搾取企業を「ブラック企業」呼ぶ労働者も、殺人・強かん・放火・略奪を繰り返しているわけではない

 "(侵略)兵士を使い捨てる"と"労働者を使い捨てる"とを比較して、昔の日本の軍隊に現代の日本の会社を重ねあわせるっていう発想がまずついて行けない。だって皇軍は殺人・強かん・放火・略奪が本分なのだから、今時の強欲企業がどれほど不法で無法でゴロツキであっても皇軍の足下には遠く及ばない。今時の流行語で、それもよりによって差別語──トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」「ブラック大学」「ブラックバイト」「ブラック校則」など)で皇軍の体質を語るとは、トンチンカンにもほどがある。現在、名誉白人低国で搾取企業を「ブラック企業」呼ぶ労働者も、殺人・強かん・放火・略奪を繰り返しているわけではない。アジアで2千万人を殺した皇軍は、兵士の半数以上を飢え死にさせたが、これを今時の愚劣な流行語を使って、況や差別語「ブラック」を使って形容できると考えるのが愚の骨頂なのだ。皇軍は「ブラック体質」──などと書く愚者は二重の錯誤を犯してる。まず、トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」「ブラック大学」「ブラックバイト」「ブラック校則」など)を使い差別・偏見を広げる愚劣、更に皇軍兵士がアジアで起こした殺人・強かん・放火・略奪を失念しかねない愚劣だ。

 映画『マルコムX』の日本公開から25年、この映画を多くの人が見ていさえすれば、こんな事態──トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」「ブラック大学」「ブラックバイト」「ブラック校則」など)の大氾濫は起きなかったはずなのだが、生憎、"名誉白人低国"・"名誉白人用語=「ブラック」"などと私が書かざるをえない状況がこの国の今なのだ。
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愚劣の極み~皇軍の体質を「ブラック」と書く歴史学者の書評~

 今日(2018/06/23)の『朝日新聞』の読書欄の書評には度肝を抜かれた。差別語「ブラック」という流行語とは、言葉の使用者のかくも無残な愚劣を晒してしまうものだからおそろしいものだ。

 

 吉田裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(中央新書、2017年)が売れているようで、評者=一ノ瀬俊也(日本近現代史)は見出しで「現代に通じるブラック体質」と記す。本文では──「日本人は日本人論を好むとよくいわれる。・・・中略・・・本書はそのような日本人論のひとつとして受け止められ、ゆえに多くの読者を獲得したと私はみた。そこで描かれる旧日本軍のやり方は、自らの無策を補うため兵士の生命を徹底的に軽視して死に追いやるなど、近年社会問題化しているブラック企業のそれと酷似している。このブラックさは日本人ならではの伝統、体質に由来すると思った人も多いのではないか。・・・」。

 

 日本近現代史の学者が、米国の公民権運動も「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動もマルコムXも知らずに、差別語「ブラック」を流行語だからと平然と使い、「旧日本軍のやり方は・・・ブラック企業のそれと酷似」と書いてしまうのは愚劣の極みである。そういえば早川タダノリが戦前の日本国家を称して「ブラック国家」と記していて笑えたが、この愚劣を歴史学者までやらかしてしまうのが名誉白人低国のおぞましい現実なのである。


 文化人類学者・竹沢泰子氏によると──ヨーロッパ人を白色人種と呼んだり、白い肌が美しいとする考えは、元来極めてユダヤ=キリスト教文化圏の伝統に支配された考え方だと思います。ユダヤ=キリスト教文化圏では旧約聖書にあるように白を 光、黒を闇として、善である白い色を自分たちの色に当てはめたわけです。この指摘に接して人がもし覚醒するならば、まず差別語「ブラック」など使えないはずなのだが・・・。

 

 映画『マルコムX』の日本公開から25年たち、この映画を見ていさえすれば、差別語「ブラック」などまず使えないのだが、歴史学者は映画を見ないのか?、ここに肝心な部分を映画から紹介しておく。

▼映画『マルコムX』より、受刑者ベインズと受刑者マルコムXの会話

http://blackisbeautiful2013.blog.fc2.com/blog-entry-8242.html



マルコムXが刑務所の図書室の中で、同じ受刑者のベインズと、ウェブスターズ・カレッジエイト辞典を引き、それを読みながら、会話する場面だ。以下、その場面の会話を紹介する。

◆映画『マルコムX』より――

受刑者ベインズと受刑者マルコムXの会話

★刑務所の運動場にて――

・・・

ベインズ:神は黒人だ

マルコムX:神は黒人?神は白人だぜ

ベインズ:白人がそう言ったんだろ?「お前は黒い異教徒だ」とな。「金髪で白い肌、目の青いキリストを信じろ」「黒人は呪われた人種だ」と。辞書で「黒」という言葉を?すべて白人のデタラメだ

マルコムX:デタラメ?

ベインズ:見せよう

★刑務所の図書室の中で――

ベインズ: 黒 ― 光の欠如した状態。色彩のないこと。暗黒で、「未来は暗黒」のような形容に使われる

マルコムX: 言葉に強いな

ベインズ: 汚れてて、不潔、陰気、敵意。「暗黒の日(ブラックデー)」のような形容もある。極悪とか残酷さを連想させる言葉。恥、不名誉、過失等を暗示する。脅迫(ブラックメール)、除名(ブラックボール)、不良(ブラックガード)。

マルコムX: ひどいな

ベインズ: 白を見よう。読め

マルコムX:白 ― 汚れのない雪の色。あらゆる色彩の原点。黒の反対。けがれのない状態。無垢(むく)、純粋、悪意のないことの象徴、無害、正直、公正、名誉・・・。これを書いたのは白人だな、白人だろう?

