部が無人にされた。1948年3月10日に決定され、その後数ヶ月にわたって組織的に実行されたダレット計画は、今日の国際法では人道に対する罪とみなされる民族浄化作戦だったのは明らかだ。
 ホロコースト以降、大規模な人道に対する罪を隠すことはほとんど不可能になった。情報主導型の現代世界では、とりわけ電子メディアが急速に発展して以来、もはや人為的惨事を人々の目から隠したままにしたり、否定したままにすることはできない。それにもかかわらず、そうした犯罪が1つ、グローバルな公的記憶からほぼ完全に抹殺されてきた。1948年にイスラエルが行なったパレスチナ人の追放である。パレスチナという国の現代史を大きく規定したこの事件は組織的に否定されてきたし、今日でも、政治的・倫理的に向き合うべき犯罪と認めるどころか、歴史的事実とすら認知されていない。
 民族浄化は人道に対する罪であり、今日それを行えば、特別な法廷に連れ出されるべき犯罪者だとみなされる。法的には、1948年にパレスチナで民族浄化を開始し実行した者たちをどのように名指しし、どのように扱うのかを決めるのは困難かもしれない。しかし彼らの罪を再構築し、さらに正確な歴史叙述と、より高い倫理を獲得することは可能である。
 レッドハウスの最上階のあの部屋に座っていた人々の名前を、われわれは知っている。彼らの頭上のマルクス主義風のポスターには、「戦友」とか「鉄拳」といったスローガンが掲げられ、「敵対的なアラブ侵略者」と「勇敢に戦う」健康的で日焼けした筋肉質の「新しい」ユダヤ人が、防護壁の陰でライフルを構えた姿が描かれていた。われわれは、現場で命令を下した上級将校たちの名前も知っている。いずれもイスラエルの英雄として、よく知られた名前である。彼らの多くが生き長らえ、イスラエルの政治や社会で主要な役割を果たしたのはそう昔のことではない。今日も存命している者はわずかである。

頁290──

 イスラエル軍の行なった大規模な虐殺はダワーメイが最後だと言えたのは、1956年までである。ヨルダンとの休戦合意でイスラエルに編入されたコフル・カースィム村で、この年に住民49人が虐殺されたのだった。
 民族浄化はジェノサイドではないが、非道な大量殺戮や虐殺行為を必ずともなう。数千人のパレスチナ人が、あらゆる出自・階級・年齢のイスラエル兵に無慈悲に残酷に殺された。確かな証拠があるにもかかわらず、彼らは誰1人、戦争犯罪で裁かれたことがない。・・・

ケン・ローチとカストナー醜聞

 レツソ・カストナー(ドイツではルードルフ・カストナーとして知られる)でネット検索してもなかなかヒットしないが、「カストナー」と「ハンガリー」で検索すると少しはヒットする。この現状が何を意味するのかのヒントになるかもしれない事例がケン・ローチを扱ったドキュメンタリー映画で出てきたので、以下に紹介したい。

 『ユダヤ人の起源』 の著者シュロモー・サンドによると、「イスラエルでは普通の学校で聖書の物語を宗教としてではなく、歴史として教えている。」ようだから、イスラエル市民が嘘の歴史(「出エジプト」「ユダヤ人追放」の嘘)を学び、歴史の事実(今回話題の「カストナー醜聞」など)を学ばないのは容易に理解できるのだが、この現象が世界のメディアにまで及んでいるとなると、パレスチナの地においてユダヤ・ナチの蛮行が日常的に繰り返されている今日の状況下では、民族浄化されているパレスチナ人にとっては極めて深刻な問題となる。メディアが尻込みしていると、世界の人々が歴史の無知のままでいて、テロ国家イスラエルへのBDSが広がらない原因になってしまう可能性もある。

 英国といえば3枚舌外交などで現在のテロ国家イスラエル問題の元凶になっている国の一つだが、その英国でケン・ローチが映画で干されていた時に関わったのが、あるシオニストを主題にするロイヤル・コート劇場で公演予定の演劇だった。

 テロ国家イスラエル批判がシオニストに反ユダヤ主義として非難されるのは今日では日常的風景だが、ケン・ローチもまた歴史の事実を掘り起こす創作活動で理不尽な攻撃に晒されていたわけだ。

 これについてはフィンケルスタインが明解だ──「つぶさに分析すると、イスラエル・ロビィが反ユダヤ主義として数えるものの正体は次の三つ、すなわち誇張と捏造、イスラエルの政策への正当な批判に対する誤ったレッテル貼り、そしてイスラエル批判をユダヤ人一般への批判にすりかえるという不当な、しかし予想される「波及」である。私の結 論としては、もし現在の反ユダヤ感情が、あらゆる研究が述べているように、イスラエルによる非情なパレスチナ人抑圧と符合するものであるなら、賢明な、そして言うまでもなく道徳的な行動は、占領を終わらせることだ。(『イスラエル擁護論批判~反ユダヤ主義の悪用と歴史の冒涜』より)


▼ケン・ローチ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%81

・・・
1967年、長編『夜空に星のあるように』で映画監督としてデビューした。2作目の『ケス』(1969年)は英国アカデミー賞作品賞と監督賞にノミネートされた。しかし、社会問題への市民の関心の低さや政治的な検閲が原因となり、1970年代から1980年代にかけて長い不遇時代を過ごした。

1990年代に入り、労働者階級や移民を描いた作品を立て続けに発表。そのうち『ブラック・アジェンダ/隠された真相』(1990年)と『レイニング・ストーンズ』(1993年)がカンヌ国際映画祭審査員賞、『リフ・ラフ』(1991年)と『大地と自由』(1995年)がヨーロッパ映画賞作品賞を受賞し、国際的に評価されるようになった。1994年には第51回ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を受賞した。

・・・

▼映画『ヴァーサス/ケン・ローチ映画と人生』(字幕版)より──


【字幕】

ロイヤル・コート劇場

楽屋口

(引用者注:労働組合幹部の腐敗を描いたドキュメンタリーがテレビで放映されない、及び他の映画企画も通らない中・・・)

何も放送されない状態が続いているさなか──

ジム・アレン(引用者注:映画『大地と自由」』(1995年)の脚本家)はある戯曲を書いていた★ケン・ローチ発言

サポートできる仕事の範囲内だと思ったよ★マックス・スタッフォード=クラーク芸術監督発言、以下「マックス発言」と表記

挑戦的な作品になると思った★マックス発言

でも、どれほどの波乱を巻き起こすかは分からなかった★マックス発言

ロイヤル・コートでケンと出会った★俳優ガブリエル・バーン発言

礼儀正しくて感じがよくおとなしい人で──★俳優ガブリエル・バーン発言

作る映画とはまるで印象が違った★俳優ガブリエル・バーン発言

オリヴァー・ストーンのような人物だと思ってた★俳優ガブリエル・バーン発言

リハーサル開始から2週間★ケン・ローチ発言

徐々に不満の声が聞こえ始めた ★ケン・ローチ発言

こんばんは★テレビニューズ アナウサーの声

ジム・アレンの法廷劇が物議を醸しています★テレビニューズ アナウサーの声

ハンガリーのユダヤ人虐殺につながる物語です★テレビニューズ アナウサーの声

シオニズム運動の指導者たちがナチスのアイヒマンと取引し──★テレビニューズ アナウサーの声


ユダヤ人をガス室送りにしたと★テレビニューズ アナウサーの声

ブダペストのシオニズム運動の指導者たちが──以下★ケン・ローチ発言

ある取引を結んでいたことをジムは知った

列車に乗せられる大勢のユダヤ人に──

行き先を知らせない代わりに──

数千人のユダヤ人をパレスチナに逃がす許可を得た

衝撃的な取引内容だよ

戯曲の内容も知らない人々が批判し始めた

反ユダヤ主義的で差別的な内容だと言ってね

(中略)