ベインズ:白人だよ

マルコムX: なぜ読む

ベインズ:裏に真実が隠されてる。逆手にとって武器にするんだよ


******

 

 マルコムXを知らないと差別語「ブラック」を使ってしまう。たかが映画でも、人を愚者から遠ざける。


 最後に、ブラックが現在の米国で黒人の最も好ましい呼称の1つであることを考慮すれば、この国の労働運動を担う名誉白人どもがブラックにあらゆる悪を含意させて大氾濫させているのは人種主義を煽る大罪でもあるのだが、権力はといえば名誉白人の労働運動を「クロ」と見なして監視するのであるから、名誉白人低国の現状は色々ラベルつけあってあって奇々怪々である。

 

 

追記:ブラックは差別語から黒人の最も好ましい呼称へ

■荒このみ『マルコムX――人権への闘い』岩波新書、2009年

頁128――
「いわゆるニグロ(so-called Negroes)」――決まり文句その1

 「アメリカの黒人」を指示する言葉は、時代とともに変化してきた。マルコムXの時代の1950年代から60年代前半に、かれらは「ニグロ」と呼ばれ、70年代の初めになるとアフロ・アメリカンに変わり、今日ではハイフン抜きのアフリカン・アメリカンが一般に普及している。この変化は何をあらわしているのか。
 だれもが「ニグロ」と呼ばれて疑問を抱かなかった時代に、マルコムXはそれを問題にした。そこにマルコムXの感覚の鋭さがある。マルコムXが活動を始めた1950年代、「ニグロ」は中立的表現であり、「ブラック」や「ニガー」が差別辞とみなされていた。「ニガー」は今でももちろん差別辞だが、かれら「アメリカの黒人」同士では自由に使いあっている。当時、「ブラック」と言われれば、子供たちの間ではつかみあいの喧嘩になったという。ところが「ブラック」のみならず「ニグロ」でさえ、決して中立的表現ではないことをマルコムXは果敢に指摘した。 

 


(注:2017年3月3日更新 改稿)早川 タダノリは2010年には、トンデモ和製英語「ブラック」を使えない(笑)

 




早川 タダノリは2010年には、トンデモ和製英語「ブラック」を使えない(笑)

(注:2017年3月3日更新 改稿)

 『神国日本のトンデモ決戦生活』の文庫本が手元にあるが、さすがにこの本にはトンデモ和製英語「ブラック」は使われはいないだろう(笑)。もちろん子細に読んで確認をとってはいない。流行語に飛びついて、その言葉=トンデモ和製英語「ブラック」を使う本人には、結論の意味は分かっているのだろうが、私にとっては意味不明な文章でしかない。

【・・・社長の命令は天皇の命令だ」と言っているようなもの、労働条件や賃金に文句を言えば非国民になってしまう仕組みなのである。「日本スゴイ」言説の究極形態は、「ブラック国家」とでも呼べるような奇怪な国家体制を作り上げたイデオロギーだったのだ。】

大日本帝国では「日本スゴイ」言説で満ちあふれていたことは事実。
「日本スゴイ」言説が大日本帝国を作り上げた?
大日本帝国では異論を排したので「日本スゴイ」言説だけが流布した?

で、奇怪なのはどっち?

○奇怪な国家体制=大日本帝国

?奇怪な国家体制=「ブラック国家」

?奇怪な国家体制<「ブラック国家」

?大日本帝国=「ブラック国家」

少なくとも現在は、搾取企業(悪徳企業、無法企業、ゴロツキ企業・・・)に労働者が会社を追い出されても非国民には絶対ならないわけで、結論文にトンデモ和製英語「ブラック」の出番など全くないように思われるが・・・。70年以上前の戦前を今の知識でトンデモ呼ばわりするのは良いことだし、今の流行語で揶揄することも構わないが、あろうことかトンデモ和製英語「ブラック」を使ってしまうと、米国の公民権運動や「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動からも50年以上たっているわけだから、未だにブラックにあらゆる悪を含意して使う愚劣のトンデモ振りもまた非難されて当然だろう。


☆「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜 単行本 – 2016/6/30
早川 タダノリ (著)
出版社: 青弓社 (2016/6/30)

★神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫) 文庫 – 2014/2/6
早川 タダノリ (著)
出版社: 筑摩書房 (2014/2/6)

★神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか 単行本 – 2010/8
早川 タダノリ (著)
出版社: 合同出版 (2010/08)

 



"言葉狩り"のすすめ

用語変更がおこなわれた行政用語・学術用語

 

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39273329.html


檜原転石 @hinokiharappa  ·  32 分
★用語変更がおこなわれた行政用語・学術用語看護婦→看護師、保健婦→保健師、助産婦→助産師、保母→保育士、スチュワーデス→客室乗務員、土人→先住民族、らい病・癩病→ハンセン病、メクラウナギ→ヌタウナギ、オシザメ→チヒロザメ、セムシウナギ→ヤバネウギ、・・・
檜原転石 @hinokiharappa  ·  32 分
▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年 頁18――  病名は、単にある病気を客観的に示すだけでなく、そこには多くの偏見がくっついている。ところが病気は医学の発達によって、それとたたかい、なおす方法が次々に開発されてくる。
檜原転石 @hinokiharappa  ·  31 分
それによって病気への認識が変わってくれば、より適切な言いかたに変える必要が生まれるだろう。こうしてとりかえられたことばが指す病気そのものは依然同じであっても、そこにはより客観的で偏見がなく、そして病気で苦しむ人々に絶望ではなく希望を与えるはたらきがあるとするならば、
檜原転石@hinokiharappa 33 分
私たちはもちろん、そのようなニュアンスを持ったことばにとりかえる必要がある。 このように考えると、ことばのたたかいは、観点――ものの見方のたたかいでもある。 ★痴呆→認知症、精神病院→精神科病院、精神分裂病→統合失調症、人格障害(性格障害)→ パーソナリティ障害、・・・
 

村野瀬玲奈の秘書課広報室 「ブラック企業」という言葉の使用について

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/41128544.html


★言葉狩りのすすめ

たとえば「精神分裂病」→「統合失調症」という言葉の言い換えがいつの間にかなされましたが、病気の本態が明らかになるにつれて、よりふさわしい言葉になるのです。「分裂病」は差別用語としても機能していましたから、この言葉狩り(言葉生み:統合失調症という言葉を生み出した)は知性の勝利です。

医療知識に無知な筒井康隆がてんかんを題材にしたくだらない小説を書き、騒動をおこし言葉狩りと騒ぎましたが、騒動の原因の本質は彼の無知なのです。

安室奈美恵が『キャンユウセレブレイト?』で「どんちゃん騒ぎができますか?」と歌っても笑ってすませますが、労働権や人権の侵害を糾弾する人が「ブラック追放」などと叫んでいては馬鹿丸出しなのです。この際ですから「ホワイト・ラブ」は「白人の恋」と認識され、「ブラック追放」は「黒人追放」と認識されると思っていた方が良いでしょう。罪のない和製英語(デッドボール・ガソリンスタンドなど)と罪のある和製英語ブラック(ブラック企業・ブラック大学・ブラック市政など)とは峻別すべきです。

英語に無知であることは恥ではありません。英語に無知なのに英語を使うことが恥なのです。日本語を大事にすればこのような事態はおきません。また英語帝国主義に反対するとは、TPPにも反対することなのです。米韓FTAとは韓国の英語に精通した人間でも太刀打ちできない難解な法律英語での貿易協定なのです。最初から不公正なのです。
•2013/08/12(08:57)


▼田中克彦『差別語からはいる言語学入門』明石書房、2001年

頁27――

 糾弾側が絶対に使わず、もっぱら糾弾される側の専門用語としては、「差別用語」のほかに「差別語狩り」という表現も、興味深いものとしてとりあげてみるべきであろう。これはまず、糾弾行為を非難するための表現であるが、ことがらを本質的にとらえようとすれば、浅薄なものであることがわかる。というのは、差別語は「きのこ狩り」や「潮干狩り」のように、ひと通り「狩って」しまったら、あとには収穫物がほとんど残らないというような簡単なものではない。差別語はモグラタタキのように、たたくはじから生まれてくる。いな、より事態に即して言えば、ことばはみずから湧き出してくるのではなくて、人間が作るからはじめて現れるという点で、糾弾側は、ある有限個の差別語を単に狩って消し去っているのではなくて、新しく発見し、作り出しているのである。差別語は刈りつくして終わるのではなく、作り出されているのだという、このことの中にこそ、ことばの不滅の豊かさと創造力というものがある。したがって、「差別語狩り」は不正確な言いかたであって、「差別語生み」とか、「差別語作り」とか言うべき、発見的、創造的行為であり、また哲学の伝統に則して言えば、「言語批判」の流れの中に位置づけてさえいい性質のものである。それだからこそ、糾弾の対象になる機会の最も多いのはポエジー(文学)である。


[CML 034024] 用語変更がおこなわれた行政用語・学術用語

https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39274691.html

"言葉狩り"は良い事だよ! 

※註:RADWIMPS(ラッドウィンプス)の「HINOMARU」の愚劣な歌詞は以下サイトで。


 愚劣な題名、愚劣な極みの歌詞を批判するのは当たり前のことで、欧米のホワイトパワー音楽が危ないように、日本の愛国歌も危ないのである。また愚者の筒井康隆が無知を晒して批判され、居直った時に使った"言葉狩り"という言葉は悪い意味で流布しているが、実は大変好い事だから、差別語などはどんどん"言葉狩り"して、どんどん新しい言葉を生み出すべきである。


 改めて言うまでもなく、・・・"日の丸"など燃やしてしまうだけの存在だ!


▼前田朗Blog

Saturday, September 27, 2014



RADWIMPS HINOMARU 歌詞

http://ns.j-lyric.net/artist/a04ac97/l0469f5.html


▼RAD「HINOMARU」批判は「言葉狩り」なのか 作詞家や国会議員から「擁護論」続々

  

   人気バンド「RADWINMPS」(ラッドウィンプス)の新曲「HINOMARU」をめぐる議論が、一向に収束する様子を見せない。作詞を担当したボーカルの野田洋次郎さん(32)の謝罪を受けて、「謝る必要はなかった」とバンドを擁護する著名人が続々と現れたのだ。

   「表現の自由」の観点から国会審議でも取り上げられ、波紋は広がり続けている。

  • 抗議集会を告知するツイッターアカウントまで登場する騒ぎに
    抗議集会を告知するツイッターアカウントまで登場する騒ぎに
抗議集会を告知するツイッターアカウントまで登場する騒ぎに

「自分の国を愛して何が悪いんだ!」

   「HINOMARU」は、RADWIMPSが6日に発売したシングル「カタルシスト」のカップリング曲。歌詞にある「気高きこの御国の御霊」「日出づる国の 御名の下に」といったフレーズが、一部ネット上で「軍歌のようだ」などと問題視され、物議を醸すことになった。