そして1週間の間に──

すべての新聞が全面記事を載せた★ケン・ローチ発言

“歴史の改悪”★新聞記事

“真実の侵害”★新聞記事

ひどいことになった ★ケン・ローチ発言

“事実の曲解”★新聞記事

世間が騒ぎ始めた★ケン・ローチ発言

“憎悪”★新聞記事

俳優の1人の部屋のドアにかぎ十字が★ケン・ローチ発言

論争を巻き起こすなんてものじゃなく──★俳優ガブリエル・バーン発言

危険な劇になりそうだった★俳優ガブリエル・バーン発言

私とケンとの関係は壊れてしまった★マックス発言

彼には誰に言われても決して曲げない信条があった★マックス発言

私は徐々に戯曲を擁護するのが苦しくなっていた★マックス発言

ジム あなたはこの戯曲によって──★テレビ画面 アナウサー発言

傷ついている人がいるのは分かりますね?★テレビ画面 アナウサー発言

それでも上演すべきだと?★テレビ画面 アナウサー発言

ここにいるシオニズム運動の代表者たちには苦痛でしょう★ジム・アレン発言

隠しておきたいでしょうし──★ジム・アレン発言

大衆がこの劇を見るのを断固阻止したいはず★ジム・アレン発言

劇場は屈した★ケン・ローチ発言

“キャストに君の決断だと言え”とマックスに言った★ケン・ローチ発言

キャストは客席にマックスは舞台に腰掛け──★ケン・ローチ発言

公演の中止を告げた  ★ケン・ローチ発言

俳優たちは罵声を浴びせてた★ケン・ローチ発言

ケンは舞台に立っていて何か言った★俳優ガブリエル・バーン発言

ちゃんと覚えていたらよかったが──★俳優ガブリエル・バーン発言

とにかくはっきりとした口調で──★俳優ガブリエル・バーン発言

容赦なく非難していた  ★俳優ガブリエル・バーン発言

マックスはゲッソリしていた★ケン・ローチ発言

当然の報いだと思う★ケン・ローチ発言

私は2つの過ちを犯した★マックス発言

上演を決めたことと中止を決めたことだ★マックス発言

自分のしたことを誇りに思ってはいない★マックス発言

だが我々は あの時 先の見えない領域に──★マックス発言

踏みだそうとしていたんだ★マックス発言

彼は卑怯なだけだ★ケン・ローチ発言

卑怯な行為は過ちじゃなく選択だ★ケン・ローチ発言

彼が選んだことだ★ケン・ローチ発言

ケンはまるで── ★俳優ガブリエル・バーン発言、以下同じ
長い槍を持った昔の騎士のようだった
馬に乗り相手を突いて殺す騎士たちだ
ケンはきっと槍をうまく使って──
相手の騎士を落馬させてから──
静かに敬意を払って相手のそばに立つ
そして相手の鎧の隙間から──
ノドを切り相手が失血死するのを見守る
あの日劇場での彼はそんな感じだった
彼は頑固で絶対に考えを変えないと言われるが──
だからこそ彼は力強いんだ
あの静かな力強さは見ていて心地いい
見ている分には本当に爽快だ
絶対に逆らいたくない

******

 “歴史の改悪”“真実の侵害”“事実の曲解”“憎悪”などという文字が躍る新聞記事。シオニストに都合の悪い歴史を描けば、こんな非難に晒される。というわけで今日ではBDS運動も反ユダヤ主義と非難される時代に突入。何度も同じ事を書いている気もするが・・・・・・、改めて書いておこう。

 歴史をひもとけば、(ロスチャイルドの資金によるパレスチナへのユダヤ人の入植は英国の石油独占を狙う冷酷な策略によってだが)土地泥棒のシオニズムがあり、・・・ナチスの集団殺戮があったから、シオニズムとナチスの共犯関係ができ、・・・イスラエル建国が成功し、その後シオニズムのテロ国家イスラエルは集団殺戮を違う方法で悪用する。 歴史上の集団殺戮を1人占めして、「2度とユダヤ人が集団殺戮にあわないために」と称して初期目標の土地泥棒のためにパレスチナ人の集団殺戮、民族浄化を繰り返す。

  メディアを黙らせるためにシオニストが使うのが集団殺戮(ホロコースト)。
  
 「イスラエルが1996年にレバノンへ凄まじい攻撃を仕掛け、カーナで100人以上の市民を虐殺したとき、『ハーレツ』紙のコラムニスト、アリ・シャヴィットは言った。―─イスラエルは何をしても大丈夫だ、「われわれには名誉毀損防止連盟と・・・・・・ヤド・ヴァシム(筆者注:エルサレムにあるホロコースト記念館)とホロコースト博物館がついている」。」  (ノーマン・G・フィンケルスタイン『ホロコースト産業~同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』より)

 岡真理──「シオニストにおいてホロコーストとは、世界中のいかなる者の上にもこのような悲劇が二度と起きてはならない、という普遍的教訓としてではなく、シオニズム国家を維持するためにイスラエルがパレスチナ人という他者に対して行使するあらゆる暴力を正当化するための資源として利用されている。」