   その後、野田さんは11日に自らのSNSで「この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です」などと釈明。あわせて、「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪していた。

   こうした野田さんの謝罪が、いま議論の的になっている。

   ウルフルズのギタリスト・ウルフルケイスケさん(53)は謝罪当日、自身のツイッターに「野田君、謝罪する必要なんてないと思う。 自由って何?違和感」と投稿。また、格闘家の那須川天心さん(19)も12日、

「なぜ野田さんが謝らなきゃいけないんだ!自分の国を愛して何が悪いんだ!RADWIMPS最高!」

とツイートしていた。

   さらに15日には、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさん(25)もツイッターで、今回の騒動に直接言及してはいないが、「クリエイティブなものなのに言いがかりつけて表現できなくなって死んでいくことが悲しい」と投稿。その上で、

「なんでも文句言ってくる姑みたいな大人にだけはなりたくない」

と意味深な一言を呟いていた。

   「これの何があかんの?」「アーティストから言葉を奪うな」――。こうツイッターで訴えたのは、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主題歌「残酷な天使のテーゼ」で知られる作詞家の及川眠子(ねこ)さんだ。

   及川さんは、14日のツイッターで、「『HINOMARU』を聴いた。いい歌じゃん。これの何があかんの? この詞は『命』について歌ってると感じたけどなぁ」と切り出し、

「左とか右とか、そういう思想で簡単に縛ってバッシングする。アーティストから言葉を奪うな、と私は思う」

と訴えた。続く投稿では、「なんだか世の中が、アーティストや物書きは思想を持つなというような雰囲気になってきてる」「愛国を歌って何が悪いと思う」との持論も展開した。

謝罪に「白々しい」「表向きだけ」の声も

   こうした擁護意見が出る一方で、野田さんの姿勢を厳しく批判する動きもある。

   映画評論家の町山智浩さん(55)は13日、野田さんが謝罪の中で「色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました」と言及していたことを引き合いに、

「『いざ行かん 日出づる国の御名のもとに』などと歌っておいて、『なるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるか』と白々しく言うところが、まあ、今のいろんなものと似ていますね」

と皮肉っていた。

   映画・音楽ジャーナリストの宇野維正氏(48)は同日、野田さんが12日の福岡公演で「自分の生まれた国を好きで何が悪い」などと発言したという観客の報告をまとめたネット記事に触れる形で、

「表向きだけ謝罪のポーズ(あれは謝罪じゃないと思うし、もちろん謝罪する必要なんてない)を示してファンだけを前にしたMCで開き直ることを、自分はダサいと思います。すみません」

と切り捨てた。

   実際、歌詞の内容に反発する一部ツイッターユーザーは、26日の神戸公演の会場付近で抗議集会を行うと告知。J-CASTニュースの14日の取材に、主催者は「シングルを回収し、廃盤にすること」「ライブなどで2度と歌わない事」を求めていく、などと説明していた。

議論は国会でも...

   こうした議論は国会にまで及んでいる。12日の参院文教科学委員会で、自民党の小野田紀美議員が「表現の自由という観点から、取り上げないわけにはいかない」として、

 「(『HINOMARU』は)決して、どこを見ても、侮辱的な言葉や差別的な言葉とか、何かを批判するようなことは1つも入っていない。ただ、(生まれた国が)愛しい思いを言っただけで、叩かれて謝罪に追い込まれる。表現の自由の国はどこにいったんだ、と悲しくなります」

などと訴えた。

   また、自民党の和田政宗参院議員も15日のツイッターで、「RADWIMPSの新曲『HINOMARU』への過剰な反応はまさに『言葉狩り』」と主張。その上で、

「こんなことで言葉狩りをしていたら権力を批判する歌さえ歌えなくなる。誰かを攻撃してもいない。自由な楽曲作りがこんなことで制限されて良いのか」

と疑問視していた。

「ホワイト経営」という言葉が流通する名誉白人低国で考える・・・、ホワイト・パワー音楽って?

 ホワイト・パワー音楽については、前田朗先生がブログで解説しているので、ここに引用する。


▼Re: [CML 038887] ブラック企業批判ふたたび 今野晴貴『ブラック企業2』

2015年 8月 1日 (土) 05:57:40 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2015-August/038994.html


檜原転石です。

前田朗さん、こんちは。


米国で人種主義者がホワイトパワーを連呼しているけど、日本低国は「ホワイト企業」「ホワイト社会」を目指すというわけですね。

そうあなたはこれからもトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・
「ブラック大学」など)を拡散させる役目を担うというわけですね。

一方あなたはヘイトスピーチ(差別扇動表現)にも数多く発言して、それがPC運動(差別と偏見のない表現を目指す運動)と密接に関連していることも知っている。

▼師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年

頁38──

「ヘイト・スピーチ」という用語の誕生

・・・
 同じ1980年代には、大学への非白人および女性の進出に反発する差別事件が頻発したことに対し、当事者や大学研究者を中心に、差別的表現の是正・禁止など言語を中心とする文化面での差別撤廃としてのポリティカル・コレクトネスpolitical correctnessを求める運動が盛んになった。その一環として、多くの大学が、ヘイト・スピーチを含むハラスメント行為全般を「ヘイト・スピーチ」という言葉も広がったのである。

*****


以下再投稿──

「差別扇動表現(ヘイトスピーチ)」について頻繁に発言している前田先生ですが、何故かPC運動(差別・偏見のない表現を目指す)は“言葉狩り”だと言い、まるで言葉の言い換えが不当だという筒井康隆並のトンデモも口走ります。常識で考えて、「差別扇動表現(ヘイトスピーチ)」に反対することと、PC運動(差別・偏見のない表現を目指す)は車の両輪のような気もしますが、何で前田先生はそう考えないのでしょうか?

米国では憎悪犯罪(ヘイトクライム)で黒人(ブラック)9人が射殺されていますが、日本ではブラックにあらゆる悪を含意させトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)が大流行しています。まあ言い換えれば日本ではブラックに対する差別・偏見を大氾濫させていますが、この状況は前田先生にとっては好ましい状況なのでしょうか?あるいは好ましくはないが、やむえない状況なのでしょうか?それとも両者はまったく関係ない事象であると考えているのでしょうか?さらに、こういう質問自体が愚劣なのでしょうか?








On 2015/07/31 10:13, maeda at zokei.ac.jp wrote:
> 前田 朗です。
> 7月31日
>
> ブログを更新しました。
>
>
> ブラック企業批判ふたたび
> 今野晴貴『ブラック企業2――「虐待型管理」の真相』(文春新書)
> http://maeda-akira.blogspot.jp/2015/07/blog-post_30.html
>


▼[CML 034170] ホワイト企業、ホワイト大学、ホワイト国家、ホワイト・パワー音楽

2014年 9月 29日 (月) 06:34:01 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-September/034235.html


檜原転石です。

前田朗先生こんちは。

白人至上主義運動を煽るホワイト・パワー音楽ですか・・・

しかし日本低国ではトンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブ
ラック大学」など)の対義語としての
トンデモ和製英語「ホワイト」も大流行。「幸せな奴隷」が名誉白人化にまっし
ぐらです。
ホワイト企業、ホワイト大学、ホワイト国家、ホワイト上司、ホワイト・パワー
音楽と並べて見ても、・・・まずくない?

▼[CML 034172] トルコ風呂呼称がなぜ消えたか、ホワイト・パワー音楽

2014年 9月 29日 (月) 12:09:08 JST

http://list.jca.apc.org/public/cml/2014-September/034240.html

檜原転石です。

石垣さん、こんちは。

まったく、「ホワイト企業」という言葉を使う愚者がホワイト・パワー音楽から
何を連想するのか興味があります。

まあブラック・パワーを好意的にとらえている人ならば、ホワイト・パワー音楽
を危ない音楽だととらえるのでしょうが、
トンデモ和製英語「ブラック」が流行っている日本では価値基準が逆転してます
から、それをただす意味でも、
白人至上主義運動を煽るホワイト・パワー音楽という言葉を流行らせるのはいい
ことかも。


さて、黒人に直接抗議を受けにない限り、トンデモ和製英語「ブラック」の氾濫
は止まらないのではないかという危惧は
私にもあります。『「ブラック企業」は、人種差別用語である 』と書いた高橋浩祐
は親戚にスリランカ人がいたわけですが、
彼の発言後でも、氾濫が止まる気配はありません。それでも私たちにできること
は、「駄目だ!」と言い続けることですが・・・。


檜原転石の発言集:トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)の“言葉狩り”を継続中・・・


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https://blogs.yahoo.co.jp/henatyokokakumei/39226793.html

     

 不思議でもないだろうが、ネットでも雑誌でも記事の中にトンデモ和製英語「ブラック」を発見するたびに私はストレスを感じている。これは言葉との闘いではいいことかも知れないが、ある意味私には堪える。こんな私でも最初はトンデモ和製英語「ブラック」に敏感に反応できたわけではない。突然の反応はあるキッカケで起きたわけで、ある掲示板で「ポン引き市長」という言葉の使用をとがめられた時だ。「そう言いますけどあなたたち、こんな言葉も流行ってますよ」という思考回路の中で「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」運動の記憶もよみがえったわけだ。

 かように人間の記憶は当てにならないもので、あるキッカケで私は記憶の引き出しを開けたに過ぎない。よって私に起きたことは他の人にもおこるわけで私に多勢に無勢の闘いも続く。

・・・

 おおざっぱに言って、現在日本で、黒に偏見をまとわりつかせる元凶はといえば警察用語の「黒」と白人英語のblackでしょう。警察用語の「黒」は警察になじむ記者・モノカキ・法曹関係者などから発せられ私たちを洗脳します。加えて、この頃のトンデモ和製英語「ブラック」の氾濫で「ブラック」は白人英語のblackに限りなく近づき、白人英語なみに悪が含意されます。よって名誉白人用語のトンデモ和製英語「ブラック」とよんでよいわけです。


 米国の黒人の好ましい呼称にブラックについでアフリカンアメリカンもあり、これはアフリカ系アメリカ人と訳されます。歴史をよりさかのぼれば、現代科学では人類はすべて“アフリカ系”と分かっていますし、アラビア半島の南岸をたどった人間も数百人と推定されています。で、この人類みな兄弟姉妹の末裔が現代にいたり、限りを知らない強欲なガリガリモウジャ連中によって、人間の平等がズタズタにされています。

 人間の平等は人類が獲得した叡智ですが、この頃の研究では不平等性に対する嫌悪は扁桃体も関わっているという知見もあるのです。平等な分配をする狩猟民族には鬱がないという研究もあり、これらから強欲企業独裁の門をくぐりつつある人類がいかに危機的かは理解できます。

 言葉は人のものの見方を端的に表すので、黒に悪を含意して使っている人は、ものの見方に偏りがあるとも判断されます。新しい知見で言葉は常に検証されていくべきもので、私たちは自らの知識に見合った言葉を使えばいいのです。
よって遅れた言葉など使う必要もありませんし、トンデモ和製英語「ブラック」など使ってはいけない言葉です。