 被害者が被害者のままでいる難しさ。・・・こう書いては間違いかも知れない。ナチスとシオニズムは似ていたから、シオニストが牛耳るテロ国家イスラエルはこうなるしかない。
もっと簡単に言えば植民地主義は儲かる。強欲企業の欲望は無限・・・・・・。

 言い訳としては、こんなこと──私たちはユダヤ人虐殺をメディアで繰り返し見せられ聞かされて、イスラエル批判を控えてしまう?・・・だが、結局のところ、土地泥棒に反対、人種主義に反対、強欲企業に反対すればいいだけなのだから、加害者が被害者を気取ろうともまったく関係はない。私たちは"基準を普遍的に適用する"という、ごく簡単なことが出来ていないだけかもしれないのだ。


※以下、カストナー醜聞を知るために──

▼第4章:ルドルフ・カストナー事件

ナチスと取り引きしたハンガリーのシオニスト組織

http://hexagon.inri.client.jp/floorA6F_hd/a6fhd300.html#04

●1952年8月、エルサレムで個人新聞を発行していたハンガリー系ユダヤ人のマルキエール・グリーンワルドは、回報第52号のなかで、戦後イスラエル政府の高官となったカストナーは、大戦中にSS中佐ベッヒャーと共謀してハンガリーのユダヤ人の財産を奪った、と非難した。

さらにグリーンワルドは、カストナーが所属したハンガリーのシオニスト指導部は、ナチスと取り引きを行い、少数のユダヤ人を国外に不法出国させることと引き換えに、ハンガリーに住む数十万人のユダヤ人を強制収容所に送る手助けを行った、と告発した。


●この告発に怒ったカストナーは、グリーンワルドを名誉毀損で訴えた。

しかし裁判の焦点はすぐに、大戦中のカストナーとアイヒマンおよびSS中佐ベッヒャーとの関係に移った。ベンヤミン・ハリーヴァイ判事は証拠説明の中で、カストナーがナチスと交渉を行ったことを、「悪魔に魂を売り渡す」行為として非難した。

イスラエルの一部のメディアによって、カストナーは「悪魔」として戯画化された。
そして次のようにカストナーを批判する人も出た。

「自分の一番身近な人々をも含めてわずかの人々を救うために、カストナーはユダヤ人を金で買い取る交渉をアイヒマンと行うことで、ユダヤ人が何の抵抗もせずに生け贄として死に駆り立てられることに寄与をした。彼はハンガリーでナチス側と協力をして、アイヒマンと獲物を分け合って、儲けたのだ!」


●長い裁判が続いたあと、この件はイスラエルの最高裁判所に持ち込まれ、1957年1月、審理が開始された。

しかし、思わぬ展開が待ち受けていた。

1957年3月、真夜中直前、カストナーは自宅を出たところを射殺されてしまったのである。

カストナーを射殺した犯人は逮捕され投獄された。しかし、そこにもっとどす黒いものの臭いを嗅ぎ取り、カストナーの暗殺をイスラエル諜報機関が仕組んだ罠だと主張する人は少なくなかった。(後にイスラエル最高裁判所は、ナチスが罪を逃れるのに手を貸した点を除いては、カストナーを無罪とする決定を下した)。

結局、ハンガリーのシオニスト組織とアイヒマンとの間にどんな密約があったのか、当事者カストナーの口が封じられてしまった以上、その真相は歴史の闇に葬られたことになる。