 「信教の自由」で最も大切なのは宗教を信じない自由です。よって、“ある言葉を使わない自由”など、正々堂々と主張していけばいいのです。これに関して「悪質な恫喝」などアホを抜かすヤツもいますが、法曹界のメダカ社会,同窓会のメダカ社会で身動きできないだけの人間なのでしょう。

 たった一人の中学生だって、多勢が従う愚劣をぶちこわしたことができたのに、大の大人の私たちが“ある言葉を使わない自由”で縮こまっていてはいけません。もちろん英語帝国主義下では“英語を使わない自由”も正々堂々と行使されなければなりません。

★米国の人種・民族の自称についての国勢調査(1995年)で、黒人の場合
は、混血も含め、単純に「アフリカ系」でない者も含まれて、
一番好まれている呼称は「ブラック(黒人)」(44.15%)だった。「アフリカ
系アメリカ人(African American)」 28.07%、「アフロ=アメリカン(Afro-
American)」12.12%

★人権派の前田朗先生曰く――

文脈を無視して何でも差別だと言い募ることを、PC(Political Correctness)と言います。PCは日本的に言えば差別語狩りです。相手に対する差別が行われている場合ではなくても、言葉が気に入らないといって非難することであり、不毛な議論の原因となります。「**が聞いたらどう感じるか」と、勝手に文脈を変えることは止めましょう。文脈と意味を読み変えて非難するのは、悪質な恫喝となります。

****

「差別語狩り」が駄目だと考えている致命傷はともかく、簡単な想像力で――

 日本のある会社に黒人の上司がいて、ある労働者が上司を「ブラック上司」だとあしざまに非難した場合、前田先生はどう言いつくろうつもりなのか?

 『ホワイトラブ』という歌が流行った日本では、ホワイトに白人の意味があ
り、ブラックに黒人の意味があることさえ知らなかった。よって「ブラック会社」「ブラック企業」という愚劣な言葉も馬鹿で暇なネット市民が発見できた。加えて同じく無知な人間(今野晴貴などや『しんぶん赤旗』など)がこのネットの卑語を使えると錯覚して採用してしまった。
この現象を称して――「無知は力!」だ、トンデモ和製英語「ブラック」(「ブラック企業」・「ブラック大学」など)大氾濫!


▼前田朗Blog

Saturday, September 27, 2014

ヘイト・ロックとは何か

http://maeda-akira.blogspot.com/2014/09/blog-post_92.html


 ヘイト・スピーチには、ジェノサイドの煽動や人道に対する罪としての迫害のように極限的で激烈な犯罪も含まれる。他方で、ホロコースト否定や、差別的発言もヘイト・スピーチに含めて理解する例もある。ひじょうに幅の広い概念であり、ヘイト・スピーチの定義はなかなか難しい。そこでヘイト・スピーチの行為類型論が必要であり、すでに、のりこえねっと編『ヘイトスピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』(七つ森書館)などで、ヘイト・スピーチの行為類型の整理を試みた。その関連で、ヘイト・スピーチの多様性を考えていた際に、ヘイト音楽に関する論文を目にした。
 以下では、コリン・ギルモアの論文「ヘイト・ロック――ポピュラー音楽形式における白人至上主義」を簡潔に紹介する。
 ギルモアは冒頭に「現在の白人至上主義運動には、若者のサブカルチャーが含まれ、人種主義ロック音楽の促進と流布によって組織されている。南部法律センターや反中傷連盟など、アメリカにおける人種主義右翼を監視してきた人権団体によると、『ホワイト・パワー』音楽産業は長年成長してきた。反人種主義活動家によると、ホワイト・パワー音楽の販売収益が白人至上主義運動を財政的に維持してきただけでなく、ネオナチ組織やスキンヘッド集団に若者が参加するよう促すメッセージを発してきた」という。
 ギルモアによると、アメリカでは人種的不寛容の表現が憲法上の言論の自由として保護されているため、比較的小規模のホワイト・パワー音楽が国際的に人種主義スキンヘッドに影響を及ぼし、東欧諸国に広まっている。欧州諸国ではホワイト・パワー音楽の演奏や販売が禁止されているので、特にドイツでは、ホワイト・パワー音楽のメンバーを人種憎悪の煽動ゆえに刑事施設収容する例もある。
 社会学において従来、サブカルチャーにおいて音楽が参加者のアイデンティティを形成する意義が問われてきた。音楽は諸個人にとってリアリティを形成する。ホワイト・パワー音楽家は彼らが大事に思う音楽サブカルチャーにおいて独特に地域を占める。ホワイト・パワー音楽家はその集団のイデオロギー的地位やあるべき行動を提供する。それゆえホワイト・パワー音楽は組織された人種主義集団の多くにとっての参照枠を共有する。
 こうした関心からギルモアは、ホワイト・パワー音楽にかかわる一七人の個人にインタヴューした。スキンヘッド集団、ネオナチ集団、現代白人優越主義集団などにかかわったメンバーである。

1 ホワイト・パワー音楽小史

 ギルモアによると、ホワイト・パワー・ロックは白人優越主義運動のフォークと繋がっていた。白人優越性のメッセージをもとに歴史的事件の修正を試みる語りが歌詞となった。白人優越主義にとって好ましいヒーローを描いた歌詞もある。
組織された人種主義集団が音楽を宣伝手段としたのは録音された音楽の歴史の始まりとともに起きていた。一九二〇年代、クー・クラックス・クランによって音楽シートや78ミリ・レコードが制作された。インディアナ州で設立されたKKKレコードは伝統的な宗教音楽にのせて反移民を歌った曲を発売した。アメリカ・ナチ党の創設者ジョージ・リンカーン・ロックウェルは音楽を宣伝促進手段とした。一九六〇年代にヘイテナニ・レコードから発売された。
公民権運動の時期に、隔離政治や人種憎悪を促進するためにレコードを発売するレコード会社も見られた。一九六六年~七二年、ジェイ・ミラーというシンガー・ソング・ライターがルイジアナ州でレッド・レーベル・レコード会社から人種主義カントリーを発売し、二一局を発表し、アルバム『隔離主義者ヒットパレード』を出した。
一九七〇年代、イングランドで若者音楽サブカルチャーが人種主義集団の宣伝に力を貸した。一九八三年、イギリス国民戦線という小規模政党がホワイト・ノイズ・レコードを設立し、スキンヘッドやパンクロックに力を注いだが、最初の発売はスクリュー・ドライバーというネオナチ・バンドの『ホワイト・パワー』というシングル・レコードであった。スクリュー・ドライバーの影響を受けて、一九八〇年代、イギリス各地でホワイト・パワー・バンドが結成された。一九八七年、ブラッド・アンド・オナー(血と名誉)という宣伝バンドが結成され、北米や欧州各地に出かけた。
北米でも組織されたスキンヘッド集団はスクリュー・ドライバーなどに連絡を取り、バンドを結成していった。一九八〇年代後半、アメリカ各地でホワイト・パワー・スキンヘッド・バンドが登場した。ミッドタウン・ブーツボーイ、バリー・ボーイズ、バインド・フォー・グローリィ、アグレヴァイテド・アソールト(刑罰加重された襲撃)、マックス・レジストなどがパンク・シーンに登場し、パンク・サブカルチャー内でのスタイルを確立した。
一九九〇年代には、レジスタンス・レコードが発足し、音楽雑誌も発売し、オンラインでの楽曲提供も始めた。レジスタンス・レコードは毎年六万から一〇万枚のレコード売り上げを誇った。
これまでのホワイト・パワー音楽の大半はネオナチ・スキンヘッドであるが、アコースティック・フォーク演奏のアーティストや、ヘヴィメタル・ロックも増加している。スキンヘッド集団やホワイト・パワー集団の支持によってコンサートも各地で開催されてきた。

2 ホワイト・パワー音楽への道

 ギルモアによると、アメリカでのホワイト・パワー・ロックンロールはグローバルな経済変動の波を受けて白人労働者階級の間から始まった。白人サブカルチャーの世界でホワイト・パワー音楽は、若者たちに自分たちこそ支配的地位にあったのだというファンタジーを提供する。より大きな白人優越主義運動との繋がりをつけてくれる。ギルモアのインタヴューに応じたある人物は「北米では若者の多くが何らかの白人のための活動にかかわっているのは、音楽のおかげさ。監獄の連中だって、アーリア連合のアイデンティティ文書を入手しているだろう。音楽のためじゃなかったら、こんなに多くの若者がパンフレットや歴史家の意見なんかかに魅きつけられはしないよ」と述べる。
 ホワイト・パワー運動のなかでの集団活動を提供するのが音楽ライブ・イベントであり、集団に共通の絆を作りだす。コンサートは単なる音楽会ではない。あるホワイト・パワー音楽家は次のように語る。「音楽は人びとの魂を揺さぶり、共通の関心を提供する。音楽は白人のための運動の情景を作り出す。ショーは単なるコンサートではない。ナチス党がビヤホールで結成されたのも同じことだろう」。

3 ホワイト・パワーの歌詞

 ギルモアは白人至上主義音楽雑誌である『レジスタンス・マガジン』に掲載された歌詞を取り上げている。一九九四年から二〇〇七年にかけて出版されたのは二七号である。同誌のトップ・テンに登場する曲は延べで一四二九曲であり、演奏したバンドは延べ四六三バンドである。スクリュー・ドライバーが一九七回であり、次いでバウンド・フォー・グローリィが一一八回、ラホーワが一〇四回、ノー・リモース/ポール・バーンリィが七六回、「残忍な攻撃」が七〇回、「青い目の悪魔」が四七回である。
 発売されたアルバムの表紙には典型的なデザインが施されている。筋肉派のスキンヘッドが武器を取っている姿、バイキングの戦闘シーン、暴力シーン、ナチスの写真やイラスト、第三帝国の宣伝ポスターや、強制収容所の写真をもとにしたデザインもある。
 ギルモアによると、ホワイト・パワー音楽の歌詞に頻繁に登場するのは、経済的社会的条件が低下させられたとか、政府が白人を不公正に取り扱い、迫害しているというものである。バウンド・フォー・グローリィは「俺たちは苦難と闘いを経てきた。俺たちは殺され、奴隷化され、檻に押し込められてきた」と歌う。白人占有地域が失われ、白人のヘゲモニーが減退してきたとし、失われた白人の伝統文化を呼び戻そうとする。「断固たるヘイト」というバンドは「白人は日増しに収入を得られなくなっている。俺たち白人にふさわしい仕事がなくなったのは、黒人やユダヤ人に取られたからだ」と歌う。また、ホワイト・パワー音楽の歌詞は、標的とされた集団に対する論難となり、白人の敵と名指す。近隣で何か事件が起きるのはマイノリティ住民のせいにされる。「デイ・オブ・スウォード」は「俺たちの国は新しいアーリア人の墓を持っている。殺したのは元の奴隷だ」と歌う。黒人の路上犯罪を取り上げ、黒人の麻薬売人が白人の子どもや高齢者を餌食にすると言う。バウンド・フォー・グローリィは「嫌な暮らしを耐える、路上を歩き回る、餌食にされるイノセント、援助のない者、弱き者」と歌う。移住者も犯罪者扱いされ、財政システムを蝕む「パラサイト」と非難される。スクリュー・ドライバーは「奴らに金をやれ、奴らに仕事をやれ、イギリス白人なんて無視しろ」と歌う。
 ギルモアによると、ホワイト・パワー音楽のサブカルチャーには「陰謀論」の影響を確認できる。ユダヤ人が白人から権力を奪うという陰謀論のタイプである。陰謀論の歌詞で一番取り上げられるのがユダヤ人で、次いで政府とメディアがやり玉に挙げられる。白人至上主義者が使うのは「ユダヤ人にコントロールされたシオニスト占領政府(ZOG)」である。また、ホワイト・パワー音楽の歌詞では、同性愛者も標的とされ、しばしば物理的攻撃の対象になる。歌詞の中では同性愛者はユダヤ人の支援を受けて白人社会のジェンダー秩序を破壊する者とされる。「怒れるアーリア人」というバンドは「お前はお前のライフスタイルを宣伝し、俺たちの顔に権利とやらを押し付け、平等の権利などと言って、恥ずべき同性愛者」と叫ぶ。