●ちなみに、この事件の3年後に、南米アルゼンチンにいた
 アイヒマンは拉致され、イスラエルで処刑されたのである。


▼レニ・ブレンナー『ファシズム時代のシオニズム』芝健介・訳、法政大学出版局、2001年

頁394──

 1953年になってベン=グリオン政権は、齢をとった時論家のマルキエル・グリュンヴァルトを、1994年におけるアイヒマンと交渉したカストナーについて対ナチ協力者と誹謗した廉で訴追した。この裁判の動静は1954年を通じて世界的にかなり報じられた。アイヒマン自身、新聞でこの報道を追っていたに違いない。というのも、カストナーとの関係について、オランダのナチ・ジャーナリスト、ウィレム・サッセンのインタヴューに応じて詳細に語っているからである。この会見記は、1960年にアイヒマンが逮捕された後、雑誌『ライフ』に2回にわたって連載された。グリュンヴァルトは、ハンガリー・ユダヤ人がただハンガリー国内のケンイェルメゾに再定住することになっただけと偽ったドイツ側の瞞着についてカストナーが知っていながら沈黙し続けた点を非難した。その見返りとしてカストナーには特別移送集団を組織することが認められ、最終的にその輸送がスイス行きの列車となり、それに家族と仲間たちが乗車することになった、というのである。さらにグリュンヴァルトが指摘するには、カストナーが後に親衛隊大佐ベッヒャーを弁護し、この大佐がユダヤ人の命の救うためあらゆる可能なことをやってくれたと証言することで、大佐は戦争犯罪人として処刑されることを免れた、という。アイヒマンもカストナーについては以下のように述べている。

 このカストナー博士は[多くの資料がKasztnerの名を英語綴りにしてKastnerと書いている]、私とほぼ同じ年齢にしては若く氷のように冷たい弁護士でかつ狂信的なシオニストであった。彼はユダヤ人を絶滅収容所への強制移送に抵抗させない──さらに集合収容所の秩序を維持する──のに手を藉すことでは同意したのであった。ただし数百数千人の若いユダヤ人が非合法にパレスティナに向けて出国させるのに私が目をつぶることが条件であった。それは私には願ってもない取引であった。収容所の秩序を保てるならば、1万5千や2万そこらのユダヤ人──結局それ以上の数になったかも知れぬユダヤ人──を見逃すことは私には大した損失ではなかった。おそらく最初の数回の会議を除けば、カストナーは屈強なゲシュタポの人間におそれをなして私のところには現れなかった。私たち2人は全く対等な人間として交渉した。人はそのことを忘れている。政治的敵ではあったが、妥結の実現につとめ相互に全く信頼しあっていた。私と同席すれば彼はコーヒーハウスにいるかのようにタバコをふかした。話している間、彼は銀のシガレット・ケースから芳香のタバコを取り出して銀製の小ライターで火をつけ、1本また1本と喫ったものであった。かなり磨きをかけ、寡黙さを身につけさせれば立派にゲシュタポの将校としても通用しただろう。
 カストナー博士の第1の関心はハンガリー・ユダヤ人の中の選抜集団がイスラエルに向けて出国するのを可能ならしめることにあった・・・・・・。
 事実をいえば、我々親衛隊の人間の態度と、おそらく最後の闘いを展開していただろうきわめて理想主義的なシオニスト・リーダーたちの観点との間にはきわめてはっきりとした類似性があった。私は「お互い理想主義者であり、権力に到達しないうちに自分たちの血を犠牲にせざるをえなかったのだ」とカストナーに語ったこともある。
 カストナーは自らの政治目標を達成するために数千人否数10万人の同胞を犠牲にしたのだろうと思う。ユダヤ人の老人やハンガリー社会に同化してしまったユダヤ人には目もくれなかった。しかし、生物学的に価値あるユダヤ人の血──つまり、再生産とつらい仕事にも耐えられる人材──を救うことには信じられぬほど固執した。「あなたには他のユダヤ人が全部手に入るのです。しかし私の手にはこの集団を残させてもらいます」とカストナーはいってやまなかった。そしてカストナーは我々が移送収容所を無事平穏に保つのに大奉仕してくれたから、私も彼の選抜集団を逃亡させようとした。結局千人やそこらのユダヤ人の小集団には関心を寄せなかった。

 ヨーエル・ブラントのいとこで、ブダペストにおいてカストナーとともに活動し、彼の政策を支持していたアンドレ・ビスは、著作『百万のユダヤ人の救出』の中でアイヒマンの証言を部分的に裏付けることになった。1944年12月6日、スイスに入ったこの有名な列車にどういう人びとが乗り込んでいたかについて以下のように書いている。