4 ホワイト・パワー音楽と暴力

 ギルモアによると、標的とされた集団を非人間的に描きだすだけではなく、ホワイト・パワー音楽は特定の問題を解決するための行動計画を提起する。調査した歌詞の六八・七%が、現在のalliesを含み、直接的に聴衆に行動を呼びかける。個人による暴力行為とともに、標的とされた集団に対する集団行動として物理的な暴力の呼びかけが行われる。時は今であり、即座に行動するように呼びかける。ラホーワというバンドは「今こそ立ち上がるんだ、白人よ、立ち上がれ、俺たちが結束すれば、故郷を取り戻せるんだ」と歌う。一五〇の歌詞のうち九五が白人の敵に対する暴力行為を歌っている。スキンヘッド・バンドのミッドタウン・ブーツボーイズはアフリカ系アメリカ人に対する銃撃を歌う。「撃て、撃て、奴らを死に直面させろ、ニガーを蠅のようにたたき落とせ」と歌う。
 ホワイト・パワー音楽は人種的マイノリティによる路上犯罪を取り上げ、対抗して「俺たち大衆の正義」として自警団となるよう呼びかけ、体罰としてリンチにかけるように呼びかける。白人ホワイト・パワー・バンド「凶暴な戦士」は「裁きの日が来た、アメリカ人が死刑を言い渡すんだ」と歌う。
 ホワイト・パワー音楽の歌詞では、犯罪的暴力が中立化される。ほぼ八〇%が敵に対する暴力行為を正当化している。暴力の被害を受ける者にとっての運命だと言う。
 ホワイト・パワー音楽は伝統的に男性支配的であり、宣伝もこれに対応している。歌詞の大半が男性中心的世界観に貫かれ、「兄弟たちよ」という呼びかけが多く用いられる。マックス・レジストというバンドは文字通り「白人男性」という歌をこのんで歌う。一五〇のうち白人女性を歌うのは一一曲にすぎない。白人女性には白人同士の人間関係が求められる。人種を超えた性的関係を持った女性は「売春婦」という特徴を与えられる。怒れるアーリア人は「お前の体は汚れてしまった、もう純潔じゃない、ニガーを愛する売春婦」と歌って、彼女の処刑を呼びかける。白人女性は「白人女性を守り、白人社会を守る」という白人男性の行為を動機づけるための客体として描かれる。「ファイナル・ウォー(最終戦争)」というカリフォルニアのバンドは、妻と子どもを守る「誠実な男」を主題に、「戦うべき理由があるんだ」と鼓舞し、息子に向かって「炎を持っているのは今やお前だけだ、やり抜くんだ、俺たちが勝利する日まで」と歌う。

5 ホワイト・パワー音楽の影響力

ギルモアは、音楽を通じてフラストレーションを解消するホワイト・パワー音楽が、参加者にとって「問題解決」の道筋を示す機能に注目する。仲間と共感し、兄弟愛(同志感情)を持ち、支配的な文化や社会的価値を拒絶する。伝統的社会が集団による暴力や革命によって実現されるというファンタジーが描かれる。標的とされる集団を非人間化し、モンスターであるとし、白人の生存に対して脅威となる陰謀を指弾する。それゆえ、白人至上主義者が組織する犯罪を正当化しようとする。
ギルモアによると、組織された白人至上主義には長い歴史があり、匿名の若い白人男性に影響を与えてきた。しかし、その社会の支配的イデオロギーや社会関係から独立しているとは考えられない。ホワイト・パワー音楽の歌詞がファンタジーに見えるにしても、組織された集団の白人男性は構造的政治的条件を現実に変化させようとしている。その創造的努力において、ホワイト・パワー音楽は集団的に経験された社会資源を同一化させる。結果として、政治的メッセージを流布し、他者を集団行動に駆り立てるのである。

以上は下記の論文を簡潔に紹介したものである。

Colin Gilmore, Hate Rock: White Supremacy in Popular Music Forms, in: Randy Blazak(ed.), Hate Crimes Volume 4. Hate Crime Offenders, Praeger Perspectives, 2009.
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