続いて数の最も多かった集団、カストナーが誇りにしていたシオニストの若者グループが乗り込んだ。この若者たちは、すでにパレスティナの入国証明をもらっていた農業開拓者団や極右「改訂派」、またたくさんの孤児たち等さまざまなグループから構成されていた。・・・・・・最後は、この列車の旅のために現金払いができた人びとがやってきた。ドイツ側から要求されていた合計額を我々はとにかくかき集めなければならなかった。しかし列車に乗り込んだ1684名のうちこうした現金を用立てられたカテゴリーに入る人びとの数は多くて300人であった。・・・・・
 カストナーの母親、兄弟、姉妹、その他クラウゼンブルク[クルージ]出身の縁戚の人たちも乗客になった。・・・・・・さらにこの輸送のために闘った人びとの家族も乗り込んでいたが、多くて40ないし50人のグループだった。・・・・・・結果的に生じた混乱の中で、約380人がブダペストを出発しようとした列車にしがみつくようなかたちで乗り込めた人びとであった。当初の予定では乗客の数は1300人であったが、それではすまず、1700人以上を詰め込んだ旅となった。

 イスラエル労働党はカストナーを弁護し始めた時には、予想もしなかった大変な事態に直面させられることになった。元イルグンの活動家シュムエル・タミルがカストナーに対する抜群の反対尋問者として登場し、グリュンヴァルトのための論陣を張ったからである。後の1961年に、ベン・ヘヒトはカストナー・スキャンダルに関する秀逸な暴露本『裏切り』を刊行し、カストナーの弁論をタミルが見事に粉砕した局面に多くのページを費やした。

タミル
 ハンガリーの他のどの町よりもクルージ[カストナーの故郷の町]出身の人がたくさん選ばれて救われたという事実をあなたはどう説明されますか。

カストナー
 それはわたしには全く関係ありません。

タミル
 反対尋問したいのですが、クルージ出身の人たちのためのえこひいきをアイヒマンに特別に頼んだのは、あなたなのではありませんか。

カストナー
 そうです。私は特にそれを懇請しました。


カストナー
 ・・・・・・あらゆる地域の救援委員会のすべては私の管轄下にありました。

タミル
 すべての救援委員会ですか。複数表現されましたよね。

カストナー
 そうです。委員会があったところはどこでもそうなっていました。

タミル
 クルージ以外にはどこにそういう委員会があったのでしょうか。

カストナー
 ええー・・・・・・思うにクルージの委員会がハンガリーで唯一の委員会でした。


タミル
 カストナー博士、クルージに電話連絡されたように、他の町にも電話連絡できたのではありませんか。

カストナー
 おっしゃるとおりです。

タミル
 それではこれら他のすべての町のユダヤ人にも、なぜ電話して警告されなかったのですか。

カストナー
 そうしなかったのは、それだけの時間がなかったからです。

 
 クルージの町には2万人のユダヤ人が当時存在し、列車にはごく限られた数の席しか用意されていなかった。裁判官ベンヤミン・ハレヴィもカストナーにしつこく尋問し始め、カストナーは救済した人間の選抜基準についてつい口を滑らせた。


カストナー
 ・・・・・・ここで証言したクルージ出身の証人たちは、私の見解では、クルージの真のユダヤ人を代表していないと思います。というのも、証人たちの中にひとりとして重要な人物がいなかったからで、それも偶然の一致ではないからです。

 
 やはりクルージ出身のレヴィ・ブルームは、1948年にカストナーのために開かれた晩餐会に出席した人間のひとりであった。この晩餐会は列車の乗客たちが呼びかけたものであったが、その席上ブルームは立ち上がって、その日の主賓のカストナーを指してナチ協力者と叫び、晩餐会をぶち壊し、対カストナー告発人のひとりになったのである。


ブルーム
 ・・・・・・私は彼に尋ねました。「なぜあなたはケンイェルメゾにいると考えられたユダヤ人に葉書を出したのですか。」誰かが叫びました。「これはカストナーの手先のコハニがやったことさ。」コハニも会場に来ていましたから、飛び上がって叫びました「そうだ、私はたくさんの葉書をもらった。」そこで私は彼に尋ねました「その葉書は誰からもらったのだ。」コハニは答えました「それはおまえに関係ないことさ。おまえのためを思ってやったことを全部説明する必要はない」。

ハレヴィ裁判官
 以上のことはすべて公の場でおこったことですか。

ブルーム
 そうです。数百人がそこにいました。

頁405──

45万人のユダヤ人殺害に誰が手を藉したのか

 ひとりのシオニストがユダヤ人を裏切ったことは、あるいは重大なことではなかったかもしれない。ひとつの運動がひとりの裏切り者のことで責任を一々とっていられないということもあろう。しかしカストナーは労働シオニストからは裏切り者とはみなされなかったというのが事実である。逆に、労働シオニストは、もしカストナーが有罪ならば自分たちも有罪である、と言い立てた。カストナーを指導者のひとりとして期待していた人びとをカストナーが裏切ったことは確かである。ヘシン裁判官の意見は、

 指導者のリーダーシップを頼りとし、その指示に従っている人びとに対する義務が、どんな危急の場合にもある、と定めた国内法・国際法はどこにもない。

というものであった。
 しかしながら、カストナー=グリュンヴァルト裁判できわめて重要だったと断言しうる面は、この裁判が、ナチ時代全期間を通じて世界シオニスト機構の行動哲学、すなわちパレスティナへの選抜入国を促進させるためには、多くの人びとに対する裏切りも正当化して恥じない、という考え方を暴露したところにあった。


不快な言葉に出会う朝~差別語「ブラック部活」が載る新聞~

 この頃は胸焼けがひどくいつも不快だが、こんな朝に新聞を開くと「ブラック部活」なる文字が目に飛びこんできた。『朝日新聞』2018年5月14日付けの「MONDAY解説」に[運動部の活動に総合的な指針 「ブラック部活」解消なるか]という記事。名誉白人低国では差別語「ブラック」にはあらゆる悪を含意されているから、リード記事によれば、「長時間の運動部活動は生徒のバランスのとれた成長を阻む一方、教員の過剰負担にもつながり、「ブラック部活」と問題視されてきた」から、「ブラック部活」は“解消”されなければならないわけだ。なんのことはない、ただ“部活問題”と書けば何の問題もないのに、我が名誉白人低国では名誉白人用語=「ブラック」は流行語だから使うというわけだ。というわけで私の不快はさらに昂じた。


 さてここでは、アリス・ウォーカーを不快にした言葉を見てみよう。

 

★アリス・ウォーカー『勇敢な娘たちに』柳沢由美子=訳、集英社、2003年

頁279──

人は呼ばれるものになる


“少年、男、やつ、あいつ”

 昨晩、気がついたときには、わたしは仲良くしている友人の腰に両腕を回していた。彼女が別れ際にわたしたちに、「また後でね、ユー・ガイズ!(厳密には「あなたがた男たち」の意)と言った直後のことだった。そしてわたしは“ガイ”と呼ばれるのは好きじゃないと言った。彼女が戸惑った様子を見て、ほんとうのことを言うと、大嫌いなの、とわたしは打ち明けた。


頁283──


・・・また動詞“ガイ”には、他にも“からかう、ばかにする”の意味がある。そしてこれこそまさに、男性が女性に呼びかけるとき、あるいは女性が女性に対して“ガイ”という言葉を使うときに、わたしが感じるものである。それが使われるとき、どんなことがあっても認められたいという一部の女性のへつらいの姿勢を感じるのだ。たとえ、自分の女性性を犠牲にしてでも、また他の女性の女性性を犠牲にしてまでも。こんなに長い女性解放の闘いをしてきたのに、結局女性は自分自身を“ガイ”と呼ぶことで終わるのなら、まったく皮肉なことだと言えるのではないか。

 昨夜のわたしの言葉で、友人は激怒しているかもしれない。“ユー・ガイズ”という表現は、いまでは世界に通用するものになっているのだから。わたしは彼女に、ふつうの言葉、簡単に口にする言葉で、わたしを呼ばないでとたのんでいることになるのかもしれない。もしかするとわたしはやっかいな友だちかもしれない。ものごとがなぜそうでなければならないのかと、すぐに理屈をこね出す。しかし、どうしてもそうせずにはいられないのだ。ネーミングの不思議は、人は呼ばれたものになることだ。彼女の言ったその言葉が、わたしの中の何を揺り動かしたのか?・・・以下略


 そういえば私も反権力運動の現場で差別語「ブラック」を聞く場面も1度だけあったのだが、アリス・ウォーカーのようにはできなかった。とっさに反応できなければどうにもならないのだ。例えば数人でお茶を飲んでいる時に、誰かが不快な言葉を発したとしてもとっさに反応できねばやり過ごすだけだ。


 不快が昂じたこんな朝に、この記事を書いている私はまだましな方だ。不快を怒りで押さえ込もうとしているからだ。だがしかし・・・


 

 

 

 

プロフィール

檜原転石

Author:檜原転石
FC2ブログへようこそ!

世の中は無名の一人でも変えられる

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR